お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

責任役員さん

2006年10月11日 | 仏教
 各寺はご承知のように一つひとつが宗教法人です。
 宗教法人では、必ず3人以上の責任役員を置かねばなりません。その3人の内1人が、代表役員をつとめます。浄土真宗本願寺派の場合、代表役員は、住職がつとめることになっています。
 責任役員の内1人は、門徒総代会で選んだご門徒さんが就任されることになっています。 ウチの寺の場合、今年から責任役員さんが交代され、MM氏が就任。残り1人の責任役員は私がつとめています。
 
 寺の運営は責任役員で話し合って行うことになりますが、各寺には「宗教法人○○寺 寺則」なる各寺の憲法みたいな規則があります。
 門徒総代さんの数は各寺によって異なりますが、寺の運営に関しては、責任役員で決めてしまうというより、門徒総代役員会で決定、承認して運営されています。

 皆様、ご自分の所属寺(檀家寺)にもっと関心をもって、よりよいお寺作り(ハード面だけでなく、ソフト面でも)にご協力ください。お寺の主役はご門徒(檀家)の皆さんですから。
 死んで初めてお寺に用があると思いこまないでくださいね。生きている内の仏法(仏教)ですよ

 さて、説明が長くなりましたが、ウチのご門徒責任役員さんがお怪我で入院。きょうお見舞いに行ってきました。痛みも薄らいだとのことで一安心。
 まだ続いている台風被害の修復工事状況や、いよいよ始まるウチの集落の道路拡幅工事のこと、我が家の近況などお話してきました。

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結婚指輪

2006年10月10日 | 雑感
 先日、町民運動会の炊き出しに出かけた折り、「おにぎり握るから」とはずした指輪を紛失! 朝、出かける前に、寝室の三面鏡の上にはずして出かけたはずなのに、帰宅して夕方はめようとしたら、「ない!」 
 はずしたのは、居間でだったっけ? いや、台所でだったっけ? いや、やはり、三面鏡の台に置いて、床にころがったのだろうか。ゴソゴソ大掃除・・でも、見つからない・・
 
 夫と縁がつきたというお告げか。
 「飾りものは、全て捨てて僧侶に生きよ!」ということか。

 いや、ずばり、ボケが一段と進んだということでしょう。
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町民運動会

2006年10月08日 | 佐賀ネタ
 私は、田舎の小さな市に生まれ育ちましたが、一応、市の町中で育ったので、ご近所づきあいは、回覧板を回すぐらい。後は、子どもの頃、近くの神社のお祭りで、お揃いの衣装を着せられて踊りを踊らされていた・・ぐらいの記憶しかありません。

 佐賀に嫁に来て、まず驚いたのは、自治会の行事の多さ

 町のお祭り、神社のお祭り、神社の掃除当番、婦人会の会議、○○教室、町民運動会、ソフトボール大会(男)、バリーボール大会(女)、ゲートボール大会・・・等々
 
 嫁に来るなり、義母から「ご近所の皆さんの顔を覚えるために、これからは、あなたが地区の婦人会に出なさい」と、言われ、毎月開かれる例会に顔を出すことに。
 確かに地域に早くなじむためには、義母の提案は正しくありがたかった。
 
 自治会では、自治会長、婦人会支部長、体協、子どもクラブ役員などが1年交代の家当番や年順で巡って来て、役員に当たった年は、そりゃ大変でした。

 数年前から地域婦人会は無くなりました。(今、女性の皆さんもお勤めで支部長のなり手がいない)  楽にはなったものの、ご近所の皆さんと顔を合わせる機会が少なくなりました。

 若い頃は「田舎のご近所付き合いは、何て面倒なんだろう」と、うんざりしていましたが、ご近所との、こういうほのぼのした交流は、大切なことだったと、今は思えます。

 きょうは町民運動会でした。
 
 夫は朝6時からテント張り。8時から入場行進へ。私は、7時前から炊き出し、その後法事に出る夫と交代して、応援へ。いつもは、各種競技に出ていたけれど今年は「肋骨のヒビが完治してない」ことを理由に顔出しのみ。

 今年は、わが町区も若いご夫妻が増え、私たちオバサンは、若いご夫婦が出場されている間、赤ちゃんのお守りを楽しんでいました。久々にのんびり、人の競技をながめ、久々に会ったご近所の奥さんたちとおしゃべりして楽しい時間でしたよ。 
 
 
 
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東西本願寺

2006年10月07日 | 仏教
 親鸞聖人を宗祖とする浄土真宗も10派あること、ご存じですか?
 本願寺派(西本願寺)、大谷派(東本願寺)、高田派(専修寺)、仏光寺派(仏光寺)、興正寺派(興正寺)、木辺派(錦織寺)、出雲路派(毫摂寺)、誠照寺派(誠照寺)、三門徒派(専照寺)、山元派(證誠寺)の10派です。
 
 教義そのものは同じですから、10派で真宗教団連合なるものもあります。違うのは、お経の節や、作法、お仏壇の法具とか・・微妙に異なります。
 
 10派の中で大きな教団は東西の本願寺です。元々は、一つの「本願寺」でしたが、なぜ東西に分裂したかご存知ですか?

