散歩日記X

札幌を中心に活動しています。食べ歩き・飲み歩き・ギャラリー巡り・読書の記録など

なぜか岡山(10)

2009年09月20日 20時43分33秒 | 食べ歩き
早めに岡山に戻り、夕食のために電車で移動。バー「S」のマスターに紹介された「Y」という店に行く。店の前には若い二人がなぜか待ち状態。様子を窺うと、15時~16時はご飯ものは休憩状態らしいのだ。約10分店の前で待つことになったが、結果オーライであったようだ。

16時に店内に入り、ともに名物だという中華そば(小)、ドミカツ丼(小)を注文。まだ客も少なめだったため、すぐに注文の中華そばがやってきた。濁りスープに細めの麺、具はチャーシュー、メンマ、ねぎ、細めのもやしである。早速食べると、麺が少々柔らかめだが、味は良い。甘めでちょっと魚の風味もあるスープが美味しいのである。



続いて、カツ丼が到着。2品を見比べるとどちらか普通サイズでよかったかも知れないという気になってきたが、まあそれはしょうがない。早速カツを食べると、揚げたて熱々でまず美味しい。かかっているドミグラスソースは少し甘みあり、酸味ありの味付けだ。もっと食べたいという気持ちが湧きあがってきたが、美味しく完食。



とりあえず両方を食べることができて満足し、店を出たところ16時半という中途半端な時間帯なのに10人ほどの行列ができているのであった。偶然、ちょうど良い時間に訪れたようだ。



今日はやりすぎ防止のため、デパート地下でつまみと酒を買ってホテルに戻る。またもや大浴場で汗を流して、ホテル内でゆっくりと地元の独歩ビール、ワインを飲む。

今日は12961歩。

なぜか岡山(9)

2009年09月20日 15時54分46秒 | ART


昼食を終えて、次の美術館巡りは「倉敷市美術館」である。一つ目の展示は「写真家・中村昭夫の原点1956-1964」である(どんな人かは知らない)。展示は4つのパートから構成されている。

1)倉敷
2)瀬戸内海の漁民
3)李ラインの漁民(一応、どういうものだかは知っている)
4)人間裁判‐朝日訴訟‐(知らなかった。結核患者が最低限人間らしい生活を保証しろと裁判に訴えたものらしい)

綺麗事では済まされないこの地域の状況を撮影した、力強いドキュメンタリー写真である。もう一つの展示が「共鳴する美術2009-表現への挑戦-」という倉敷ゆかりの若手作家の写真・絵画展である。他の美術館でリーフレットを見て、ぜひ現代作家の展覧会を見たくなったのである。

まずはモノクロの風景写真のみを展示していた青地大輔。何気ない雨粒、鳥、建物、樹木を撮影して、静寂というか”無音”を感じさせる作品である。次も写真の杉浦慶太。彼の作品は大部分が真っ黒の背景であり、ポツンと道路わきの風景などを配置しているのだ。「惑星№034」では、川か海に浮かぶ小さな人工島のようなもののある、静かな風景が見て取れる。

変わって絵画の松井えり菜は気持ちが溢れすぎてしまうほどの過剰な画だ。「ふたつの気持ち」では女性の顔が分裂して3つ目になっている。「UNISON!!!!!」では。ドコモタケのような生物と人の顔が合体(というか分離途中?)なのである。また「食物連鎖 Star Wars!」では人の口からクジラやマンモスが飛び出し、さらに背景に恐竜が描かれている宇宙的スケールの作品だ。

最後の藤原裕策は動物のような植物のようなモチーフを細かく描いた作品。上に塗り重ねた色彩をスクラッチで下の白い色を出したり、仕上げの工夫をしている。ということで、全く知らない地域の若手作家の作品を見る機会を持ってよかったと思う。

この後、「児島虎次郎記念館」へ。



まずは若いころのデッサンから。さすがに手堅くて上手い。油彩も結構な点数が展示されており、大作そろいだ。

「姉妹」:金髪、紫のコート、緑色のテーブルクロスと色彩が大胆。
「祭りの夜」:夜だけあって、光の強さはさすがに抑え気味。しかし色彩の過剰さは変わらない。
「奈良公園」:巨大な風景画。これは日本風味というか、全体に中庸な感じを受ける。

以上で疲れ切り、倉敷の街並み散策は程々で岡山に戻る。普段はもう少し落ち着いた良い街なのかもしれないが、今日の大混雑はあまり良い印象ではなかった。とはいえ、私もその一人なのだから、文句を言うことはできない。

***
20090926追記。
松井えり菜の作品は、1点が北原照久所蔵、1点が高橋コレクションであった。何となくわかるような気がする画風である。

なぜか岡山(8)

