創作日記&作品集

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「わたしなりの枕草子」#315

2012-02-13 07:46:52 | 読書
【本文】
関白殿、二月二十一日に⑬
 事はじまりて、一(いつ)切(さい)経(ぎやう)を蓮(はす)の花の赤き一(ひと)花(はな)づつに入れて、僧・俗、上達部・殿上人、地下・六位、何くれまで持てつづきたる、いみじう尊し。導師参り、行(かう)はじまりて、廻(ま)ひなどす。日ぐらし見るに、目もたゆく、苦し。 御使に、五位の蔵人参りたり。御桟敷の前に胡(あぐら)床(ゆか)立ててゐたるなど、げにぞめでたき。
 夜さりつ方、式(しき)部(ぶの)丞則理(ぞうのりまさ)参りたり。「『やがて夜さり入らせ給ふべし。御供に候へ』と、宣旨かうぶりて」
とて、帰りも参らず。宮は
「先づ、帰りてを」
とのたまはすれど、また蔵人の弁参りて、殿にも御消息あれば、ただ、仰せ事にて、入らせ給ひなむとす。
 院の御桟敷より、
「ちかの塩竃」
などいふ御消息参り通ふ。をかしきものなど、持て参りちがひたるなども、めでたし。
 事果てて、院、帰らせ給ふ。院司・上達部など、此(こ)度(たみ)は、片へぞ仕り給ひける。
 宮は内裏に参らせ給ひぬるも、知らず、女房の従者どもは、「二条の宮にぞおはしますらむ」とて、それにみな行きゐて、待てども待てども見えぬほどに、夜いたうふけぬ。
 内裏(うち)には、「宿直(とのゐ)物持て来なむ」と待つに、きよう見え聞こえず。あざやかなる衣どもの身にもつかぬを着て、寒きまま、言ひ腹立てど、かひもなし。
 つとめて来たるを、
「いかで、かく心もなきぞ」
などいへど、陳(の)ぶることもいはれたり。
 またの日、雨の降りたるを、殿は、
「これになむ、おのが宿世(すくせ)は見え侍りぬる。いかが御覧ずる」
と聞こえさせ給へる御心驕(こころおご)りもことわりなり。 されど、その折、「めでたし」と見たてまつりし御事どもも、今の世の御ことどもに見奉り比ぶるに、すべて、一つに申すべきのもあらねば、もの憂くて、多かりしことどもも、みなとどめつ。

【読書ノート】
 持てつづきたる=捧持して行列した。行(かう)=行道。法会の時、衆僧が列を組んで読経・散華しながら仏堂や仏像の周囲を右回りにめぐり歩くこと。→広辞苑第六版。廻(ま)ひ=大堂の周囲を廻る。たゆく、苦し=だるく、疲れた。
 御使=勅使として。胡(あぐら)床(ゆか)=腰掛け。式(しき)部(ぶの)丞則理(ぞうのりまさ)=この段の始めの「式部の丞なにがし」。やがて=すぐに。給ふべし=「べし」は難しいですね。ように→桃尻語訳。
「先づ、帰りてを」=(二条の宮に)。
 ただ=ともかく。
「ちかの塩竃」=古歌をひく。こんなに近いのに対面できない。御消息参り通ふ=女院からのお便りと中宮からのご返事が。中宮にとって、院は叔母であり、姑である。仲睦まじかった様子を回想している。
 片へぞ=半分。
 従者=召使い。
 内裏(うち)には=宮中の(私たちには)。宿直(とのゐ)物=夜着。きよう見え聞こえず=さっぱり音沙汰もなく。身にもつかぬ=体に馴染んでいない。
 いはれたり=「言はれたり」。私たち女房が従者に「言われた」。それも、もっともだ。

 定子崩御以後の執筆時点での回想です。
最後の「またの日」からは名文です。また、難解です。
 またの日=翌日。
 これになむ=昨日雨が降らずに今日雨が降る。
 宿世(すくせ)=運命。聞こえさせ給へる=(中宮様に)。心驕(こころおご)り=思いあがること。
 今の世=道没後の世。供養は正暦五年(九九四年)二月、翌長徳元年(九九五年)四月に道は死去。
 すべて、一つに申すべきのもあらねば=成書の口語訳が微妙に異なります。「とても、同じお方の身の上とは思えませんので」→萩谷朴校注。「全くの違いようでお話にもならないので」→新版「枕草子」・石田穣治訳注。「全然同じこととも思えないんでね」→桃尻語訳「枕草子」。「万事一律に申し上げられるはずがないので」→枕草子・小学館。
 とどめつ=書きもらした。