草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

危機に直面したとき日本人が結束するのは「天皇危し」の一言だ!

2015年11月30日 | 思想家

▼何をもって保守というのか分からなくなっている。最後に拠り所にすべきは天皇陛下ではないだろうか。なぜ三島由紀夫が自決寸前に「天皇陛下万歳」を叫ばなくてはならなかったか。東大全共闘との討論会でも、その点で一致すれば共闘するとまでなぜ口にしたのか。日本が日本であり続けるためには、守るべき価値として天皇陛下の存在が不可欠なのである。吉本隆明も三島の死を論じたなかで「残念なことに、天皇制の不可解な存在の仕方を無化し、こういうものに価値をおくことが、どんなに愚かしいことかを、充分に説得しうるだけの確定的な根拠を、たれも解明しつくしてはいない」と書いた。▼橋川文三だって三島との論争に勝ったかのような扱い方をされているが、そうであれば晩年の彼の哀れな姿はどう説明するのだろう。戦後民主主義の虚妄に賭けるという丸山真男と、橋川が同列であったはずはない。日本がこれから危機に直面すれば、やっぱり人々は天皇の名のもとに結束するのではないか。それが三島のいうように文化的かどうかは分からないが、日本人が先祖にすまないと思うのは、祖国が蹂躙され平和が破られるときであり、そこでは自民党のためでもなく財界のためでもなく、日々私たち日本人の先祖の霊に祈りを捧げておられる、天皇陛下のためなのである。▼三島が異常な人間であったのではない。死んでみせることで、予言者として日本人の魂に訴えたのである。外敵に備えるには天皇陛下しかおられないことを。政治家がその原点を見失っているのであれば、名もなき者たちがそのことを訴えるしかないのである。

 

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あまたなる人の眼差し枯れ木かな

2015年11月30日 | 俳句

柳津からの帰り、七折トンネルを抜けた所の枯れ木が、無性に気になってなりませんでした。きっと多くの人が一瞥したに違いないと。会津盆地が広々と見渡せる場所であるだけに、自然と目に飛び込んでくるからです。

 

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平成の世の攘夷である移民難民反対の声を無視するなかれ!

2015年11月30日 | 政局

 平成の世にあっての攘夷とは移民や難民を受け入れないことであろう。幕末において西洋人に斬りかかったりしたのも、神国日本を守るためであったが、平成の世にあっても切迫した危機感が国民の一部にある。幸いにも日本は、周囲を海で囲まれていることで、かろうじて民族としての一体感を保ってきた。それは治安のよさにも結び付いており、これまでは平和な生活を満喫してきた。
 しかし、国際化が進み、とくに近年になって朝鮮半島や中共からやってくる人々が増えるにつれて、街の雰囲気も変化してきている。異質な人たちをどこまで許容できるのか、摩擦を生じないようにする対策はあるのか、差し迫った課題はあまりにも多い。人道上のことだけではないのである。難民の流入で頭を抱えているヨーロッパが難しい対応を迫られている。
 自民党から共産党まで、政治家は口を揃えて移民や難民の受け入れを表明している。これに反対すれば排外主義者のレッテルが貼られ、社会から抹殺されるかのような風潮がある。本当にそれでよいのだろうか。今は少数派であっても、日本でも移民や難民に反対したり、制限しようとする運動は拡大してくるだろう。いくら経済を活性化させるためだとしても、少子化対策だとしても、混乱を起きるのは目に見えているからだ。攘夷はある意味では情念の発露であり、理性とは無縁であることは否定できない。それでも已むに已まれぬ危機感が根底にあることも忘れてはならないのである。

 

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