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お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

坊守(ぼうもり)という存在

2006年11月10日 | 仏教
 浄土真宗では、お寺の奥さんのことを「坊守」と呼んできました。現住職の妻を「坊守さん」、前住職の妻は、「前坊守さん」、住職後継者(若院・じゃくいん)の妻は「若坊守さん」
 
 「坊守」という言葉は、本山から出ている「寺庭婦人ノート」という本によると「寺坊の番人を意味していた言葉を、その生活ぶりからごく自然に名づけてきたものでありましょう」とあります。
 
 坊守は「坊守式を受け、本山の坊守台帳に登録された者を言う。坊守は、住職を補佐して、教化の任にあたらなければならない」と宗法にあります。

 「寺庭婦人(じていふじん)」なんて言葉があるくらいですから、今までは、坊守は婦人、つまり「お寺の奥さん」の認識でした。

 でも最近、本山の宗門法規において「坊守」の規程が変わりました。
 
 「住職の妻」という認識では、時代に合わないためです。
 独身のご住職もおられるし、女性住職も増えてきたからです。

 だから、現在、男性住職の姉妹で「坊守」になられている方。女性住職さんの夫で「坊守」になられている方もおられます。

 浄土真宗の住職の妻は「坊守」ですが、坊守が「住職の妻」とは限らないということをご承知おきください。
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法務

2006年11月09日 | 雑感
 「法務」とはお寺のお参り等、勤めることを言います。
 この数日間、私をご指名のご門徒さん宅に祥月命日のお参りにお伺いしたり、逆にウチに墓参り兼ねておいでになったご門徒さんとお勤めしたり・・が続きました。

 住職は土日か、平日ならば勤務前の早朝に法務を勤めることになるので、平日自分のご都合のよい時間を希望されるご門徒さん宅は私がお参りさせていただくことになります。私はいつでも暇なので・・・

 ご依頼の電話がかかり「坊守さんでいい」と言われるか「坊守さんがいい」と言われるか、この「で」と「が」の違いは大きいのですが、ま、そんなことは気にしない。

 お参りに行っては、いろいろ頂き物をしてきます。有り難いことに、私のためにわざわざお土産を用意してくださっているお宅があるのです。お菓子、靴下、ワイン、鉢植えの花・・
 
 昨日もYさん宅で見事なシクラメンをいただいてきました。
 「赤と白どちらがいい?」と尋ねられ、優柔不断な私が「どちらでも・・」と答えたら「どっちも・・・両方?」すると横にいた若奥さんが「そりゃ、できれば両方がいいですよねえ」、それに対し目を輝かし、うなずく私。
 
 こうして、厚かましく紅白2鉢のシクラメンをゲット 「すみません。両方とも頂いて・・」と満面の笑みと共に、後部座席下にしっかり2鉢並べて持ち帰った私でした。
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友との時間

2006年11月08日 | 雑感
 最高気温20℃こえ晴天続きの佐賀も一転。昨日は最高14℃と急に気温が下がり冬空に。昨夜はあわてて冬布団を出しました。
 
 昨日は30数年ぶりの友達二人に会いに福岡空港まで行ってきました。
 高校卒業以来ご無沙汰していた関東在住のMさんと最近メールのやりとり始め、それがきっかけで他の関東在住の同級生も私のブログを見てくれることになったのですが、その彼女が久々に帰省。連休中、直方では10名ほど集まってミニ同窓会があったようです。
 私は連休中は動けなかったので、昨日羽田に向かう彼女の見送りかねて福岡空港でランチすることに。ちょうど同じく関東から帰省していたJさんも来てくれて、再会

 純情可憐な少女たちは、50代のオバサンになりましたが、気性は皆そのまんま。
 Mさんとは鞍手高校からの帰り道「おたて橋」でお腹がよじれるほど笑いころげていたことを思い出します。何がそんなにおかしかったのかは全く記憶にないのですが。
 あの頃まだ蒸気機関車が走っていて、おたて橋を渡っている時、煙を吐きながら近づいてくる蒸気機関車に慌てて走って渡っていたんじゃなかったっけ 

 Mさんの筑豊弁はあの時のまま、今もおっとり、かわいいMさんでした。
 
 Jさんは中1の時から穏やかで大人。あの頃ジコチュウ、イヤミな私にもやさしく接してくださっていました。今もやわらかなお人柄。

 お二人ともお仕事、ボランティアの社会活動などしながら、穏やかに生活されているご様子。

 空港レストランで3時間おしゃべり続け、また逢える日を楽しみに帰路につきました。友達ってありがたいですね。感謝
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お寺の子ども その2

2006年11月07日 | 雑感
 お寺の子が親に従順なのは、小学生くらいまで
 中学生ともなれば、朝の本堂おつとめにも、何だかんだ言って出てきたがらない。そして、「お寺はイヤだ」と言い始める。
 そして、高校生となり、進路を考えるにあたり、当然のように「後継者」と周囲から期待される長男、長女はお寺に生まれた我が身の不幸を嘆き悲しむ。

