欧米ばかりかロシアまで結束してテロリストと戦っているのに、パリの同時多発テロではイスラムの人々まで殺戮されたのに、「イスラム国」を擁護する人たちが日本にはいる。「やったりやり返すでは、暴力の連鎖は終わらない」「誤爆で殺されるのはテロに遭ったのと同じだ」とか言いたい放題である。テロとの戦いが深刻化していることを理解できないからだろう。もはや戦争状態なのである。カール・シュミットが『政治的なものの概念』(田中浩、原田武雄訳)で述べている言葉を、もう一度思い起こすべきだろう。「戦争は敵対より生じる。敵対とは、他者の存在そのものの否定だからである。戦争は、敵対のもっとも極端な実現にほかならない。戦争はなにも日常的・通常的なものである必要はないし、また理想的なもの、望ましいものと感じられる必要もないが、ただ、敵という概念が意味をもち続けるかぎりは、戦争が現象的可能性として存在し続けなければならないのである」。そもそも政治的な概念とは「ただ友・敵結束の現実的可能性と関連づけることによって理解されるものであり、そこから政治的なものに対する、どのような宗教的・道徳的・美的・経済的評価が出てくるかは、どうでもよいことなの」である。日本人は感傷的なことを口にしがちであるが、テロとの戦いは、いうまでもなく「友敵の論理」にもとづいている。どちらを友とし、どちらを敵にするかに関して、日本人の判断が求められるのだ。中途半端は許されないのである。それを理解できなければ、国際社会のなかで日本は生きてはいけないのである。
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