お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

別荘

2006年12月17日 | 仏教
 どんより曇った今朝5時すぎから、住職はネットで天気予報・・雲の流れを見て、午前中の境内清掃ができるかどうか判断。う~ん、判断が難しい 
 迷ったあげく、壮年会会長S氏と相談して決行することに。 
 
 信じられないことに雨が上がり、思ったほど寒くなく、日差しまで出て午前中で無事、境内・本堂清掃・おみがきが無事終了いたしました

 午後からみぞれが降り始めたのに、何という運の良さ 住職、坊守はダメだけど、ご門徒皆さんの心がけがいいから  よかった、よかった

 ご多用の中、冷たい風の中ご奉仕いただきました壮年会の皆様、本堂、門徒会館、仏具おみがきにご奉仕いただいた女性の皆様、お疲れ様でした。厚く御礼申し上げます。

 くりかえしになりますが、お寺は死に関わる、葬式、法事、墓守のためだけにあるのでなく、自分の思いにとらわれて、悩み苦しむ私自身の心を仏さまに問う道場であることが一番の存在理由です。

 悟りとは何か、仏とは何なのかを学ぶことで、本当のことに気づかされる場です。仲間で楽しく仏教を聞いてゆく場です。生きてゆくのが楽になる所、肩の力が抜ける所がお寺です。

 お寺は、そういうご門徒皆さんの共有財産、別荘みたいなものです。
 日常の場がご自分の家ならば、日常をちょっと離れ、日常をふり返る場がお寺。憩いのセカンドハウス・・・そう受けとってくださるご門徒さんばかりだと楽なのですが・・・

 「お寺は葬式・法事のためだけにあり、自分の日常に何の関係もない」と思いこんでおられる方が多く・・・残念です。(そういう方は自分ちの墓参りにしかお出でになりません)

 そのような方々にとっては、「暮れの忙しい中、何でお寺に奉仕に行かなきゃならないのか 葬式・法事で用がある時だけ、おとなしくお経を上げてくれれば、それでいいのに・・・法座にお参り来て話聞けとか、奉仕に来いとか、寄付してくれとか・・・全くお寺は付き合いが面倒くさい」と思われているんだろうな・・・ 

 そんな方ばかり増えてしまったら、心のための別荘、存在危うし 

 
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おみがき

2006年12月16日 | 行事・案内
 昨日は頭痛に吐き気まで・・ノロウイルスなのか、単なる頭痛のせいなのか
夜は早々ふとんへ。睡眠たっぷりとったら、今朝は食欲も回復。よかった、ひどくならなくて。
 
 午前中に本堂花生け、年賀状印刷、午後珍しく夫が在宅だったので、留守番交代して、私は久々に美容院へ。
 
 シャンプーの後、熱いタオルで首筋から頭全体蒸し、サービスで肩もみしてくださったら、頭痛が和らぎ楽になりました。やはり、私の頭痛は、血の巡りが悪いためのようです。

 明日は9時から、暮れの本堂・境内清掃と「おみがき」です。仏教壮年会・婦人会(当番制で)のご門徒さんが奉仕作業においでくださいます。

 「おみがき」とは仏具を磨くこと。本堂の仏具をはずして、それを女性陣が、金属磨き粉と歯ブラシ、新聞、布でピカピカに磨きあげていきます。
 
 最近は、おみがき用の液体(私は化学に疎いので成分はわかりません)があって、たらいに水で薄めたその液体を用意し、仏具を30秒ドボンと漬け、その後水洗いするだけで、OK。新品のように輝く・・・そういう簡単なものもあります。

 今夜から雨・・明日はこの冬一番の寒気が流れ込み極寒らしい・・・明日の境内清掃は決行できるか・・・心配です。
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話す・聞く

