散歩経路: 1;東急田園都市線つきみ野駅、2;つきみ野1丁目、座間大和線、3;下鶴間、座間大和線、4;小田急線跨橋、5;宇都宮記念公園、6;東急田園都市線中央林間駅
航空写真;1960年代(左)、現在
■ 1;東急田園都市線つきみ野駅 ⇒ 2;つきみ野1丁目、座間大和線
▼つきみ野駅から八王子街道を南下する;
ブックオフでゾッキ本を買う;
八王子街道を右折(西へ向かう)し、住宅街に入る。
谷が南北に走っている。最低部にたどり着き、流れている川をみる。
■ 2;つきみ野1丁目、座間大和線 ⇒ 3;下鶴間、座間大和線
アクティブデザイン つきみ野 (google)とあるビルの敷地には、溶岩石があった。
むさしの森珈琲
バスクチーズケーキとやらを目当てに行ったが、バスクチーズケーキはもうなくて、これに替わったとのこと。 クレームダンジュ って何だ!?と今、ググった;
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クレームダンジュはフランスのアンジュ地方で生まれたデザート。一般的にはフロマージュブランと呼ばれるチーズを使いますが、手軽に水切りヨーグルトを使って作りました。ふわふわでなめらかな食感とクリーミーな味わいは何度も作りたくなるおいしさです。 (明治ブルガリアヨーグルト倶楽部)
中央林間交叉点
■ 4;小田急線跨橋 ⇒ 5;宇都宮記念公園
宇都宮記念公園は、市街地に現存する貴重な樹林地をできるかぎり保全し、整備された公園です。本公園は、「みどりの森(+緑野公園)」、「ひのきの散歩道」、「仲よし広場」の3つのゾーンによって出来ています。
本公園の用地は、故宇都宮徳馬氏のご遺族からご寄付いただいたものです。同氏の「緑を残したいという」ご遺志を受けて、本公園は整備されました。(大和市 web site)
宇都宮徳馬氏は衆議院議員を10期、参議院議員を2期務め、昭和55年には「宇都宮軍縮研究室」を創設し、月刊「軍縮問題資料」を発行。日中友好協会会長を務めたほか、昭和59年に評論家や学者、政治家らで「核軍縮を求める22人委員会」を結成するなど、平和・軍縮の実現に心血を注がれました。
また、大和市の自然や田園都市としてのたたずまいを愛し、平成12(2000)年7月に93歳でご逝去されるまで市内下鶴間に居住されていました。 (大和市 web site)
この「樹林地」というものについて調べた。この宇都宮の森は天然林ではなさそうだ。ヒノキが整然と植わっている。あたかも、ヒノキの畑のようだ。おそらく、木材目的の商業林なのだろう。このあたりは平坦な台地面。この「樹林地」はその一部。過去の「樹林地」の広がりを調べた。
赤矢印が旧宇都宮屋敷
1960年代は小田急線の西側にゴルフ場がある、その南に樹木林が広がっている。区画で整然としているので、相当管理されたものだ。建築用木材の生産地であったと推定される。一部は雑木林していたかもしれない。なぜなら、現在の宇都宮記念公園のヒノキ以外は雑木林化している。
▼ ゴルフ場
1960年代の航空写真で既にゴルフ場ができている。相模原カントリークラブ。歴史をwb siteで見ると、1955年に相模原ゴルフクラブ創立とある。つまり、それ以前の歴史はないのだ。そこで、戦後できたのかぁと思う。しかし、もしかしてこれは進駐軍がつくったものの払下げかと思った。つまり、敗戦直後、進駐軍は土地の接収をしてゴルフ場をつくった例がある。
でも、さらに調べると、戦前にできたゴルフ場とわかる;
昭和16年(1941年)の航空写真で載っていた。 一方、web siteにあった;
相模カンツリー倶楽部は1931年、赤星六郎の設計により現在の地に9ホールで仮開場したのが始まりです。
赤星六郎は大正期に活躍したアマチュアで、唯一日本オープンを制したゴルフ界の巨人であり、生涯で設計したゴルフ場は、相模カンツリー倶楽部と我孫子ゴルフ倶楽部の2コースで、この相模カンツリー倶楽部が処女作となりました。
相模カンツリー倶楽部はその後、戦中の軍による敷地の徴発、戦後の進駐軍による接収の危機や、クラブハウス焼失といった苦難の時代を経て、現在に至っています。
▼ 米軍用住宅
1960年代の航空写真でゴルフ場の東、小田急・中央林間駅の西に、住宅群があるのが見える。この時代、まだ住宅化が進んでいないはず。何だろう?と調べると、米軍住宅とわかった。
Google (中央林間米軍ハウス)。
中央林間駅から徒歩5分。閑静な住宅街のな
かに、終戦後からこの街を見守り続けた通称
「米軍ハウス」があります。米軍ハウスは、
厚木基地に勤めるアメリカ兵が家族と住むた
めに建てられました。現在は数少ない米軍ハ
ウスですが、今もここ中央林間で歴史を刻ん
でいます。
■ 5;宇都宮記念公園 ⇒ 6;東急田園都市線中央林間駅
とにかく、平坦。