世界が限界状況下にあるという現実を、私たちに突き付けたのがヤスパースであった。その実存哲学について私が知ることができたのは、民社研議長の武藤光朗がいたおかげである。
武藤は『革命思想と実存哲学』において、ヤスパースが1956年10月のラジオ講演で語った言葉を紹介している。
「自由諸国家が、原爆の使用なしには全体主義国家の世界支配に反抗することができない場合、これに屈して自由の抑圧を甘受するか、それとも、これに反抗して自由を守るために、原爆を使って人類絶滅の危険をあえておかすか―この決断が、政治的昇進の条件やメカニズムに応じて権力の桿杆(こうかん)を握るようになった人たち、最終的にはただひとりの個人によって下されなければならないような危機的瞬間が、おそらく、突然、やってくる可能性がある」
この言葉はとんでもなく深刻である。平和を絶対の目的にしてしまえば、人類が手にした自由と尊厳が失われる危険性があるからだ。よく言われるような「赤か死か」という選択を避けては通れないのである。
今回の広島サミットでは、岸田首相が意図したかどうかは別にして、世界的なレベルというよりは、日本が中国に対抗する意思がないことを表明したようなものである。非核三原則の堅持はまさしくそのことを意味するからだ。
どちらを選ぶべきかは、それぞれの考えであるが、現実無視で本当によいのだろうか。国家として身構えるために、核保有や核の共有についても、真摯に議論すべきではないだろうか。LGBT法と同じように、岸田首相の判断があまりにも拙速であると思うのは、私だけだろうか。