別冊「太陽」の「竹久夢二」(1977)特集号を手にしながら、会津の地酒を呑んでいます。夢二はあくまでも庶民の味方でしたが、それは主義者のような高慢さはありませんでした。弱い女性や子どもたちに親しげに話しかけた夢二は、女絵の作者であり、美人画の作者ではありませんでした。秋山清が書いている通りです。
←応援のクリックをお願いいたします。
別冊「太陽」の「竹久夢二」(1977)特集号を手にしながら、会津の地酒を呑んでいます。夢二はあくまでも庶民の味方でしたが、それは主義者のような高慢さはありませんでした。弱い女性や子どもたちに親しげに話しかけた夢二は、女絵の作者であり、美人画の作者ではありませんでした。秋山清が書いている通りです。
←応援のクリックをお願いいたします。
はすみとしこ氏のイラストに「いいね」などを押した人たちをさらしものにする。それで保守派にダメージを与えられると思ったのだろう。しかし、そうは問屋が卸さなかった。逆にそれをやらかしたしばき隊のメンバーは、勤めていたセキュリティ会社を辞めざるをえなかったのである。やったらやる返されるのである。50代後半の人間のようだが、世の中がどう変わっているかも理解できないらしい。戦後70年が経過したことで、ようやく日本は国家として身構えつつあるのだ。それは政治の保守化とも結びついており、政治を変える爆発的なエネルギーがあるのは保守派の方であり、間違ってもサヨクの側ではない。さらし者にされた人たちは、世間でいわれるような「ネトウヨ」と呼ばれる人たちではなかった。あまりにも戦後の言論』空間が歪んでいたために、あえてそのイラストに共感を示したのだろう。日本のサヨクは足場を失って久しい。『共産党宣言』はまさしく過去の遺物でしかなく、墓場から出てきて妖怪がさまよう力もない。彼らが目標としたソ連はとっくの昔に崩壊し、中共も同じ運命を辿ろうとしている。その事実を直視することなく、闇雲に正義を主張し、問答無用な行動に出るのはあまりに滑稽である。行動する保守の反動として街頭に登場したわけだが、何をやっても許されると勘違いした時点で孤立するのは目に見えている。リベラルに徹したやり方があったはずで、それをもっと追求すべきであったのだ。ネットで笑い物になるだけなのに、どうしてそれが理解できなかったのだろう。
←応援のクリックをお願いいたします。