草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

東北電力のゼッケンつけて走った2011ふくしま駅伝を嗤う

2011年11月22日 | 災害

 2011ふくしま駅伝が去る20日、白河市総合運動公園陸上競技場から福島市の県庁前までの96・5キロのコースで例年通りに行われたが、放射性物質の汚染によって、福島市内にすぐに避難すべき地域があるのに、あまりにも軽率な開催ではなかったか。さらに、13市27町9村の約800人が参加したといわれるが、参加者のなかには、成人前の子供たちもおり、健康への配慮がどこまでされたかも、はなはだ疑問である。そのコースは、1時間あたり1ミリシーベルトに迫る地域であり、それが身体によいわけがないし、参加者がこの日のために、わざわざ県外にまで出かけるのは難しいだろうから、県内で走りこんできたというのが、容易に想像されるからだ。主催者の福島陸上協会と福島民報新聞社は、そのことを真剣に考えたのだろうか。さらに残念であったのは、参加選手のゼッケンに、東北電力という社名が刷り込んであったことだ。いくら東京電力とは違うとはいっても、原発を推進していることでは同じではないか。とんでもない仕打ちを福島県民が受けているのに、電力会社から協賛金を貰うというのも、主催者の神経が疑われる。全世界から福島県は注目を集めており、できもしない除染でお茶を濁すことへの批判も、日に日に高まってきている。そんななかで、今回の駅伝が実施されたことは、私たち福島県民が、現実を直視する勇気に欠けているからだろう。

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国益のための「尊皇攘夷」にケチをつける田原総一朗を嗤う

2011年11月22日 | 思想家

 TPP反対派を「尊皇攘夷」と揶揄する意見が一部にあるが、そうならざるを得ない宿命がこれまでもあったし、今もそれは続いているのに、鬼の首をとったかのように言うのは、自分の無知さ加減を暴露することではないか。「現代の眼」という月刊誌のレギュラー執筆者で、かつては体制批判を繰り返していた田原総一朗あたりまで、そんなことを口走っているのには、驚くというよりも、呆れてしまった。日本という国家は、外圧に抗するには、「尊皇攘夷」しかないのである。為政者に交渉能力がなく、国益をそこなうのが見え見えであるからだ。吉田松陰にしても、欧米列強の武力に屈するよりは、戦いを選ぶことを主張していた。その意味では、まさしく「尊皇攘夷」の徒であった。さらに、自分の過去と向き合おうとしない田原は理解していないだろうが、70年安保騒動を燃え上がったのは、敗戦国日本の悲劇が背景にあったからではないか。意図したかどうかは別にして、中核派に代表される諸党派は、日本国内に騒乱状態を引き起こすことで、アメリカから譲歩を引き出そうとしたのである。さもしたり顔に田原が講釈をたれているが、マスコミと歩調を合わせて、財界のお先棒を担いでいるだけであり、言うにこと欠いて「尊皇攘夷」のレッテルを貼るにいたっては、笑止千万である。そうであれば、田原らTPP賛成派は「俗論党」ということではないか。

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