
ドイツ・グラモフォンの輸入盤ですばらしいCDを見つけた。J.ゴールウェイとベルリン・フィルというCDである。フルート奏者やフルートファンならば、ぜひ聴いておきたい1枚である。これは、フルート曲ではなく、カラヤンとベーム指揮によるベルリン・フィルの管弦楽曲の演奏で、ゴールウェイが首席として在籍していた当時の録音である。ソリストとしての活躍が長いが、数多いカラヤン/ベルリン・フィルの録音で、聴いていて音色や録音年からフルートはゴールウェイだと分かるものもあったが、こうして特別にアルバム化されたものは、これまでになかった。その響き渡る14Kの輝かしい音色とテクニック、歌い回しは、圧巻である。
R.シュトラウスのサロメなどは、ベルリン・フィルのファンも満足する演奏である。
James Galway & BERLINER PHILHARMONIKER
R.シュトラウスのサロメなどは、ベルリン・フィルのファンも満足する演奏である。
James Galway & BERLINER PHILHARMONIKER
ほたるでなくCDのタイトル「ICH WAR EIN BERLINER」 ですが、有名なケネディー大統領の「ICH BIN EIN BERLINER」に掛けていますね。フルートの主席と云うのがみそで、他の楽器ではなかなか難しい企画かもしれませんね。さらに他のニコレ等の同僚では?
「ICH WAR EIN BERLINER」ゴールウェイがベルリンフィルの首席奏者であったことを誇りに思っているのだと思います。
ちなみに、ケネディー大統領の言葉「ICH BIN EIN BERLINER」について調べてみました。
ベルリンの壁建設が1961年8月に始まると、西ベルリン市民の間には大きな衝撃と怒りが広がりました。当初は「壁」という構築物が作られるという認識より、西ベルリン周囲が封鎖され自由な交通が阻害される点がショックを与えました。西ベルリン市民は当然、占領国であり「守護国」でもあった西側3か国、米英仏が何らかの対抗措置を打ち出すものと信じていました。しかし、3か国は動きませんでした。
というのも壁の建設は、あくまでも東側の領域内で行われており、西ベルリン側に対する侵略行為は何もおきていなかったからです。当時の米大統領であったジョン・F・ケネディは、ベルリン政策として
西ベルリンへの交通路の確保
西ベルリンに軍を駐留する
西ベルリン市民の生活(自由)維持
の3点が保障されることを重視していました。「ケネディの3原則」といいます。ベルリンの壁建設は、とりあえずはこの3原則を侵すものではなかったのです。しかし、地元の西ベルリン市民は納得しません。西側3か国に対する抗議が相次ぎました。
そこでケネディは壁の建設が始まって約2年後の63年6月に西ベルリンを訪問しました。市民も熱狂的な雰囲気で迎えました。シェーネベルク地区の市庁舎前で彼が行った演説には多数の市民が駆けつけ、市庁舎前の広場はびっしり埋め尽くされました。その演説の中で最も有名なフレーズが
"Today, in the world of freedom, the proudest boast is, ich bin ein Berliner"
「現在、自由世界において最も誇らしく言うことのできる言葉は、"私はベルリン市民である"ということだ」
というものでした。