2006年12月15日 | 行事・案内
 きょうは久々に晴れ。 暖かい内にと外掃除、風呂場、洗面台などの大掃除をしました。

 毎月15日の午後1時半からは、ご門徒女性の「おしゃべり会」
 
 ご自分達でお茶菓子を持ち寄って、楽しみに集まられています。
 
 話題はいろいろ、料理講習から家庭内の愚痴まで・・・
 青春時代は戦争中、明治生まれのやかましい姑に仕え、今は、自己主張の強い嫁に気を遣いながら生活しておられる年代の方々です。精神衛生上、お互い愚痴を話し、聞いてもらうのも大切なことです。
 でも、皆さん明るい 笑いが絶えません。

 今朝の連続テレビ小説「芋たこなんきん」で、夫婦・親子間で話をすること、話を聞くことの大切さを主人公が語っていましたね。

 ウチの娘も3月の卒業をひかえて、卒論、実験、卒業には関係ないが別の資格上受けている講義、その上、仕事までかかえて、充分睡眠もとれない状態。イライラ、頭がパニックになると、私に電話してくる。 ただ、話を聞いて、娘の気持ちを受けとめることが大切なのに、つい、要らんことを言って、娘を怒らせる。(未熟な母だけど、親子ならではの遠慮のない物言いだからね。キツイ時は泣きついてね

 以前ビハーラの研修で「傾聴」の講義を受けたことがありますが、ただただ静かに相手の思いを聞く・・・すぐ自分の考えを言いたくなるのを押さえて、相手の気持ちだけに耳を傾ける・・・

 人として、「あの人に話を聞いてもらいたい」と思ってもらえるように、相手が安心して苦しい胸の内を話せるように、なりたい・・と思います。まだまだです。

 
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ダーナ

2006年12月14日 | 仏教
 昨日ビハーラ(仏教版ホスピス)の会で、老人施設を訪問。
 開始時刻になっても担当住職が来ない・・・ホールには入所者の方々がお集まりというのに・・・
 やむなく、その場にいた坊守二人でおつとめ、法話することに・・・もう一人のS寺坊守が「私がおつとめ(お経)するから、法話お願いね」とさっさと美声で勤行を始め、私は突然、何を話したらいいか・・お経を称えつつ頭は、話の段取りで一杯。悪い頭をフル回転。
 
 おつとめ終えたS寺坊守の彼女と「交代で10分ずつ話そう」と提案し、マイクを握る私。 まあ、お年寄りの前で何とか場をつなぐことができました。

 遅れてビハーラの会代表のS寺住職H氏が登場。私がバトンタッチして、話かけていたS寺坊守と交代(おばちゃん達は「彼女の話がもっと聞きたかった」と)、H氏ご法話が始まりました。ふう
 突然のことであわてましたが、私なりの布施をさせていただきました。
 
 梵語ダーナ、漢字で「檀那(だんな)」は「布施」の意味です。
  
 あれ・・・夫を「だんな」と呼ぶのは、妻に布施をしろと言うことか
 日本で「檀那」は施主の意味で使われるから、布施とは、ちょっと違うけど、やはり同じことのような気も・・・

 「布施」と言うとお寺に差し出すお金、お経料みたいな誤解がありますが、布施もいろいろあるんです。

 僧侶が仏法をお伝えするのは「法施」
 お金や物を施すのが「財施」
 人に慰安を施す「無畏施」
 
「無財の七施」というのもあるんです。
1.顔施(げんせ)= あたたかい眼差し 
2.和顔悦色施(わげんえつじきせ)= にこやかな表情 
3.言辞施(ごんじせ)= やさしい言葉 
4.身施(しんせ)= 精一杯の行い 
5.心施(しんせ)= 慈しみ深い心 
6.床座施(しょうざせ)= 人にあたたかい席を 
7.房舎施(ぼうしゃせ) = 人を気持ちよく迎える心がけ

 いずれも「してやった」と恩着せがましく思うのは「ダーナ」にならないんです。
 「させていただいて、ありがとう」の気持ちが「ダーナ」・布施であります。

 

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柳のように

2006年12月13日 | 仏教
 作家の五木寛之氏が、佐賀龍谷学園の講演会で話されて印象に残っている言葉・・・氏の著書にも出てきますが、心を木に例えた表現があります。

