他項で「過去バーで飲んだものの中でもベストに近い」などと書いたので、では、ベストだと思っているものの事を書こう。
数年前に横浜のバー「P」へと行った。
大正時代に開店し(!)、初代のマスターがお亡くなりになった後は、残された奥様(かなり年齢差があったらしい)が店を守り続けたのである。私が行った時には「(私の代になって)もう47年目なのよ」とママが言っていた。
もちろん有名なこの店では、マティーニが名物ということで、早速それを注文した。すると何たることであろうか。カウンターの上にあるボトルのジンをつかい(*1)、ミキシンググラスにベルモット、氷を入れると勢いよくガラガラと混ぜ(*2)、少々こぼしながらグラスに注いで出してくれるではないか・・・
内心、「過去の名バーも、ママが歳を取ったので今は名ばかりか。想い出に一杯だけ飲んで帰ろう」と思い、マティーニに口をつけて驚いた。まず、冷え加減は冷たすぎずしかし十分に冷えており、マティーニの温度はこれ以外になかったと思い知らされるほどである。また味も、ジンとベルモットの配合は絶妙で冷えているのに強いという2条件を完璧に満たしている。
ため息と共に「うまいっ!」というと、ママは「毎日作っているからね」と余裕の表情であった(池波正太郎のエッセイによると、いつもこう言うらしい)。「途中でパールオニオンを食べて、また飲んでごらん」といわれるままにすると、酸味の効いたオニオンのせいか、甘みが増して感じられる(*3)。
あまりの衝撃に、普段同じものを注文しない私が、2・3杯目もマティーニを飲みながら、ママの話を聞く。「毎日作ってるから」と言ったものの、この年は体を悪くして3ヶ月程入院していたらしい。トレードマークであった着物の着付けも難しく、洋服で店に出ているとのことであった。
3杯目を注文するときには、「あなたこのカクテル強いのよ、大丈夫」と止められたのだが、止めるわけには行かない。「いやー、結構酒は強いですよ」と言いつつ、ここに来る前にもう1軒行っているので、実は6杯目である。
もう少しこの店とママとの会話を楽しみたかったが(客は私一人)、もう飲めない。最後に「手、握っていいですか」と両手でママの手を握らせていただいて、おいとますることにした。まさしく街の達人・人間国宝である。
残念ながら、この後少ししてママはお亡くなりになったらしいのだが、歴史的なバーにぎりぎり間に合って行けた事は私の貴重な体験となった。現在、実は「P」という店はあるのだが、昔とは違うという噂も聞く。
(*1)マティーニにはいろいろな要望を持つ人が多いが、「冷えていること」はかなり絶対条件に近く、ジンは冷凍庫に入っているものを使うことが多い。また、冷蔵庫で冷やしたものに限るという人もいて、非常にうるさい。
(*2)マティーニは冷やすべきなのだが、あの強さを失ってはならないと思う人も多い。使う氷は前日に削り冷凍庫で締めておくとか、事前に水を入れて氷の角や霜を取り去ったり、冷やす間に氷が溶けて薄くならないように非常に気を使うらしい。ステアする時にも音を立てないのがベストで、無音のまま100回ステアするというバーマンもいる。ガラガラ混ぜるなど、普通はもってのほかである。
(*3)普通、マティーニにはオリーブが入っていて、パールオニオンが入るとギブソンというカクテルになる。この店では、パールオニオン入りマティーニなのだが、誰も文句を言えない。
普段の私は、これほどうるさく半可通なことを書かないのだが、ご勘弁を。
数年前に横浜のバー「P」へと行った。
大正時代に開店し(!)、初代のマスターがお亡くなりになった後は、残された奥様(かなり年齢差があったらしい)が店を守り続けたのである。私が行った時には「(私の代になって)もう47年目なのよ」とママが言っていた。
もちろん有名なこの店では、マティーニが名物ということで、早速それを注文した。すると何たることであろうか。カウンターの上にあるボトルのジンをつかい(*1)、ミキシンググラスにベルモット、氷を入れると勢いよくガラガラと混ぜ(*2)、少々こぼしながらグラスに注いで出してくれるではないか・・・
内心、「過去の名バーも、ママが歳を取ったので今は名ばかりか。想い出に一杯だけ飲んで帰ろう」と思い、マティーニに口をつけて驚いた。まず、冷え加減は冷たすぎずしかし十分に冷えており、マティーニの温度はこれ以外になかったと思い知らされるほどである。また味も、ジンとベルモットの配合は絶妙で冷えているのに強いという2条件を完璧に満たしている。
ため息と共に「うまいっ!」というと、ママは「毎日作っているからね」と余裕の表情であった(池波正太郎のエッセイによると、いつもこう言うらしい)。「途中でパールオニオンを食べて、また飲んでごらん」といわれるままにすると、酸味の効いたオニオンのせいか、甘みが増して感じられる(*3)。
あまりの衝撃に、普段同じものを注文しない私が、2・3杯目もマティーニを飲みながら、ママの話を聞く。「毎日作ってるから」と言ったものの、この年は体を悪くして3ヶ月程入院していたらしい。トレードマークであった着物の着付けも難しく、洋服で店に出ているとのことであった。
3杯目を注文するときには、「あなたこのカクテル強いのよ、大丈夫」と止められたのだが、止めるわけには行かない。「いやー、結構酒は強いですよ」と言いつつ、ここに来る前にもう1軒行っているので、実は6杯目である。
もう少しこの店とママとの会話を楽しみたかったが(客は私一人)、もう飲めない。最後に「手、握っていいですか」と両手でママの手を握らせていただいて、おいとますることにした。まさしく街の達人・人間国宝である。
残念ながら、この後少ししてママはお亡くなりになったらしいのだが、歴史的なバーにぎりぎり間に合って行けた事は私の貴重な体験となった。現在、実は「P」という店はあるのだが、昔とは違うという噂も聞く。
(*1)マティーニにはいろいろな要望を持つ人が多いが、「冷えていること」はかなり絶対条件に近く、ジンは冷凍庫に入っているものを使うことが多い。また、冷蔵庫で冷やしたものに限るという人もいて、非常にうるさい。
(*2)マティーニは冷やすべきなのだが、あの強さを失ってはならないと思う人も多い。使う氷は前日に削り冷凍庫で締めておくとか、事前に水を入れて氷の角や霜を取り去ったり、冷やす間に氷が溶けて薄くならないように非常に気を使うらしい。ステアする時にも音を立てないのがベストで、無音のまま100回ステアするというバーマンもいる。ガラガラ混ぜるなど、普通はもってのほかである。
(*3)普通、マティーニにはオリーブが入っていて、パールオニオンが入るとギブソンというカクテルになる。この店では、パールオニオン入りマティーニなのだが、誰も文句を言えない。
普段の私は、これほどうるさく半可通なことを書かないのだが、ご勘弁を。