平成の世にあっても、日本人は攘夷の情念を持ち続けるべきであり、その手本とすべきは、吉田松陰ではなかろうか。松陰が攘夷論者を鼓舞することになったのは、開国を主張する者たちが、あまりにも不甲斐なかったからだ。徳冨蘇峰は松陰の思いを的確に述べている。「当時の開国論者の多くは真の開国論者に非ず、ただ敵愾の気を失し、外人の恫喝に辟易し、文弱、偸安(とうあん)、苟且(こうしょ)の流にして、而して彼の鎖国論者中にこそ、かえって敵愾、有為、活発の徒あり。この儘にして開国する時においては、国家の元気索然として、遂に復奮わず、この膝一たび屈して遂に復伸びず、故に一時逆流に立ち、天下の人心を鼓舞作興し、然る後徐に開国の国是を取らんと欲したるのみ」(『吉田松陰』)。それは今の時代にもあてはまるのではなかろうか。「この膝一たび屈して遂に復伸びず」になりかねないから、保守民族派と呼ばれる人たちは、外国勢力の干渉に対して戦っているのである。嘉永6年にペリーの艦隊が江戸近海に繋泊したときに、松陰が断固討伐を主張したのは、米国が砲艦外交を繰り広げたことへの反発があったからだ。それでいて後に密航を企てたのは、敵を知ることが大事であることを熟知していたからだ。どちらにせよ、根本にあったのは、理不尽な外国勢力への敵愾心であった。それが国を守るパトスとなって、欧米列強の脅威を撥ね付けたのである。腰抜けぞろいの民主党政権とは、月とすっぽんではなかろうか。
←吉田松陰の攘夷の思想を受け継ぐべきだと思う方はクイックを
あるいは、避妊で死んでいく子どもを養子にするはずだ。
よって、子どもを何人育てているか?そのための政策をどれだけ支えているか?
が、攘夷論を自称する者が二枚舌を使っていないかどうかのリトマスとなる。