平和ボケは左翼だけではなく、私たち保守派も同じではないでしょうか。核についての議論を避けてきたことは、危機を直視する勇気がなかったからだと思います。
エマニュエル・トッドが令和4年5月1日発行の文藝春秋に掲載した「日本核武装のすすめ」を読み直しています。トッドが「つまり核を持つことは、国家として自律することです。核を持たないことは、他国の思惑やその時々の状況という偶然に身を任せることです。米国の行動が“危うさ”を抱えている以上、日本が核を持つことで、米国に対して自律することは、世界にとっても望ましいはずです」と書いたのは、日本を大事に考えるからこそのアドバイスです。
そして、トッドは、ウクライナ危機の歴史的な意味として「本来『通常戦に歯止めをかける『核』であるはずなのに、むしろ『核』を保有することで通常戦が可能になる、という新たな事態が生じたのです。これを受けて、中国が同じような行動に出ないとも限りません。これが現在の日本を取り巻く状況です」と指摘していました。
中国は以前から米本土に到達する核ミサイルを保有しており、北朝鮮もその能力を備えつつあります。米国が核を使って日本を防衛するというのは、まず難しいという事実からも、私たちは目を背けることはできません。
訪中したマクロン仏大統領は、去る9日に「欧州は台湾問題で米中に追従すべきではない」と演説をしました。これは衝撃的な発言でした。それはまさしく、中国の立場を擁護したことと同じで、台湾侵攻へのお墨付きを与えたようなものです。
核無き日本は、現状では米国と運命を共にするしかありませんが、このままでは国土が戦場になる危険性があります。核で恫喝しながら通常戦を仕掛けて来られれば、立ち向かわざるを得ないからです。時間がないなかで、私たちは今決断を迫られているのです。