お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

福島被災地 支縁の旅 2日目 その3 

2015年09月07日 | 行事・案内


 帰宅困難地区の大熊町から会津若松に避難されておられる女性方が立ち上げられたブランド・會空(あいくー)です。写真 ↑

 パリにも行かれ、海外デビューも果たされたそうです。(ネットで購入できるそうです

 さて、昨日の続きです。 

 H寺さんでの、大熊町の方々との意見交換会で、大変つらい、厳しいお話を伺った後、

 「あいくー」の若手女性の方々が、これまた見事な手作り布芝居をご披露くださいました。

  

  

 演目は、小夜姫さんと、大熊町の美しい自然、川のせせらぎ が出てくる大熊町の民話。← すみません、題名を失念しました。

 布芝居を終えられて、代表者が挨拶の折、美しかった大熊町を大切に思う旨を語られ、涙ぐんでおられました。

 今回の大熊町の方々との交流会は、私自身の問題として自分の生き方を振り返る、尊い有り難いご縁でした。

 ご参加くださった大熊町と楢葉町の25名の皆様に深く感謝申し上げます 
 また、場所を提供くださったH寺さまにも御礼申し上げます。

 私が聞かせていただいた原発事故被災の皆様の言葉です。

 「東京オリンピックは、日本全体の国益になるのかもしれないけれど、自分たちの気持ちとしては、わりきれない」
 
 「福島のことが、だんだん忘れ去られるのがつらい」
 
 「原発再稼働と聞くと、福島のことを他人事と思っている原発のある地域で、また、同じ思いをする人が出るのではないか心配」
などなど・・・

 少なくとも、今回、福島にお邪魔した佐賀のメンバーは、福島被災地の方々のお気持ちを決して忘れないと思います
 


 

 
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福島被災地 支縁の旅 2日目 その2

2015年09月06日 | Weblog
 会津美里町の楢葉の仮設住宅訪問。
 福島の新聞社の方が取材にみえていましたので、仏教讃歌や「ふるさと」を歌っているところが掲載されたかもしれません。
 
 楢葉の方との交流会の後は、会津若松市内のH寺さんへ。
 
 H寺さんをお借りし、会津若松に避難しておられる大熊町(原発すぐ近くの町で帰宅困難地区)の方々をお招きしての交流会。

 まず、大熊町の方と佐賀の者が混じって座り、昼食会。
 その後、本堂で、東日本大震災関連で、ご往生された方々を偲んで「追悼法要
 今回、佐賀からの4人の男性僧侶が調声をつとめられ、一同「讃仏偈」のおつとめ。

 
   

 その後、仏教讃歌を披露(参加くださった大熊町のほとんどの方が「仏教讃歌」なるものを初めて知ったと言われていました
ここでも「ひとりじゃなかもん」フラダンス。そして、「上を向いて歩こう」など数曲をご一緒に歌いました。

 門徒会館に戻って、抹茶接待。 皆さん、「美味しい」と、喜んでくださいました。
お抹茶って、ホッとする、不思議に心和むものです。
 佐賀から持参した抹茶碗は、そのままプレゼント。(その他、佐賀の特産品:佐賀のり、嬉野茶、有田焼の食器類など ← 全て、今回の参加者が提供 をプレゼント)


 その後は、団長のS寺前住職さんを司会に、パネルディスカッション(意見交換会)
 まず、3名の大熊町の方が体験やお気持ちを話してくださいました。
 
 1,避難訓練は役に立たなかったこと

  行政、消防、警察など、連絡や指示がバラバラ だった。
  オフサイトセンター(緊急事態対策施設)が、場所によって全く機能しなかった(原発から数kmの施設にヨウ素剤など保管してあったが、何もならなかった)

 2,避難場所の難しさ

  昼間の災害だったため、家族はバラバラ。避難場所もいろいろ。あの寒さの中、コンクリート床の倉庫に段ボール1枚で過ごした所も。
 
  食事の配給も2日間でおにぎり1個であったり。ジャムパンばかり大量に来て、3食ジャムパンだったり・・・

  避難場所では、高齢者の枕元で子どもが走り回る。苛立った大人が赤ん坊の泣き声がうるさいとどなる 等など

 1,2は、震災が原因ですが、3は、福島第1原子力発電所事故のせいです。(想定できた地震、津波の対策を東電はとっていなかった)

 3,帰宅困難地区の方は、故郷がなくなった

 家はほとんど壊れていません。一時的な(数日の)避難だと思って、何が何だかわからないまま、家を出られました。
 
 2世代、3世代で住んでいた広々した立派な家、美しい自然、先祖代々の田畑、山林、墓地、近所とのお付き合いも・・・生活の全てを無くされました。
 
 ほとんどの方が、病気(身体も、心の病も)を発症。

 でも、負けてたまるかと気力をふりしぼり、また、あたたい励ましにふれて、何とか生きてきた と、聞かせていただきました。
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福島被災地 支縁の旅 2日目 その1