 こうして、反発している彼らも「ご門徒さんのお陰を忘れちゃいかん」「お仏飯で育てられた」だの言われ続け、20才過ぎる頃には「結局、自分が寺を継がなきゃしょうがないだろう」と諦観、悟りの境地に達し、まじめに仏教の勉強を始める。

 それでも他の友人達は、自由に就職、恋愛、自分の人生を選べるのを見ると、またも、煩悩わき起こり「自分に自由はない」と親に八つ当たりのひとつもしたくなる。

 まさにお釈迦様の説かれた「人生は苦なり」四苦八苦の一番目。生まれる苦ですね。

 時代も場所も親も選べず、気づいたら自分というものが、この世に存在している。お寺の子は「気づいたらお寺の子に生まれていた」のですよね。

 まあ、若い間は「自由がない」って悲しむかもしれませんが、オバサンくらいの年になると「お寺で生活することのありがたさ」がしみじみ分かりますよ。

 お布施をいただきながら、相手が頭を下げてお礼を言われる。
 お金を受け取りながら相手にお礼を言われるのは、医者と先生と坊主くらいなものでしょう。
 
 坊主には定年がない。
 当人が元気な限りおつとめできます。しかも、年を重ねるほどに味わい深く、仏法をお伝えすることができます。 

 お寺で心穏やかに生活できる
 イヤな上司にどなられることも、対人関係で神経をすり減らすこともない。
 仏さまの願いに即して生活すればいいのだから、こんな恵まれた環境があるでしょうか。

 自由がないだの、外出しにくいだの、いつも人から見られているだの・・不満はあるでしょうが、何の仕事も、誰の人生も大変ですよ お寺で生活させてもらう利点に比べたら、大したことありませんって。


 
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お寺の子ども

2006年11月06日 | 雑感
 未明に雷雨。連休明けに久々の雨でした。
「お寺は連休が忙しい」ということで、ウチの子どもが小さい頃のことを思い出しました。
 お寺の子は総じて声が大きい。
 家が広いので、母親を捜すのに「おかあさ~ん」と大声で呼ぶから。したがって内緒話は得意でない。声が大きくて筒抜けです。
 
 お寺の子はあまり人見知りしない。
 しょっちゅう、家族以外の誰かが来て、声をかけ、かわいがってくださるから人を疑うことがない。

 お寺の子は物心ついたら、いつの間にかお経「正信偈」をそらんじている自分に気づく。
 ウチの長女は2歳頃、お祖父ちゃんがお経をあげている側を大鏧(だいきん・りん)の大きな桴(はち)をかかえて走り回り、鏧を打つ絶妙のタイミングで鏧のそばに駆け寄り、桴を振り下ろし「カーン」と鏧を打っていた わが子ながらスゴイと思っていた。

 お寺の子は、いつもお菓子に不自由しない。
 ありがたいことに、常に頂き物のお菓子がある。
 
 お寺の子は家族総出の旅行ができない。
 年中無休で誰か留守番していないと・・ということで、家族総出でお泊り旅行というわけにいきません。せめて年寄りが元気で長生きしてくれていたら、若家族はお出かけ可能かな。

 お寺の子は長期休みも、したくない手伝いをさせられる。
 春休みは佐賀では巡番報恩講というお寺のビックイベントがあっていて、自分ちが当番会所なら言うまでもなく役割分担。当番でなくても、親がよそのお寺さんへお参りにでかけるので、留守番をさせられ、どこにも遊びに出かけられない。
 夏休みはお盆。草取り、接待の手伝い。冬休みは暮れ、正月の寺の手伝いをさせられる。
 
 お寺の子にプライベートスペースはない。
 大きな行事があろうものなら、台所はもちろん、家中ご門徒がウロウロされる。

 お寺の子は、親、ご門徒から当然のように「いい子であること」と跡継ぎを期待される。

 まあ、一般家庭からみれば、お寺の子は「自由がない」ことで、思春期にお寺の跡継ぎであることに反発するのです。これに関しては、続く・・・

 

 
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門徒三夜待&グランドゴルフ大会

2006年11月05日 | 行事・案内
 好天の連休でバルーン大会も唐津くんちも、大にぎわいだった模様。
 お寺は他のサービス業と同じで休日が忙しいですから、休日のお出かけには縁がないです。
 
 昨夜の「若っかもんで呑もう会」は、連休中日だったせいか、いつもより出席が少なかった。だいたい常連が決まってきた感じ。森伊蔵をお替わり自由で味わっていただきました。
 焼酎苦手な私にとっては、佐賀酒○勤務のN氏がご好意で持参くださった、にごり酒が甘くておいしかった!!アルコール度数は19度で、普通の日本酒より強かったらしいが、口当たりよくて最高

 昨夜の会では、30代のパパ3人が「3軒で一緒に家族旅行しよう」なんて話も持ち上がっているようで、交流深まりうれしいことです。

 今朝は9時から仏教壮年会例会。例会終了後、壮年会会員家族(奥さん、子ども)も参加して近くの広場でグランドゴルフ大会でした。
 70代から幼稚園児まで楽しくワイワイ。終了後は法専寺に戻って表彰式。予算内で私が買い物用意した景品を贈呈。
 楽しく終了し、ホッと一息。住職は今、お参りに行っているけど・・

