お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

秋のお彼岸

2015年09月18日 | 仏教
 国会は大荒れ、今後の日本はどうなるのか という騒動の中、
 世間では5連休の「シルバーウィーク」と言われていますが、お寺に住ませていただいている私たちにとっては「お彼岸」週間。

 彼岸花の満開と共に、今年も秋のお彼岸を迎えます。
 「お彼岸」とは煩悩の世界・此岸に対する覚りの世界(仏の境地)を言います。
 

 20日は秋の彼岸の入り、26日まで1週間を「秋のお彼岸」。その中間の「秋分の日」を「秋の彼岸中日」と言います。
 太陽が真西に沈む・・・メラメラと燃えさかる太陽が、静かに美しく沈みゆく 西方浄土 に 心を向ける 1週間です。

 23日(水・秋分の日)は、午後1時半より 法専寺の「彼岸中日法要」です。
 法要後の「仏教婦人会秋の例会」の中で、
 先日の「東北支縁の会 佐賀」で訪問した福島県の現状を法専寺から参加した2名(前 仏教婦人会会長で、現 総代さんのM・Yさんと私)で、報告させていただく予定です。
 どうぞ、法要後の「仏婦例会」に、男性方も残ってくださいますようご案内申し上げます
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鍋島藩祖

2015年09月17日 | 佐賀ネタ


童門冬二氏が書かれた「鍋島直茂」

 2001年の出版ですが、私は、最近、町内の市立図書館分室で見つけ、遅ればせながら拝読。
 
 いや~ 面白かった~
 NHKの大河ドラマにもってこいだと思いました
 

 鍋島直茂(1538年~1618年)は、戦国大名・龍造寺の家老で、後、秀吉、家康に仕え、肥前(佐賀)鍋島藩の基礎を築いた武将です。
 自身は、隠居したので、鍋島藩の初代は、息子の勝茂。
 よって、鍋島直茂は鍋島藩祖と言われています。

 佐賀県庁近くに、佐嘉(さが)神社という大きな神社があり、この境内に「松原神社」(佐嘉神社より「松原神社」が、もちろん、古いのですが)があります。
 松原神社が、藩祖・鍋島直茂をおまつりした神社。
 直茂の法号から「日峯(にっぽう)さん」と呼ばれ、春と秋にはお祭りがあります。

 ちなみに、池坊の師匠方が、年2回の「日峯さん」のお祭りの折、生け花作品をズラリ展示され、境内をお花で彩られています。

 
 
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9月の言葉 その3

2015年09月16日 | 仏教
法専寺山門掲示板の今月の言葉は

 日常生活に 仏教は ありますか?
 自分の価値観のみを 基準とする
 自分教 に なっていませんか?
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前門主さまの本

2015年09月15日 | 本紹介
 

 本山から、ご案内をいただきました。写真 ↑
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9月の言葉 その2

2015年09月14日 | 仏教
 東井義雄先生の言葉でつづる 「ほのぼのカレンダー」9月の言葉は

 力をぬいた とたん
 世界が ひらける


 宇宙ステーションで活動中の宇宙飛行士の油井さんが
地球上争いや環境破壊を悲しむ発言をしておられましたが、

ついつい「私が正しい」「私は間違ってない」「アイツらは許せん」「今、自分たちさえよければ」と、自我に凝り固まってしまう「私」がいます。

 他力(努力放棄、人任せの意味ではなく、仏さまの御心)に ゆだねる時
凝り固まった、小さな自我から解き放たれて、 宇宙から地球を眺めるような視点を恵まれるのでありましょう。 
 


 
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9月の言葉

2015年09月13日 | 仏教
  

 それにしても日本列島は何と大災害の多い国でしょう。
 地震、竜巻、台風、大雨、火山の噴火・・・
 
 私は今のところ、災害に遭わず、日常生活の中で、するべき事に追われ、元気にドタバタさせてもらっています。
 でも、「今のところは」です。ニュースで「他人事」と見ていても、自分が当事者になる日は来るでしょう。

 ドタバタしているうちに、9月も中旬になりました。
 秋のお彼岸が近づき、境内に彼岸花が咲き始めました。

 さて、法語カレンダー9月の言葉は、元 大谷大学学長 正親含英(おうぎがんえい)師の言葉

 煩悩の嵐の中にも
 念仏において 本願の呼び声が
 聞こえてくる


 苦悩の中にあっても
 仏さまに心を合わせる念仏を称える時
 どうしようもない苦悩をかかえた中に、仏さまが私に何を願われているのか、何を呼びかけておられるのか
 気づかせていただけるのでありましょう。

