今回のLGBT法案をめぐっても、アメリカによる内政干渉は目に余るものがある。安倍首相が靖国神社に参拝したときにも同じような圧力があった。そうした外圧に対して、攘夷論的な反撃が功を奏する場合もあるというのを、私たちは忘れてはならないだろう。
日本が欧米列強の植民地にならなかったのは、明治維新を達成した私たちの先人には、攘夷の精神でもって外圧に立ち向かう勇気があったからである。
文久3年(1863)の薩英戦争では、7隻の英国艦隊は、予想しなかった薩摩側の反撃で、6隻が損傷し、死傷者も63名に達した。無謀だと思われる攘夷が、日本に対する見方を変えるきっかけになったのである。
西郷隆盛の西洋観も思い起こすべきだろう。「真に文明ならば、未開の国に対して慈愛を本とし、懇々説諭して開明を導くべきに、然らずして残忍酷薄を事とし、己を利するは野蛮なりと云ふ可し」(大西郷遺訓)と公言してはばからなかったのである。
戦後においても、そうした精神は絶えることがなかった。左翼勢力にとどまらず、民族派と呼ばれた人たちの多くが、ヤルタポツダム体制打破を主張し、攘夷論的なスローガンを掲げ続けたのである。
かつて石原慎太郎は「論争ジャーナル」において、他国の従属のもとにある国家は、国家意思の表現として、民衆が暴力的にならざるを得ない、と指摘したこともあった。
沖縄返還交渉に際して佐藤栄作首相は、極左の中核派などによる「内乱的死闘」なるものを、アメリカに対するカードとして利用した。平和のうちに戻ってくるという前代未聞なことが実現した背景には、そうした事実も隠されているのである。
何もアメリカと対立しろと言いたいのではない。アメリカのポチになることなく、国益を踏まえて、日本の政治家は堂々とアメリカに物申すべきなのである。それが結果的には、日本とアメリカとの関係強化にも結びつくわけで、絶対に卑屈になってはならないのである。
日本が欧米列強の植民地にならなかったのは、明治維新を達成した私たちの先人には、攘夷の精神でもって外圧に立ち向かう勇気があったからである。
文久3年(1863)の薩英戦争では、7隻の英国艦隊は、予想しなかった薩摩側の反撃で、6隻が損傷し、死傷者も63名に達した。無謀だと思われる攘夷が、日本に対する見方を変えるきっかけになったのである。
西郷隆盛の西洋観も思い起こすべきだろう。「真に文明ならば、未開の国に対して慈愛を本とし、懇々説諭して開明を導くべきに、然らずして残忍酷薄を事とし、己を利するは野蛮なりと云ふ可し」(大西郷遺訓)と公言してはばからなかったのである。
戦後においても、そうした精神は絶えることがなかった。左翼勢力にとどまらず、民族派と呼ばれた人たちの多くが、ヤルタポツダム体制打破を主張し、攘夷論的なスローガンを掲げ続けたのである。
かつて石原慎太郎は「論争ジャーナル」において、他国の従属のもとにある国家は、国家意思の表現として、民衆が暴力的にならざるを得ない、と指摘したこともあった。
沖縄返還交渉に際して佐藤栄作首相は、極左の中核派などによる「内乱的死闘」なるものを、アメリカに対するカードとして利用した。平和のうちに戻ってくるという前代未聞なことが実現した背景には、そうした事実も隠されているのである。
何もアメリカと対立しろと言いたいのではない。アメリカのポチになることなく、国益を踏まえて、日本の政治家は堂々とアメリカに物申すべきなのである。それが結果的には、日本とアメリカとの関係強化にも結びつくわけで、絶対に卑屈になってはならないのである。