2009年09月20日 12時31分43秒 | 食べ歩き
この日の昼食は大原美術館そばの「S」という蕎麦屋さんだ。今日の蕎麦粉は雨竜町産のものを使っているらしい。私は天ぷら蕎麦を注文してみた。



蕎麦の量は店によって全く違うものだが、「江戸切り蕎麦」とうたっているこの店の蕎麦は、やっぱり少なかった。蕎麦はゆで加減、香りもかなり良く(新蕎麦だった)、申し分ないのだが、いかんせん量が少ない。天ぷらはエビ、ナス、かぼちゃ、マイタケ、謎の草(?)とこちらも量が少ない。





晩飯はがっちり食べようと、とりあえずは蕎麦湯をたくさん飲んで気を紛らわせるのであった。

なぜか岡山(7)

2009年09月20日 12時21分43秒 | ART
今日はやや遅めに起きて、ホテルの朝食。こちらのホテルではえびめし、味噌汁、サラダ、ハム、ソーセージ、納豆、海苔、白桃のカレー、ままかり、きび団子と岡山の味が楽しめる。



9時頃、倉敷へ移動。電車でわずか十数分と近いので、楽々といける。ところが昨日バーでも聞いたのだが、あまり岡山と倉敷の仲は良くないらしい。合併すればあっという間に政令指定都市になっていたのだが、合併構想は話はあるものの消えてしまうようである。元々、倉敷が天領であったためという話も聞いたが…。



まずはまっすぐ大原美術館へ。やっぱりという感じだが、観光客が非常に多く、美観地区は全然美しくない。北海道の人に分かるように言うと、観光シーズンの小樽運河沿いやメルヘン交差点をさらに悪化させたような状況である。


→この辺は、人が少ないように見えるだろうが…



■まずは美術館本館から。
アマンジャン「髪」:ムンク的憂鬱さ。
デルヴァン「連馬」:ベルギー絵画の雰囲気あり。
ミレー「グレヴィルの断崖」:ミレーが海を描くのは珍しいのでは。人物はミレー調。

児島虎次郎「和服を着たベルギーの少女」:和服はともかく、顔を印象派のタッチで描くと、蛇女のようである。
フレデリック「万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして蘇らしめん」:美術館の壁いっぱいに展示されている大作。左側はバタバタと訪れる死、右側は神のもとへといざなわれるのだが、何しろ人口密度が多すぎる感じだ。
セガンティーニ「アルプスの真昼」:真昼の色彩を追求したまぶしい作品。

シダネル「夕暮の小卓」:テラスの酒瓶やポットが、夕方の光で上手く浮き上がっている。
セルジェ「春の小川」:イメージより随分暗い作品。川はなく白い花の列が川の存在を暗示している。空も灰黄緑色だ。
エルグレコ「受胎告知」:大原美術館の名品。隅々まで手抜きなし。これを待つこと10秒で、正面からじっくり見られるのは素晴らしいことだ。

アマン・ジャン「家族の肖像」:ごく自然な家族の様子を描いて、これは良い。
コッテ「セゴヴィアの夕景」:真っ赤な夕景を描いた大作。これは力がある。
ヴラマンク「サン・ドニ風景」:まだスピード感が出ていない時代の作品。陰鬱な色は彼ならでは。
ロスコ「無題(緑の上の緑)」:色は緑が2/3とグレー1/3の面積比率に見える。単純でいて何かある作品だ。

■分館
ピカソ「鳥籠」:寓意を秘めている感じ。
スーティン「鴨」:近美の作品しか見たことがないが、まったく異色な感じがする。
ルシアン・クートー「ロワルアルブル夫人」:人を鎧の部品のようなもので構成した面白い作品。

古賀春江「深海の情景」:結構適当な雰囲気も漂う作品。上方に太陽の黄色がうっすら。
松本竣介「都会」:青春のやるせなさが感じられる。三岸のオーケストラっぽい描写も。
関根正二「信仰の悲しみ」:記憶にあるのとは違い、意外と明るい感じ。歩く人たちが泣いていると思い込んでいた。

河原温「黒人兵」:「浴室シリーズ」しか見たことがないので、これは実にうれしい。穴に向けて落下する男の足や靴底がクローズアップされた作品。非常に素晴らしい。
熊谷守一「陽の死んだ日」:その後の猫を描いている熊谷ではない。死に顔にはじける色彩、葛藤のあったであろう作品だ。

■昼食をはさんで工芸館と東洋館。
残念ながら1日で全部きちんと見るのは困難な美術館である。駆け足で一通り回る。

私は国立近代美術館における展覧会で大原美術館の作品を結構見ているが、それでもまだ見ぬ名品が沢山ある素晴らしい美術館である。特にエルグレコの作品はそう簡単には見られないだろうし、河原温の「黒人兵」などは、「こんな作品があったのか!」と驚きで一杯となった。またいつか来るかもしれない、と思うのも無理ないだろう。