草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

田辺利宏の「夜の春雷」と散華した者たちへの鎮魂の調べ

2011年11月03日 | 

 これまでも多くの若者が祖国日本のために殉じたのであり、その精神は今後も語り継がれるべきだろう。橋川文三の「失われた怒りー神風連のことなど」を読んでいて、なおさらその思いを新たにした。私が丸山真男門下の橋川の見解を肯定するわけはないが、戦没者学生の『きけわだつみのこえ』に収録された田辺利宏の詩「夜の春雷」について触れている箇所は、通り一遍のサヨクの文章ではなかった。田辺は日大を出て福山市の女学校で3ヶ月間教師をし、それから応召され、昭和16年八月、支那大陸で戦死した。散華した戦友への鎮魂の調べは、どこまでも美しく悲しい。「彼らはみなよく戦い抜き/天皇陛下万歳を叫んで息絶えた/つめたい黄塵の吹きすさぶ中に/彼らを運ぶ俺たちも疲れはてていた/新しく掘り返された土の上に/俺たちの捧げる最後の敬礼は悲しかった」という詩の、どこにも祖国への憎しみや呪いの言葉はない。それと同時に橋川は「明るい三月の曙のまだ来ぬ中に/夜の春雷よ、遠くへかへれ/友を拉して遠くへかへれ」という結びの部分に、はぐらかされた気すらしたのだった。それはサヨクであることを己に課した橋川自身に問題があったからではないか。避けようがない虚無を目の前にして、一編の詩に己の生を昇華させるにあたって、最終的に脳裏をよぎるのは、命を捧げるにたる存在としての祖国日本なのである。

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キセノン検出でも責任逃れに終始する枝野経産相を嗤う!

2011年11月03日 | 災害

 枝野幸男経済産業相というのは、自己保身しか考えていない口先政治家ではないか。福島第一原発2号機でキセノンが検出された問題で、首相官邸への報告が遅れたとして、部下である経済産業省原子力安全保安院の深野弘行保安院長を口頭で注意したというが、それも変な話である。非常事態が発生した場合の連絡をどうするかは、枝野経産相に責任があるわけだから、役人を槍玉に挙げるというのは、天に唾することではないか。このままでは大変なことが起こりそうなので、逃げの一手なのである。しかも、枝野経産相はそんなことでエキサイトしている暇などないはずだ。核分裂によってキセノンが出ており、現在もそれらの放射性物質が漏れ続けているのである。いくら2号機の原子炉の温度が下がっているとはいえ、冷温停止状態とはほど遠いのが真相ではなかろうか。うがった見方をすれば、民主党政権は、キセノンのことが表に出るのを阻止したかったのではなかろうか。マスコミ関係者の福島第一原発敷地内での取材を認めようとしていた矢先なだけに、それに水を差すことになりかねないからだ。ここまで無責任極まると、いくら何でも我慢の限界を超えている。一日も早く民主党政権を打倒するためにも、国民の怒りを今こそ結集すべきだろう。

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