 発端は織田信長との石山戦争です。
 当時、本願寺は後に豊臣秀吉が大阪城を築いた場所にありました。石山本願寺です。 本願寺は戦国大名に匹敵する勢力をもっていました。
 1570年から信長と本願寺との戦争は、10年間にもおよびました。
 1580年ついに本願寺は敗北、信長と和議を結び、石山本願寺を明け渡します。(紀州鷺森へ移る)
 1591年、秀吉が京都六条堀川に寺地を寄進、本願寺に移転を命じます。これが、現在の西本願寺の境内地です。
 
 石山戦争の敗北の折、本願寺では和睦をすすめた顕如門主に対し、長男・教如上人は、信長との徹底抗戦を主張。親子間で意見が対立。教団内も2分した形になっていたらしいのです。
 1592年顕如門主急逝。長男・教如上人が第12世を継職したものの、教団内の内紛があり、秀吉の命で、教如上人は退職、弟の准如上人が改めて12世を継ぎます。(現在の西本願寺)
 秀吉に退職させられていた教如上人は、1602年徳川家康の許可を得て烏丸七条に一寺を建立。これが、現在の東本願寺です。

 東西本願寺は、今は仲が悪いわけではありませんので、ご安心ください。
 
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我が家のテレビ

2006年10月06日 | 雑感
 ウチのテレビは10歳になります。
 最近、画面の左下に緑がかかり、その部分に人の顔が映ると、臨終間近の人に見えます。夫に言うと「気にせずに見ればいい」
 
 数年前から、サスペンス映画やドラマで夜のシーンがあると、画面が真っ暗になって何が起こっているのかよく見えません。
 夫に言うと「夜なんだから、見えにくいのが当たり前だ。暗闇で何が起こっているのか想像して見ればいい」

 5年後には、アナログ放送が終わり、今のテレビでは受信できなくなるそうだから、そろそろ買い換え時期なのだけど・・テレビを見る暇のない夫は、あまり必要性を感じていない。
 ウチは、ビデオもビデオデッキしかないので、DVDは、パソコンで見るしかない。これも、夫は何ら不自由を感じていない。
 
 「そろそろ、テレビとDVDの見られる新しいのに買い換えようよ
と、私と娘。
 「贅沢言うんじゃありません、豪雨や台風で甚大な被害を受けられた方々のことを考えなさい!!」と、夫。
 
 まだ、まだ・・いよいよ画面が真っ暗になるまでウチのテレビには、頑張ってもらわなきゃ。
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ジャン一家と京都観光

2006年10月05日 | 雑感
 昨晩10時前に無事帰宅。
 9月26日から始まったジャン一家との楽しい時間が終わりました。
 
 京都では、茨城県在住の長女と京都駅八条口で待ち合わせ、まず二人でジャンボタクシーに乗り込みスタート。京都在住の二女を馬町で拾い、前日から円山公園内の旅館に宿泊していたジャン一家を八坂神社の前で乗せ、金閣寺へ。
 そこで、京都在住の姪も合流。総勢9名のツアー。 

 後、定番の竜安寺へ。隣の仁和寺を回り、後は嵐山、嵯峨野の竹林辺りをドライブして、祇園の宿泊先で降り、一日目タクシーツアー終了。
 
 夕食は、ネットで調べ予約していた花見小路のお手頃価格の豆腐料理のお店へ。
 ジャン一家は、豆腐、野菜が大好きなので、喜んでくれてよかった。

 二女は翌日はずせない授業があるからと帰宅。私たち(長女、姪、私)日本人組は、祇園のホテルに宿泊。

 翌朝は八坂神社でジャン一家と会い清水寺へ。昨日の金閣寺同様、大勢の修学旅行生が・・そして、広島からの中学生グループに取り囲まれて、英語でのインタビューを受けるはめに。(中学生たちは、外国人に英語で質問するという課題が課せられていたらしい)
 同じ14歳の長男が、インタビューに応じていた。(その様子を父親のトムさんがビデオ撮影)

 清水寺の後は、ウチの寺の本山である西本願寺を見たいというので、本山へ。
 
 今、10年がかりで御影堂の大修復工事中なのですが、屋根の修復もすみ、今は工事のために覆い被せていた屋根を取り外す作業中

 山門入ってすぐ、案内受付の青年僧侶と、寺族女性(じぞく・寺の家族のこと)に書院の拝観はできないか、尋ねてみたら、突然の申し出にもかかわらず、国際部の職員(もちろん僧侶)がおいでて、特別に案内してくださった。さわやかな青年僧侶のお二人に感謝申し上げます。
 
 長女は、小学生の時から数回、児童念仏奉仕団という子ども達が本山で清掃奉仕したり、お話聞いたりする団体参拝に参加、4年前には、得度(とくど・僧侶になること)を受けて本山に来ているので、おなじみの場所。
 姪も一度小学生の時、二女と共に児童念仏奉仕団に参加し、本山に参拝しているのだけど、「雑巾がけをしたこと以外覚えていない」と笑っていた。