 気づかせていただく中に
 ただ、苦悩に沈んでしまわず、報恩感謝の心(柔らかい心)に恵まれるのだと、味わせていただいています。

 
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池坊佐賀支部花展

2015年09月11日 | 佐賀ネタ
  

 きょうから、ゆめタウン佐賀にて、池坊佐賀支部の花展が始まりました。

 店舗の1階通路に、ずら~りと作品が並んでいます。

 写真 ↑ は、師匠の作品。

 私は、前期の展示なので、きょうと明日。
 娘は、後期の展示なので、その後2日間。

 今朝は早起きして、花器、剣山、立てるだけに仕上げた花材、ペットボトルに水、雑巾など、大荷物を持って、ゆめタウンへ 

 7:00から生け込み開始。業務用の通路から1人ひとり警備員さんのチェック(受付)をうけて、店内へ。
 まだ店内の照明がない薄暗い中、生けたので、照明がつくと、「あらあら・・・」アラばかりが見えて・・・
 そこは、イイカゲン、テキトーな性格が出て、「ま、いいかっ」てことで帰宅。

  

 今回、展示させていただいている立花です。写真 ↑

 
 

 

 
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福島被災地 支縁の旅 3日目 その2

2015年09月10日 | 行事・案内
 塩屋崎灯台に上った後は、近くの小名浜漁港の大きな魚屋さんのレストランで昼食。

 1階の店舗には、全国あちらこちらからの鮮魚、乾物、加工品などが並んでいるのは見ていたのですが、
後日、今回の「支縁の会」団長のS寺前住職さまから頂いたお葉書で、初めて知ったこと(S寺前住職T師が書かれた文章を一部)をご紹介します)

 店舗には北海道のサンマや大分の牡蠣が並び、昼食には呼子のイカが出ました。週1回の漁にしか出られず、獲ることも、まして売ることもできない。「被災漁師」の人々に全国の漁業者が毎日空輸で支援して下さるお魚が、店頭や食事処に並ぶ

 苦境の小名浜ですが、観光客で賑わっていました。レストランもフル回転、時間交代で満席。

 美味しい昼食後は、いわき市から、国道6号線(仙台 ⇔ 東京・日本橋 間 の国道で、一番太平洋側の道、つまり、福島原発に一番近く、しばらく通行止めだった道路)を 北上。

 
 
 今は、誰もいない、楢葉の道の駅。
今、ここは、警察の臨時庁舎になっています。(おそらく、全面通行止めの期間は、全国から応援に行った警察官が、立ち入り禁止のガードしておられたのでしょう)
 我々は、ここでトイレだけ、短時間の休憩。

  

 この楢葉の道の駅から先は、車から降りることはできません。車に外気をとりいれることはできません
 
 通行量は、多いです。大型トラックが目立ちます。荷台に黒いビニール袋を積んだ車輌が目立ちます。
 黒のビニール袋の中は、汚染されたガレキや土など。

 住宅地などの土を5cm削って、除染しているらしいですが、山林は除染できません。雨が降れば、山から放射性物質が流れてきます。
 その繰り返しだそうです。

 楢葉から富岡町、さらに北上して、福島第1原発のある大熊町、双葉町、国道6号線は、原発から最短2kmの所を通っています。

 この辺りは、決して過疎地ではありません。たくさんの方(帰宅困難区域は、約25,280人の方、昼間だけ一時的に帰宅できる居住制限区域には、約24,620人)が住んでおられました。

 どこの地方都市でも見かける全国展開の衣料品店も地震でガラスが壊れたまま・・・洋服も吊り下がったまま・・・
 家屋の倒壊は、見えません。ただ、人が住んでいない、ゴーストタウン。
 
 色も匂いもない放射性物質。草は生い茂り、川は何事もなかったかのようにサラサラと流れています。

 国道には、所々、放射線量の数値を知らせる電光掲示板があります。

 浪江町を抜け、南相馬市に入ると、ここは原発から20km圏外ということで、事務所などでは普通に仕事をしておられるように見えました。

 南相馬市のK寺さんは、震災後の漏電で、本堂庫裏を全焼。立派な梵鐘のみが残っています。
この辺りは、まだ除染作業が続いていました。

 

 「除染作業中」の赤い旗印が・・・写真 ↑

 今回の支縁の旅、最後は、本願寺派東北教区相馬組の中で避難区域に当たらなかった、南相馬市のJ寺さんにお参り。
 一同で勤行の後、J寺ご住職のお話を聞かせていただきました。 
 相馬組のどこのお寺もたくさんのご門徒さんが亡くなられています。J寺さんも同じ。まだ4名のご門徒さんが行方不明とのことでした。
 J寺さんでも、一同、心をこめて、仏教讃歌を歌わせていただきました。 歌いながら、私はまたも泣いてしまいました。