 グランドゴルフ参加の幼児達は、総代さんの孫さん達なのですが、生まれた時から初参式(お寺での赤ちゃんの初参り)、お正月の元旦会、御正忌報恩講の子ども会等、ことある度にお寺に来ている子達なので「お寺大好きっ子」です。お経も歌を覚えるように頭に入っている。

 本堂出入り口で見送る私に「バイバイ」と笑顔で手を振って帰って行く、そのかわいい笑顔が私にとって、きょうの大会の最高のプレゼントでした。ありがとう
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祖母33回忌

2006年11月03日 | 雑感
 きょうは私の実家の両親、兄夫婦が来寺。 ここで私の祖母の33回忌を一緒につとめました。
 実家まで娘夫婦がそろって参詣に出かける、つまり法専寺を住職、坊守が揃って留守にするということが難しいので、向こうからこちらへ出てきてくれました。
 実家の檀家寺E寺ご住職には、普段通り祖母の祥月命日にお参りに来ていただいて、その折り「33回忌は、佐賀でさせてもらいます」と了解いただいたようです。

 父85歳、母80歳ですが、まあ何とか元気にしています。一時、死にかけていた父も、佐賀まで出て来られるほどに回復したのですから、医学の技術進歩はすばらしい。

 実家は一応、昔から浄土真宗の門徒でしたが、まさに名ばかりの門徒。E寺ご住職に自宅にお参りに来ていただくことがあっても、自分がお寺にお参りすることはない、当然ご法話を聞いたこともない両親でした。
 何を間違えたか、娘が寺に縁づいたことで、やっとE寺さんにお参りするようになった母です。

 今では、わかり顔の両親ですが、私が寺に嫁に来てなかったら、仏教に縁がないままだったかもしれません。

 私が学生の時亡くなった祖母の33回忌。 夫が調声をつとめ、みんなで「正信偈」をおつとめ、その後、居間で新しいテレビを自慢しながら、一緒に昼食をとりました。高齢の両親が来てくれて幸せなひとときでした。
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多方面で

2006年11月02日 | 仏教
 きょう届いた「本願寺新報」(本願寺から月3回発行されている新聞)を見て、「ああなるほど」と思ったこと。
 10月からのNHK朝の連続テレビ小説「芋たこなんきん」に僧侶役で出演の石田太郎さん(刑事コロンボの声優さんでもある)は、実は、本当の浄土真宗寺院ご住職なのです
 あの法衣姿は自前らしい。

 植木等さんが真宗寺院の出なのは、有名ですね。住職であるお父上がスーダラ節の歌詞「わかっちゃいるけど、やめられない」を聞いて、「まさに凡夫の姿を表す奥深い言葉だ」というような意味のことをおっしゃったと聞いたことがあります。

 国立天文台台長さんも、とある真宗寺院の副住職さん。「仏教の教えは科学と何ら矛盾しない、科学も突き詰めれば宗教的になる」というようなことをおっしゃっている記事がありました。

 意外で面白いのは、「クレヨンしんちゃん」の脚本を書いておられた方が、現在ご住職になられていること。 「当時、子どもにみせたくない番組の上位に入り、PTAに騒がれると、ますます意欲を燃やしていた」と言うようなコメントをされていて、笑っちゃいました。

 一般の仕事をしながらの住職さんが多いのも浄土真宗ならではでしょうか・・・
普通の家庭生活、社会生活の中での仏教ですから。
 「清貧で、厳しい修行をして・・というのが僧侶だろう」とつっこまれる方にとっては、浄土真宗のお坊さんは生臭坊主でしょうね。

 浄土真宗の僧侶は私が成れたくらいだから、別に立派でも偉くも何ともないのです。自分が仏教を拠り所として、この娑婆世界を生きる。そして、仏事を通して仏さまの願い(仏さまが私たちに望んでおられること)を皆さんに取り次ぐ役目ですから。
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毎月一日

2006年11月01日 | 雑感
 今日は1日。毎月1日は墓参りにみえる方が多いのです。(仏教婦人会会長M・Nさんは、必ず1日と15日にお墓参りにいらっしゃる。)
 
 だから、1日朝は、まず本堂入り口の拭き掃除。山門の掲示板に月替わりで掲示している法語(私が言葉を考え、パソコンの行書体で作成したもの・・習字がヘタなので、手書きができないので)を貼り替える。本堂のカレンダーをめくる。境内掃除。その間、毎朝のおつとめを住職が始めたら、本堂に走って行きお参り。お参りすんだら朝食だから、当然それまでに簡単ながら朝食準備も・・・と結構、走り回る。

 普段だったら、朝のおつとめ(お経)と朝食済んだ後で、のんびり外掃除を始めるのだけど、1日は早朝から墓参り客。
 
 1日早朝からの掃除は「皆さんが気持ちよくお参りできるように心がけて・・・」というのはウソ。
 やはり普段が普段だから、「掃除をさぼっている」と思われたくないがための、自己保身、やむをえない掃除であります。

 
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