草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

保守派の女性都知事の誕生が柔和な日本のPRになる!

2016年07月16日 | 選挙

自民党を小池百合子候補は除名されたわけではない。堂々と応援をすればいいのである。恥じることは何一つない。政界はガラガラポンをしなくてはならない。党利党略がまかり通るのは大問題だ。かつての政友会と民政党の過ちを繰り返している。ここらで軌道修正をすべきだろう。そのきっかけとなるのが今回の小池候補の東京都知事選への立候補である▼いくら自民党であっても絶対ではない。考え方の違いがあってもよいのではないか。民共あたりの鳥越俊太郎候補に負けてしまうから、と焦る必要はまったくない。ギブアップ寸前の人間であることは誰の目からも明らかである。志のある保守派は結束すべきなのである。自民党は官僚に支配されるのではなく、彼らを使いこなすためにも、強いリーダーシップが求められるのである▼東京オリンピックで女性が都知事であれば、日本という国家の柔和さが世界中に伝わるだろう。争いを好まない和の国であることをPRできる。一日一日と小池候補への支持の輪は広がっている。私たちは小池候補を孤立させてはならないのである。

 

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

 

               ←応援のクリックをお願いいたします。

 

 

政治 ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

皇室を論じるにあたっては和辻哲郎の文化的天皇制が前提だ!

2016年07月16日 | 思想家

日本の国柄が壊れようとしているのではないだろうか。宮内庁が否定しているのに、関係者とやらの話をマスコミが大々的に取り上げている。安倍内閣は対応を誤ってはならない。天皇陛下の「生前退位」にあたっては、憲法上の手続きをきちんと踏むべきだ。結果OKではないのである。明治憲法と日本国憲法を貫く理念として、文化的天皇制という言葉がある。和辻哲郎の主張であり、歴代の天皇陛下が祭りごとを行われたことを重視した▼「原始的集団においてはその生活の安全のために祭事が要求せられた。力強い祭司の出現は集団の生活を安全にしたのみならず、さらにその集団の生活を内より力づけ活発ならしめた。祭司の権威の高まるとともに集団は大となり、その大集団の威力が神秘的な権威として感ぜられる。ここに『祭事の総攬』という気運が起こってくる。集団の側から祭事や祭司を要求することが、祭司の側からは統率となるのである。だから統率は君主が民衆を外から支配し服従せしめるというのではなく、民衆がその生活の内的必然として要求したものであった」(『飛鳥寧楽時代の思想』)▼そこには統率者と被統率者との争いはないのである。それが推古時代あたりから変わってきて、天皇陛下は政治権力とは別に、文化的権威として君臨することとなり、それが連綿として現代まで続いてきたのである。支那や西洋の王族と一緒にしてはならないのである。文化的天皇制が日本の根本であることを、私たちは再認識すべきだろう。

 

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

 

               ←応援のクリックをお願いいたします。

 

 

政治 ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする