草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

自分だけ別格だと思っている池上彰元NHK記者を嗤う!

2014年09月23日 | ネットの世界

池上彰などという元NHK記者の本を読んだこともないし、買おうとしたこともない。どうせ知識の切り売りで生活する人間なのだろう。その池上元記者が朝日新聞を一方で批判しながら、週刊文春などが朝日新聞に「売国」という言葉を使ったのに対して苦言を呈している。嘘をついて日本を貶めてきた新聞社を、本当はかばいたいのである。自分だけ違うようなことを書いているが、池上元記者だって売文業ではないか。それで飯を食っているのではないか。どうしてセンセーショナリズムあげつらうことができるのだろうか。そんな週刊誌に執筆しなければいいではないか。悪夢の思い出しかない民主党政権をどれだけ槍玉に挙げたのだろう。面白がってお先棒を担いだのではなかったか。池上元記者は自分以外のマスコミを断罪していい気になっているが、名も無いネット言論からしてみれば、全てが同じ穴の狢なのである。ジャーナリストを名乗っても、金ももらわずに書いているわけではないだろう。朝日新聞に掲載していた原稿料も教えてもらいたいものだ。それこそ肉体労働をしている人間には考えられない金額のはずだ。徒然草でも述べている通りで、まともな人間は金持ちにはなれないのである。そこから判断されるべきなのである。池上元記者を含めてマスコミ全体が問題にされているのだ。自分だけが別格だと思っていること自体が、それだけでお笑いなのである。

  

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サヨクの呪縛から脱することができない朝日新聞を嗤う!

2014年09月23日 | 思想家

戦後の日本を支配してきたのは、ある種の信仰ではなかったか。竹山道雄が日本のサヨクの特徴として指摘したように、「多くの主張は、事実による認識よりも、おおむねある一種の信じたいという動機によっている。現実に対する不満とそれが生む幻影から発して、この信じたいという意志は、おどろくほど強い力をもって人の心を律するもので」(『門を入らない人々』)あり、そこから自由になるには、それなりの覚悟が求められるのである。朝日新聞の捏造報道にしても、その信仰の呪縛から自由でなかったことで、長年にわたって放置し続けることになった。かつては共産主義国家を礼賛し、現在では特定アジアの代弁者となって恥じないのも、そこに理由がある。絶対的な理念やイデオロギーがなければ、サヨクインテリは満足できないのである。幻影のなかでしか物事を考えられないのだ。不自由さこそが大事なのであり、本来のリベラリズムとは無縁な者たちなのである。それでいて、国益を重視する安倍首相を独裁者呼ばわりするわけだから、笑止千万である。ドストエフスキーの『カラマゾフの兄弟』の大審問官の物語は竹山も言及しているが、自由を人間に教えようとしたイエスの言葉を遮るように、悪魔は「人間は、自由の代りにパンをあたえられ、特定の世界観をあたえられ、絶対の権力をもって統べられているときにのみ、幸福である」と囁いたのだった。悪魔のその言葉に屈した者たちを、どうして私たちが容認できるだろう。朝日新聞の捏造はそこに起因するのだから。

  

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