創作日記&作品集

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「わたしなりの枕草子」#327

2012-02-25 07:49:05 | 読書
【本文】
二百七十二段
 時奏する、いみじうをかし。
 時(とき)奏(そう)する、いみじうをかし。
 いみじう寒き夜中ばかりなど、ごほごほとごほめき、沓(くつ)すり来て、弦(つる)うち鳴らして、「何名(なんな)の某(なにがし)、時(とき)、丑(うし)三(み)つ」
「……子(ね)四(よ)つ」
など、遙(はる)かなる声に言ひて、時の杭(くひ)さす音など、いみじうをかし。
「子九(ここの)つ」
「丑八(や)つ」
などぞ、里びたる人はいふ。
 すべて、何も何も、ただ四つのみぞ、杭にはさしける。

【読書ノート】
 時報の話です。
 一日を子・丑・寅・卯……亥で十二分割して時刻を表していました。
 時間を管(かん)轄(かつ)する役所は陰陽寮(おんみようりよう)でそこに時司(ときづかさ)ってセクションがあったの。ここに水時計の漏刻が置いてあってさ、時間がくると鼓を打って、時報を教えたの。→桃尻語訳。
 子刻の時報は鼓を九つ。順次一つずつ少なくなって(丑は八つ……)、午の刻にはまた、九つに戻ります。時司(ときづかさ)は鼓を打って知らせていました。陰陽寮(おんみようりよう)は宮中の外の大内裏にあり、民間人(清少納言もそうでした)は鼓の音を聞いて、「子九(ここの)つ」「丑八(や)つ」など言っていたました。その間は三十分おきに鐘を鳴らしていました。
 子の刻のスタートが御前〇時とすると、子一つ(〇時、鼓九つ)→子二つ(〇時三十分、鐘)→子三つ(午前一時、鐘)→子四つ(午前一時三十分、鐘)→牛一つ(午前二時、鼓八つ)です。
 それとは別に宮中の時報がありました。
 三十分ごとに夜回りの近衛府の人間が順番に、時の杭(殿上の間の近くの小庭にあるタイムレコーダーみたいな杭)に行って、(魔除けの)弦(つる)うち鳴らして、「○○官の××、時、子三つ」と、帝に申し上げて、(札を)杭(くひ)に刺す。杭(くひ)の数は四本に限られていた。
 宮中での時奏。奏する=帝に申し上げる。
 ごほごほと=ゴトゴトと。擬声語。ごほめき=音をたて。
 丑(うし)三(み)つ=午前二時。
 子(ね)四(よ)つ=子(ね)四刻。→萩谷朴校注。午前零時三十分。
 あれ、さっきの説明と違う。基準となる時刻が違うと違ってきます。まあ、子の刻は真夜中で、午の刻はお昼です。正午なんて言いますものね。
 時の杭(くひ)さす=三十分ごとに札を時の杭(くひ)に刺す。
 三十分ごと時を奏して、杭(くひ)さす。だから、丑(うし)三(み)つ、子(ね)四(よ)つはあっても、民間人が言っていた「子九(ここの)つ」「丑八(や)つ」はないのです。
 理解の範囲では、大体こんなことだと思います。詳しくは桃尻語訳を読んで下さい。これもかなり分かりにくいけれど……。
 里びたる人=宮中にいない里の人。民間人。