2015年09月05日 | 行事・案内
 2日目は、一同おそろいの「ひとりじゃなかもん SAGA」Tシャツを着て活動

  

 まず、宿泊ホテルから歩いて10分のS寺さん(同じく「んだんだの会」で活動されている)にて、おあさじ(早朝の勤行)のお参り。ホテルに戻り、朝食後、バスで出発。

 会津美里町の楢葉仮設住宅(楢葉町の方々が避難生活をされている仮設の住宅地)を訪問。

 お世話役の方々に、空き室になっている仮設住宅内をご案内いただき、お話を伺いました。
 仮設住宅ですから、寒さ、猛暑は耐えがたいと思われます。声も筒抜けで、プライバシーもないでしょう。
 テレビのチャンネルを変えると、お隣の部屋まで、チャンネルが変わってしまうことがあるそうです。

 当初は、雨樋も雪よけもなかったそうで、後から設置されたそうです。 棟ごとに建設メーカーが異なり、同一ではないため、後からの雨樋、雪よけを設置する際もご苦労があったようです。

 仮設住宅では、竹細工をされておられる方、古着を編んで、わらじを作っているグループもおられます。
 
   

   

 私が買った わらじ ↓

   

  
 
 サポートセンター(仮設住宅の中の集会所) にて、楢葉町の方々と交流。

 楢葉は、太平洋側で、雪が降らないので、内陸部の会津に来て、一晩で積雪50cmに、驚かれたそうです。

 そうです、福島県は広いのです

 都道府県面積、1位は北海道。2位が岩手で、3位が福島ってこと、ご存じでしたか

 集会所では、仏教讃歌を披露 、神埼S寺さん発祥の「ひとりじゃなかもん」も、一同歌いました。
 「ひとりじゃなかもん」の歌の時は、S寺さんのご門徒女性フラダンスチームが衣装に着替え、手話をフラダンス風に振り付けた踊りも披露。
 最後に、楢葉の方々と一緒に「ふるさと」を歌いました。
 涙、涙でした・・・

 楢葉は、このたび、避難解除になりましたが、帰宅される方は10%くらいだそうです。
帰っても(もともとあった)お店や病院が、今はない。 片道1時間半かけて病院に行かねばならない状況だそうです。

 
 

 
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福島被災地 支縁 の旅 1日目

2015年09月04日 | 行事・案内
 9月1日、本願寺派佐賀教区の有志(45名) 福岡空港から仙台空港へ。

 仙台空港(名取市、岩沼市)は、海のすぐ近くですから、津波で大被害だったことは、ご存知の通りです。
 3日間お世話になったバスは、空港同様、震災津波で大被害を受けられた仙台バス。
 仙台バスにて、一同、仙台空港から福島へ。

 

 3年前(震災の翌年)仙台空港から高速にのった時、高速道路をはさんで海側は、津波被害で、本当に何にも無い(ガレキは撤去されていたので、ただただ広大な真っ平らな泥地があるのみ)状態でしたが、今回は、ちらほら建物や田んぼも見えました

 まず訪問したのは福島市。市の中心部の民家に開設した本願寺派福島県復興支援宗務所にお参り。

  

 そこで、ご自身も原発事故で自坊に戻ることができない、浪江町のJ寺ご住職のお話を聞かせていただきました。
 本願寺派東北教区相馬組10ケ寺のうち7ケ寺が避難地区にあたることを伺いました。
 お墓も倒壊したまま、放射線量が高くお骨を移すことすらできない現状も伺いました。

福島市から、さらに、内陸部の会津若松へ。
 猪苗代湖近く(今回立ち寄る時間がありませんでしたが、近くに野口英世記念館もある) S寺さんにお参り。
S寺さんは原発事故で会津若松に避難されている方々の支援「んだんだの会」で活動しておられます。

 S寺さんでは、佐賀の参加者全員で仏教讃歌も歌わせていただきました。

 その夜は、会津若松で宿泊。夕食は、会津の老舗料亭旅館・田事 にて、郷土料理の通称「わっぱめし」(本当は「めっぱめし」と言うらしいです)
をいただきました。
 
 

 


お料理の数々、何もかも、とても美味しくいただき、1日目を終えました。

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東日本支縁の会 佐賀

2015年09月03日 | 行事・案内


9月1日から本願寺佐賀教区の有志で福島に来ています。

神埼組S寺さんが声をかけてくださり、「佐賀仏教讃歌の会」の坊守さん方がが中心になってお世話くださっています。
東北の大震災の翌年から毎年訪問。
今回は第4回目。私は3年前の第1回に参加させていただいて以来、2回目の参加です。

この会は、「支援」ではなく、いろいろな縁をつなぐ、支える「支縁」の会です。

今回も私自身、貴重な有り難い「ご縁」を賜っています。

きょうは3日目、無事帰宅できましたら、詳細をご紹介させていただきます。
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