ムカシトンボ Epiophlebia superstes (Selys, 1889)は、トンボ目(Odonata)均翅不均翅亜目(Anisozygoptera)
ムカシトンボ科(Family Epiophlebiidae)ムカシトンボ属(Genus Epiophlebia)に分類されるトンボである。
トンボは、系統上から大きく3つのグループに分類されている。1つは、イトトンボやカワトンボ等の4枚の翅の形がほぼ同じ均翅亜目で、2つ目は、アキアカネやヤンマ等の前後の翅の形が異なる不均翅亜目、そして3つ目が、ムカシトンボの均翅不均翅亜目である。ムカシトンボは、均翅亜目でも不均翅亜目でもなく両方の特徴を持っていて、2つの亜目のつながりを示している。同じ特徴をもつ化石が1億5千万年前~2億年のジュラ紀や三畳紀の地層から出土することから、本種は「生きた化石」と呼ばれ、ムカシトンボという名前がついている。
ムカシトンボは、日本固有種で北海道、本州(千葉県以外)、四国、九州に分布しているが、日本以外ではヒマラヤ山脈周辺に(Epiophlebia laidlawi Tillyard,1921)が、中国黒竜江省には(Epiophlebia sinensis Li&Nel,2012)、四川省西部の山岳地帯には(Epiophlebia diana sp.n.)が分布するのみで、他の国や地域には分布しておらず、トンボ目の中でもたいへん特異なグループである。
これまで、分布が知られる全ての地域のムカシトンボは、上記のようにムカシトンボ属の別種扱いであったが、最新の遺伝子研究の結果では、遺伝的差異はほとんど見られなかったという。この程度の遺伝的差異は、他のトンボの近縁種間の変異よりも明らかに小さく、むしろ同一種内の地域的な差異と同等程度と確認されたという。
この遺伝的差異の小ささは、約2万年前にピークを迎えた最終氷期には、ムカシトンボは南アジアから東アジア地域にかけて広く分布しており、氷期が終わり地球が温暖になるのに伴い、熱帯や温帯の多くの地域で絶滅し、日本の山地や中国、ヒマラヤ山地といった寒冷な地域に隔離され、現在の分布が形成されたと言える。
ムカシトンボは体長は5cmほどで、水温15℃以下の山間部の源流域に生息している。幼虫の期間は6~7年とも言われ、羽化前の1ヶ月ほどは、渓流の中ではなく、川岸の湿った落ち葉の下で過ごすというたいへん希な生態の持ち主で、成虫は、草木に止まる時は、翅を閉じるのが特徴でもある。
若い個体は、晴れで気温も高いと、午前8時前からカゲロウ等の虫を捕食するため、川上10mくらいの高さを高速で飛びまわり、捕らえると杉の高い梢に止まって食べるという行動を繰り返す。その後、成熟したオスは川面に降りてきて、本流に流れ込む細流に移動し、メスが産卵に訪れそうな場所を水面から30cmくらいの所で時折り短いホバリングを行いながら忙しなく上流へと飛ぶ。曇っていたり湿度の高い日は、川面には降りてはこない。
成熟度が進んだオスは、およそ15分間隔くらいで、同じ場所に現れる。また、数頭のオスが遭遇しても、どちらかが追い払うこともない。メスは、下流からゆっくりと上流に移動しながら産卵に適した植物(茎の柔らかいフキやゼニゴケ等)があると産卵する。産卵に集中すると、至近距離で撮影しても、まったく動じない。メスは、オスが頻繁に飛来しない、午前中早い時間や夕方近く、または曇りの日の方が、落ち着いて産卵するようである。
ムカシトンボは、環境省版レッドリストに記載はないが、都道府県版レッドリストでは、山梨県と宮崎県、熊本県で絶滅危惧Ⅱ類 に、その他14の府県で準絶滅危惧として記載している。水温の低い山地の渓流でしか生息できないことから、河川の改修やダム建設、伐採や道路建設などに伴う土砂流入などが減少の原因となっている。
東京都においては、多摩川水系、秋川水系、浅川水系の各支流源流域に生息しているが、2019年10月12日の過去最強クラスの台風19号により記録的な大雨が降り、大規模な河川氾濫や土砂災害に見舞われた。東京の西多摩地域では、他の月の、月間降水量より多い384.5mmが、たった1日で降ったことで、山地の渓流は人よりも大きな岩が流れ、崩落も起き、翌年からムカシトンボの発生が激減している場所が多い。また、それだけでなく、ハイキング、キャンプ、乱獲などの影響もある。ムカシトンボは幼虫期が長いので、自然環境が長期間安定していなければ生息できない。エコ・ツーリズムとは何かということを考えて頂きたいと思う。
ムカシトンボの東京都内における生息状況は2009年から観察しており、以下には2017年までに撮影した幼虫、羽化、飛翔、産卵の写真(初掲載のものを含む)を選別して掲載した。本年2024年に、これら写真を撮影した生息地で調査したところ、僅か数頭のみの確認であった。再び良好な生息状況になることを祈りながら、5月中頃に産卵が見られるかどうか、再度確認をしておきたい。
参照
参考文献
- The thorax morphology of Epiophlebia (Insecta: Odonata) nymphs - including remarks on ontogenesis and evolution
Sebastian Busse1 , Benjamin Helmker2 & Thomas Hornschemeyer Scientific Reports 5, Article number: 12835 (2015) - A new Epiophlebia (Odonata: Epiophlebioidea) from China with a review of epiophlebian taxonomy,life history, and biogeography
Frank Louis Carle Arthropod Systematics & Phylogeny 70(2) 75-83 - Phylogeographic analysis elucidates the influence of the ice ages on the disjunct distribution of relict dragonflies in Asia,Public Library of Science
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