散歩日記X

札幌を中心に活動しています。食べ歩き・飲み歩き・ギャラリー巡り・読書の記録など

今日は

2009年06月14日 23時33分05秒 | Weblog
今日は天気もあまり良くなく、一歩も外に出ることができなかった。いまだに落ち込みが激しくて物事をする気があまり起きない。

以前、橋本真也が死んだ時に、初めての同時代レスラー(年が同じだったのだ)の死にたまらないものを感じたのだが、三沢の場合は年上だけに少し違う感覚がする。

どうせプロレスなんて八百長だとか、勝敗が最初っから決まってるんだろうとか、色々な事を思っている人もいるだろう。だけど三沢の試合はたとえそうだとしても、凄いのだ。なぜあんなに痛めつけられた人が立ち上がってこれるのだろうか。年間100~200試合もしているのだ。もう今日は負けてもいいじゃないか。見ている側も「もういい、三沢」と何度思ったことだろうか。それでも3カウントを許さないのだ。

最近こそ名勝負が少なくなってはいたが、昔はどんなにセミまでの試合内容が悪くても、「三沢の試合がメインにある」「三沢さんだったら」と思え、テーマ曲「スパルタンX」がかかれば、三沢コールだった。古い雑誌で三沢の試合を振り返っていたのだが、もう一つパッとしないジョニー・エースがメキシカンエースクラッシャーを出して、大爆発となった三冠戦が思い出されてきた。

思えば男兄弟のいない私にとって、三沢は反発しつつも力を認める兄のような、会社の凄く仕事のできる先輩のような人なのかもしれない。

普段飲まない日曜日で、かつ明日は健康診断の日なのだが、今日は飲まずにはおられない。

三沢光晴

2009年06月14日 08時55分01秒 | Weblog
新聞を読んで珍しく絶叫してしまった。
嘘だろう、あの三沢光晴が死んでしまうなんて。

私は札幌で何試合か見ている。
三沢VSスタン・ハンセン
三沢・小橋VS川田・田上
三沢・秋山VSオブライト・ウイリアムス
三沢・田上VS川田・小橋

川田ファンなので、どちらかとするとそれに対峙する位置でしか見ていなかったのだが、それにしても三沢は大きな存在だった。泣きたい気持ちに鞭打って、思い出を書こう。

2代目タイガーマスクは正直見ていないのだが、SWSができるのに伴う全日大量離脱以降、全日本を支えた大選手であろう。新時代のエースとしてここで勝たなければという試合では、ジャンボ鶴田から初勝利(その後、バックドロップ3連発でエライことになったが)、スタン・ハンセンから3冠奪取と結果を残してきた。

そして三沢の3冠V7時代は、あまりの強さにどうやったら勝てるのか、意識を失わせない限り勝てないとまで思ったものだ。V7の中で、確か川田が3敗しており、川田ファンの私としては「どうしても勝てないのか」と慨嘆したものである。

チャンピオンカーニバルも眼窩底骨折しながら強行出場したり、当時はハンセン、ウィリアムス、ゴディ、川田、田上、小橋と連日連夜の勝負で大変なものであった。それ以外にも川田が3冠パワーボムを出した試合や、小橋に雪崩式タイガースープレックスを出した試合や、「ここまでやっていいのか」と見ていられない気持ちになったものである。

タッグでは川田、小橋、秋山と順に組み(最近の小川とのタッグのことは忘れたい)、いずれも名タッグと言えるだろう。三沢・小橋VS川田・田上は私も中島体育センターで見たが、40分という時間を全く感じさせない(それは他の3人の力量も含めてのことだが)素晴らしい試合であった。

それから三沢・小橋VS馬場・ハンセンで、馬場さんからフライングネックブリーカードロップでフォールを奪った試合も懐かしいなあ。

近年はコンディションが悪くなっていたのは間違いないと思う。最後におおっと思ったのは小川直哉とタッグで対戦し、アマレスムーブで相手をコントロールしていた時かなあ。

とにかく現在、脱力感で一杯。もうこれ以上書くことができない。
さようなら、三沢光晴。