 西本願寺は、拝観料が不要です。皆さんも京都にお出かけの折りはぜひお立ち寄りください。
 ちなみに京都駅に近いのは、東本願寺のほうです。西本願寺はそれより西側、堀川通りにあります。

 本山の後、ジャン夫妻は、京都の友達に会いに出かけ、その間我々で子守りをすることに。午後、子ども達と京都博物館へ。そこで、講義中の二女にバッタリ会った。(博物館学芸員の資格をとるための講義・研修中だったらしい)

 戻ってきたジャン夫妻と三十三間堂で待ち合わせ、そこで我々はジャン一家とさようならの挨拶。泣いちゃいました。  ジャン達はまだ、しばらく京都、奈良を回ります。

 夕方、京都駅で長女と新幹線にて東西に別れ、帰路へ。賑やかな楽しい時間が終わり、現実生活に戻りました。

 

 

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お寺の雑用

2006年10月02日 | 雑感
 昨日雨模様でしたが、きょうはまた、晴天。 相変わらす、半袖です。
 きょうは1日、家事、お寺の雑事に追われました。

 まず、洗濯物干し終わった朝8時過ぎから、総代さんのM氏ご夫妻がまた、境内清掃に来寺。一緒に落ち葉、お彼岸後の墓の枯れ花掃除。
 このところ、境内掃除をサボっていたので、M氏ご夫妻のお陰で境内がきれいになりました。
 M氏ご夫妻には、私が何でも話すので、ウチの状態をよく把握されています。だから、大きな行事前、私が忙しそうな時、或いは、きょうのように、遠来客人を見送ったばかりで、境内清掃を怠っていそうな時・・等、さりげなくお出でくださる。有り難~いご夫妻なのです。
 
 お二人が帰られたその後は、昨日私が直方に行っている間、せっせと一人、案内状を作成していた住職の仕事を引き継ぎ、お寺の各種案内状を封筒詰め作業。
 
 これが結構大変なのです。(まあ、テレビ見ながらやっているんだけど・・・)
  
 それをご門徒さんがまとまって在住、世話人さんのおられる地区には、まとめて配布をお願いすべく、その世話人役員さん宅へ持参。その他のご門徒さんの案内状は郵送のため、郵便局へ持参。
 
 それから、明日の準備・・

 実は私、明朝から一泊で、京都に行ってきます

 きょう、直方から京都に向かったジャン達に 娘と姪が会うため、京都に集合するのですが、私も娘達に会いたいから、このチャンスに上洛。一泊二日、一同、大人数で京都観光しようということになっているのです。
 
 「坊守のお仕事はどうなっているの?全く 
と、お思いの皆様。
 帰宅したら、また、まじめにお寺のお留守番をしますから、今回は、国際親善、母親参観ということで、勘弁してね 

 
 
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来日歓迎会

2006年10月01日 | 雑感
 きょうは、直方でのジャン一家の歓迎会に私も出席するため、早朝、直方へ。
 ジャン一家を乗せるために運転に慣れた夫の車で高速を飛ばしたら、何と快適。
 今まで軽自動車でしか高速を運転したことがなかった私にとって、いつもの感覚でアクセル踏んでいると、120キロ出てしまう。いつもより、時間短縮で到着しました。(帰宅して夫に話したら、飛ばしすぎとしかられた)
 
 Nいこいの村で開かれた歓迎会には、ロータリークラブ関係を中心に30名ほどの方が出席。なごやかな会でした。ジャンの末っ子が日本語の本(トラベル日本会話)を見ながら、自己紹介したり、オジサンに教えてもらった変なひよこの踊りを次男共々おどけて踊ったり・・・物怖じなく、明るいのは、ジャン譲りでしょう。
 それにしても、ジャンのご主人は、本当に穏やかなやさしい人だ。ジャン、幸せでよかったね。

 さて、今夜の坊守会(組内のお寺の奥さんの会合)に今から出かけます。
 ちなみにウチの寺は浄土真宗本願寺派佐賀教区巨瀬組と言うグループに属しています。巨瀬組と聞くと、その筋の恐い組織と間違えられそうですが、「こせぐみ」ではなく「こせそ」と言います。組の代表お世話をしてくださるご住職を「組長」と言いますが、これも「くみちょう」ではなく、「そちょう」と称します。
 
 数年前、組内の坊守達で、本山参拝を兼ね、2泊3日の京都観光をしました。その時ジャンボタクシーを「巨瀬組」で予約していたので、運転手さんは、「姐さんたちの京都旅行」と思い、恐かったかも・・・
 恐る恐る「どういう関係の組ですか?」と尋ねられ、一人が「そういう筋の組です」と、答えたら、ちょっと顔がこわばられたので、心優しい私がお寺のグループだと説明してあげました。
 
 坊守会は2ヶ月に1度ほど、教区内、組内の行事連絡、話し合いのため、会所は、寺を当番回りで開いています。
 今夜はH寺さんです。では、お寺の姐さん達の会合に行ってきます
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