 太い硬い木は、丈夫そうに見えるが、風雪を受けると、案外ポキッと簡単に折れてしまう。一見弱そうな柳の木だが、風の吹くままゆられ、積雪の重みにも垂れ下がって耐え、雪解けを待って折れない。(原文の主旨だけ書かせていただきました)

 講演を聴いて、さすが作家ならではの例えと表現力と感動いたしました。
 ご承知の通り、五木寛之さんは浄土真宗を学ばれた方で、根底に親鸞聖人の教えをお持ちです。

 ドライに頑張るのはカッコイイけど、プライドが高すぎるとポキッと折れてしまうかもしれない。

 ウエットで、ぶざまかもしれないが、悲しいときは素直に泣く・・・
 泣くことも癒しだそうです。思い切り泣いた後、新しい自分が見えてくる。
 
 避けようのない風雪を泣いて受け入れた後、やがて春も来るんだということでしょうね。風雪があるからこそ、春の喜びもより大きい。
 その時は重かった雪も、のりこえた後に「思い出」に変わってゆくのだと思います。

 柳のようにしなやかな心で生きてゆけたら・・・理想ですね。
 

 
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娑婆(しゃば)

2006年12月12日 | 仏教
 刑務所から出所することを「娑婆に出る」とドラマで言われる。どちらかと言うと「解放される」というイメージかもしれませんが、意味は逆。仏教語です。

 「娑婆」は梵語サーハーの音写、堪忍土・苦悩を堪え忍ばねばならない世界。この世のことです。
 
 今たまたま健康にも家族友人にも金銭的にも恵まれて生活している方は、思い通りに生きておられるかもしれませんが、諸行無常・・・全ては一瞬、一瞬変わりゆく(常なるものはない)ので何時、何が起こり、どうなるかわかないこの世です。

 思い通りにならないのが、現実の世界。

 本願寺の月刊誌「大乗」12月号のご門主法話のなかに
「浄土真宗ではどうして修行をしないのか、という質問を受けることがあります。教えに沿って言えば、すべてを本願におまかせするからですが、わが身に即して言えば、難しい修行をしなくても、人生には難問がいくつもあるからだと味わえます。」とあります。

 娑婆世界で、この人生を生き抜くこと・・・これこそ厳しい修行かもしれません。

 
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たたり

2006年12月11日 | 仏教
 普段全く、お寺にお参りに来られない方が、突然お出でになる。
 「先日、思わぬ事故に遭いまして、ちゃんと先祖供養をしていなかったせいだと思いますので、お経を上げてください」

 そう言われて、こちらの本音は
 「あのねえ。 あなたが事故に遭ったのを先祖のせいにしちゃ、ご先祖様に失礼でしょうが・・・
 
 人間生きてりゃ、病気になることも、事故に遭うこともありますって もし、今まであなたが何の事件事故にも遭わずに生きてこられたのなら、それこそ有り難いことだったのに、何事も不都合なことが身の上に起こらないことを当たり前と勘違いして生きてこられたのですか
 
 お経はたたりがないように、死者のためにあげる呪文じゃありませんお経は私のための仏さまの説法なんです。
 
 仏さままで自分の都合に合わせて利用しようとする、そんなあさましい自分に気づかないと人生の悩みは根本解決しませんって
 私一人ひとりの自己中心の心を仏に問うのが仏教なんですから

 と、ズケズケ言いたいところですが、そこは堪えて穏やかに言葉を選んでお話し、ご一緒におつとめします。

 どこまで分かって頂けたかわかりませんが・・・

「何だ、仏教は役にたたん 家内安全・交通安全にも、たたりを鎮めることにも役にたたん」と相変わらず自己中心的な誤解をし、思いこまれただけなら、悲しいことですが・・・
 
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少年連盟「ウインタースクール」

2006年12月10日 | 行事・案内
 毎年12月24,25日、本願寺佐賀会館一泊で 佐賀教区少年連盟「ウインタースクール」が開催されます。

 日程を見てお気づきの通り、冬休みに入ってすぐだから・・・というより、わざとクリスマスに日程を合わせて子ども達の集いを開いています。
 参加対象は小学4年生~中学生まで。

