日本は国家として、アメリカと対等であるべきだし、それを目指すのが主権国家ではなかろうか。昭和20年8月15日に降伏し、大東亜戦争で敗れたとはいえ、心まで卑屈になる必要はないのである。ペリーが4隻の黒船を率いて浦賀にやってきたのは、嘉永6年(1853)年のことであった。そのときに東インド艦隊司令長官のペリーと交渉にあたったのが、与力中島三郎助である。中島は洋式軍学を習得した開明派であったが、臆することなく、日本側の考えを堂々と述べた。ペリーが「日本高官でなければ交渉しない」と突っぱねたのに対して、「高官が異国船と応接することはない」と断固拒絶した。このため、ペリーは激怒し、実力行使すらほのめかしたが、中島はそれにも怯まず、かえって副奉行と偽って、旗艦サスクェハナ号に乗り込むのに成功したのである。井上勝生の『幕末・維新 シリーズ日本近現代史①』を読んで、幕臣にも腹の据わった人間がいたことを知った。後に中島は函館の五稜郭で戦死したが、文明では劣っていても、一歩も引かなかったのである。幕末期の日本は攘夷の風が吹き荒れていた。隣国清がアヘン戦争に敗北したことで、欧米列の脅威が現実のものとなっていた。しかし、多くの日本人は外圧に立ち向かったのである。それと比べると、今の民主党政権の体たらくは目にあまる。売国奴そのものではなかろうか。
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