お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

見事に生きる

2007年12月13日 | 仏教
 またも、ご門徒さんが亡くなられました。(今年は異常です。住職共々、つらい溜息です)

 今回は、Hさん、57才の女性です。この数年、癌の治療を受けておられました。一度、玄関にみえた時、一瞬、どなたか認識できないほど、副作用で顔がパンパンに腫れておられたこともありました。
 相当お辛かったはずです。でも、自分の病についてすら、いつも明るく、淡々と話してくださいました。
 
 数年前、ご自身が癌の手術を受けられた直後、ご子息を事故で亡くされるという、これ以上ない苦しみ、悲痛もありました。
 
 その後、病の再発。

 人生は、ままならない・・・というのは、実相ですが・・・涙がでます。

 まさに、「生老病死(しょうろうびょうし)」

  (生)まれる:時代も、国籍も、性別も、親も、どんな遺伝子を引き継ぐか、選べず、気づいたら「私」が存在していて、生きてゆかねばならない  
  
  (老)いる:生まれてからの成長は、その後、老化(円熟?)に向かい、衰え身体が思うように機能しなくなる

  (病)気になる:生まれたばかりの赤ん坊でも、この身があるがゆえに病に罹ることもある

  (死)ぬこと:生まれてきた者は100%の確立で死んで往く
        
 また、愛別離苦(愛するものと死に別れる苦しみ)の苦しみ

 そのままならぬ苦しみ中、精一杯生きられた

 その精一杯生ききった臨終に

 「ようがんばったね、きつかったね」と、誉めて、抱いて、浄土(さとりの世界)に迎えてくださるのが、阿弥陀仏なんだと思います。

 今も、Hさんの人のよい、やさしい笑顔が偲ばれます。

 そして、今は、きっと、阿弥陀仏と同じ「はたらき」の「仏」と成られて、私たちを見守り導いてくださっていると思います。 南無阿弥陀仏 合掌

 
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする