お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

ネアカに生きるために

2007年12月04日 | 本紹介
 曾野綾子さん著「晩年の美学を求めて」朝日新聞社 

に、こう書かれています。

 「人の世にあることはすべて自分の上にも起こり、
  人の中にある思いはすべて私の中にもある」
 と、私は思っているから、なにごとにも、悲しみはしても驚かないのである。
 なにものにもおおっぴらで、なにが起きても仕方なくそれを受け入れる、という姿勢は、いわゆる「快活な」とか「ネアカ」と言われる人の特徴である。それに対して、襲いかかる運命をすべて不当なものと感じ、その不運に襲われた自分を隠そうとする人が「ネクラ」と言われる人になる。私のほんとうの「地」はネクラなのだが、私は意識的に、後天的に、ネアカになる技術を覚えたのである。


 お分かりのように、ここで述べられている「ネアカ」は、人前で、無理してテンション上げて、明るく振る舞う そういう「明るさ」のことでは、ありません。
 「明らかに」知る「明るさ」

 曾野綾子さんは、こうも書かれています。

 隠す、とか、見栄を張らねばならない、という感情はまず、未熟なものだ。
 
 また、ヘブライ学者の前島誠氏の言葉を紹介されています。

 「人はいつ完全と言えるのでしょうか。自分のありのままを自分で認めた時です。飾らず格好つけることなく、そのままの自分を「これがわたしです」と心から言えた時、その人は完全への道にあるのです」
 
 これは、浄土真宗で言う阿弥陀様の本願に任せきった心と同じことなのではないか。
 私も自分をさらけ出して、許されて生きている。
 
 無理した「ネアカ」じゃなく、自然体の「ネアカ」

 曾野綾子さんは、キリスト教で、私は、仏教で「心」救われております。
コメント (2)
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