 会館でお経をあげたり、お話を聞いたりだけでなく、クリスマスで賑わう街頭に立って歳末助け合いの募金活動をします。(集まった募金は公的機関へ寄付。子どもに募金させて、お寺が着服しているわけではありませんので、ご安心を

 ウチの子も小さい時は、毎年参加していました(させていました)。結構楽しんで行っていました。

 今年も「ウインタースクール」として、24日午後から25日正午までの日程で少年連盟役員さん(教区の担当ご住職方)が企画してくださっています。
 
 参加費は、1泊2食で1,000円です。法専寺ご門徒お子さんで参加してくださる方がおられましたら、お知らせください。

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その16 成道会(じょうどうえ)

2006年12月09日 | 仏教
 昨日12月8日は、お釈迦様が悟りを開かれた日 とされています。
 
 お釈迦様は紀元前5世紀頃、インド北辺・現在のネパール・ヒマラヤ山麓の釈迦族の王子として誕生。何不自由ない王宮の生活を捨てて29才で出家。
 悟りを開いて「仏」と成られたのが35才、12月8日の明け方だったと言われています。

 お釈迦様のお徳を讃え、仏の教えに帰依して生きようとする集いが「成道会」

 法専寺では特に法座を行っていないので、「成道会」をご存じないご門徒さんも多いかもしれません。 

 私は昨夜は成道会ならぬ、クリスマスのイルミネーション輝く場所にいました。

 夕方、仕事上の飲み会がある夫を会場に送った後、5日にオープンした巨大ショッピングセンター・○めタウンへ。 
 迷子になる広さなので、方向オンチの私は、しっかり駐車場所を確認、入り口確認
 2時間ほど歩き回って一通り見て回りましたが、圧倒的な物量  「お金で買えないものはない」と言った人がいましたが、おしゃれな飾り、楽しい音楽、娯楽施設・・あれだけ欲をそそる物に囲まれたら「お金さえあれば幸せ」を錯覚してしまいますね。都会では、ありふれた光景でしょうが、田舎もんは、びっくりです。
 
 私のお目当ては○伊國屋書店
 本が見つけやすく工夫されている。そして、何より感激したのが、仏教書が結構そろっていたこと 

 今まで普通の本屋さんでは、宗教関係と言えば新興宗教や占いの著書が並んでいるだけ・・とても残念に思っていました。
 なのに、本願寺出版社の本まで並んでいるじゃないですか

というわけで、結局仏教書を2冊購入。私の楽しい成道会の夜でありました     
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その15 我執(がしゅう)

2006年12月08日 | 仏教
 今度の日曜日、佐賀教区の「若婦人の集い」があります。
 今回、法専寺が出席当番に当たっているので、気安いご門徒さん宅の若奥さんに出席をお願い。 内1名がお仕事の都合で欠席になってしまいました。
 
 若婦人は「45歳以下」という規定になっています。
 若いうちから仏法を聴聞していただくのが理想ですが、現実はそうはいきません。土日と言えども、育児、お仕事、子どもが少し大きくなると部活、塾の送り迎え・・・本当にご多忙です。なかなか法座の聴聞にはおいでいただけません。
 
 やむなく、私も若作りで45歳以下にまぎれて参加することに・・・だいぶ、無理があるけど、精神年齢は低いってことで・・・

 きょうの仏教語は、「我執」です。

 「我執」とは、自分の思い(価値観・感情)に、とらわれることです。

 仏教では我執を離れることを理想とします。

 本当は無色のものを、各人自分の思いで、いろんな色に見立ててしまう。
 
 自分自身だってその場その時の感情、思いで心コロコロなのに、「自分は正しい」と思い込む。自分の考えこそが「正義」だと思って譲らない。

 人間の「正義」は、危険です。自分色の「正義」による紛争がなくなりません。

 お互い「我執」に陥る自分の危うさに気づいて生活したら、少しはお互い尊重できるのではないでしょうか

と、言いつつ、自己主張の強い私ですが・・・
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