 J寺さん参拝の後は、常磐道(高速)に入り、北上。仙台空港から福岡行きの最終便にて帰路につきました。

 2泊3日の福島被災地支縁の旅は、こうして終わりました。
 今回、「東日本支縁の会 佐賀」の一員に加えていただき、私自身は、ただ同行したにすぎず、「支縁」(縁を支える)には、なっていませんが、私の心に、本当にたくさんの「ご縁」を賜りました。
 福島の皆様、お世話になりました。また、この旅をお世話いただいた団長ご夫妻はじめ、お世話になった皆様に厚く御礼申し上げます。
 有り難うございました  南無阿弥陀仏

 

 
 

 



 
 
 

 

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福島被災地 支縁の旅 3日目 その1

2015年09月09日 | 行事・案内
 原発事故で避難を余儀なくされた、富岡町のK寺さま(原発から9.7km)が、現在、いわき市(原発から50km)の民家を購入して、寺院活動をしておられます。

 「支縁の旅」3日目は、まず、K寺さまにお参りさせていただき、90才を越えられたご住職からお話を伺いました。

 原発事故直後は、何も知らずに普通に自坊で生活されていたそうです。
 そこへ、避難指示が出て、何が何だかわからないまま避難。避難所に到着すると、まず、放射線量を測定されたそうです。
 放射線というのは、足下に溜まるそうで、まず、足の裏を調べられたとのことです
 
 現在のいわき市の民家に落ち着き、寺院を再開するまでは、避難所、お子さんの所など、転々とされたそうです。
 ご自身、体調を崩され入院されたこともあったそうです。
 同級生の僧侶仲間がとても心配してくれ、その心配してくれていた友人が先にご往生されたこともお話くださいました。
 
 淡々とお話くださいましたが、この4年半の大変なご苦労が偲ばれました。

 K寺さんお参りの後は、いわき市内の海岸部、津波で被害を受けられた地区に回りました。


  

 写真 ↑ の沿岸部は、元は住宅があった所です。

 現在は堤防と、土地の嵩上げ工事が行われています。

 上の写真を含めて、いわき市の塩屋崎灯台展望台からの写真です。
 

   

 まず、灯台まで坂道を登り、さらに灯台の展望台まで階段で上ります。 階段は106段。
Yさんが「煩悩の数より少ない いや、私自身は108どころじゃない煩悩を抱えていそう・・・」
 皆も笑って同意、
「もう2度と来られないだろうから」と、頑張って上りました。

 お天気にも恵まれ、美しい眺め。今は、穏やかな海。

  

  

  

 灯台の入り口案内の女性職員さんは、4年前のあの3月11日も灯台に1人でおられたとのことです。
 地震で、灯台付近は倒壊したと、聞きましたので、「どうやって避難されたのですか」と尋ねましたら、「下とは連絡とれないし、もう、無我夢中で・・・」と仰っていました。

 灯台は、2011年11月30日に再灯火されたそうです。

 ちなみに、塩谷岬の麓には、美空ひばりさんの「みだれ髪」の歌碑があります。

   

 この碑があるあたりは、津波の被害を受けなかったそうです。
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福島被災地 支縁の旅 2日目 その4

2015年09月08日 | 行事・案内
 会津若松での大熊町の方々との交流会の後は、福島県南部海岸沿いの いわき市へ。

 いわき市には、映画「フラガール」(佐賀県鳥栖市出身の女優・松雪泰子さんが出演)の舞台となった現・スパリゾートハワイアンズがあります。

 2日目夜は、ここに宿泊。写真 ↓

 巨大なホテル。たくさんの宿泊客。平日なのに満室だったらしい 大盛況で何よりです。
 あまりに広すぎて、方向音痴の私は、部屋に戻るのに迷子になりかけました。

  

 夜は、フラダンスのショーを楽しみました。 フラガールの美しいこと

 今年は、フラガール50周年。ちょうど節目の記念の年にご縁に遇えて、うれしいことでした。

 
  


 いわき市のたくさんの方が、このリゾート施設の仕事に関わっておられるように推察いたしました。

 そう言えば、何と、同じ浄土真宗本願寺派の大阪教区仏教婦人会の方々も宿泊しておられました。
 大阪弁なのですくにわかって、エレベーターで、数名の方とご一緒した時、お声をかけ、少しお話しました。
 同じように「支援の旅」で、来ておられたようです。

 こうして、支縁の旅2日目は、泣いたり、笑ったり・・・言葉に尽くせない感動の1日を過ごしました。
 

 
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