【本文】
関白殿、二月二十一日に②
御前にゐさせ給ひて、ものなど聞こえさせ給ふ。御いらへなどのあらまほしさを、「里なる人などに、はつかに見せばや」と見奉る。 女房など御覧じわたして、
「宮、何事を思し召すらむ。ここらめでたき人々を据ゑ並めて御覧ずるこそは、羨ましけれ。一人わろき容貌(かたち)なしや。これみな家々の女(むすめ)どもぞかし。あはれなり。よう顧みてこそ、さぶらはせ給はめ。さても、この宮の御心をば、いかに知り奉りて、かくは参り集まり給へるぞ。いかにいやしく、もの惜しみせさせ給ふ宮とて。われは、宮の生まれさせ給ひしより、いみじう仕(つかうまつ)れど、まだ下ろしの御衣一つたまはらず。何か、後憂言(しりうごと)には聞こえむ」
など、のたまふがをかしければ、笑ひぬれば、
「まことぞ。烏滸(をこ)なりと見てかく笑ひいまするがはづかし」
などのたまはするほどに、内裏より式部の丞なにがしが参りたり。
御文(おんふみ)は、大納言殿取りて、殿に奉らせ給へば、引き解きて、
「ゆかしき御文かな。ゆるされ侍らば、あけて見侍らむ」
とはのたまはすれど、
「『あやふし』と思(おぼ)いためり。「かたじけなくもあり」
とて奉らせ給ふを、取らせ給ひても、ひろげさせ給ふやうにもあらず、もてなさせ給ふ、御用意ぞありがたき。
御(み)簾(す)の内より女房、茵(しとね)さし出でて、三、四人御几帳のもとにゐたり。
「あなたにまかりて、禄のことものし侍らむ」
とて立たせ給ひぬる後(のち)ぞ、御文御覧ずる。御返し、紅梅の薄様(うすやう)に書かせ給ふが、御衣(おんぞ)の同じ色に匂ひ通ひたる、「なほ、かくしも推しはかり参らする人はなくやあらむ」とぞ口惜しき。
「今日のはことさらに」
とて、殿の御方より、禄は出させ給ふ。女の装束(さうぞく)に紅梅の細(ほそ)長(なが)添へたり。
「肴」
など、あれば、酔(ゑ)はさまほしけれど、
「今日はいみじきことの行(ぎやう)事(じ)に侍り。吾(あ)が君、許させ給へ」
と、大納言殿にも申して、起ちぬ。
【読書ノート】
例によって上機嫌の道隆の冗談が始まります。→百七十六段。
あらまほし=あってほしい。理想的。里なる人=里にいる人。実家の人達。→萩谷朴校注。はつかに=ちらりと。
何事を思し召すらむ=「何の不満もなかろう」の意をこめたもの。家々の=名門の。あはれなり=しみじみと心動かされる。ああ見事だ。たいしたものだ。ここは何か意味がありそうですね。顧みて=目をかけて。さても=それはそうと。さて、さて(みなさんは)。ここから道の冗談が始まります。宮とて。→ここで句点とします。→萩谷朴校注。他の解釈は内容の説明として下に続くとします。その方が分かりやすいけれど……。下ろし=中宮のお古。冗談です。後憂言(しりうごと)=陰口。陰口なんか申すものですか。堂々と真ん前で言ってやる。→冗談。でも、道の性格が出ていますね。
烏滸(をこ)なり=ばかげていること。
御文(おんふみ)=天皇から中宮へのお手紙。大納言殿=藤原伊周。【道隆の子。定子の兄】
ゆかしき=拝見したい。
『あやふし』=(中宮が)不安だとお思いのようだ。「かたじけなくもあり」=恐れ多くもありますから。もてなさせ給ふ=振る舞いなさる。御用意=心づかい。気配り。
茵(しとね)=(勅使に対して)敷物。
禄=(お使いへの)褒美。かくしも=このように。色を合わせた配慮。
ことさらに=特別に。殿の御方より=(中宮の代わりに)。細(ほそ)長(なが)=表着。
行(ぎやう)事(じ)=担当。
関白殿、二月二十一日に②
御前にゐさせ給ひて、ものなど聞こえさせ給ふ。御いらへなどのあらまほしさを、「里なる人などに、はつかに見せばや」と見奉る。 女房など御覧じわたして、
「宮、何事を思し召すらむ。ここらめでたき人々を据ゑ並めて御覧ずるこそは、羨ましけれ。一人わろき容貌(かたち)なしや。これみな家々の女(むすめ)どもぞかし。あはれなり。よう顧みてこそ、さぶらはせ給はめ。さても、この宮の御心をば、いかに知り奉りて、かくは参り集まり給へるぞ。いかにいやしく、もの惜しみせさせ給ふ宮とて。われは、宮の生まれさせ給ひしより、いみじう仕(つかうまつ)れど、まだ下ろしの御衣一つたまはらず。何か、後憂言(しりうごと)には聞こえむ」
など、のたまふがをかしければ、笑ひぬれば、
「まことぞ。烏滸(をこ)なりと見てかく笑ひいまするがはづかし」
などのたまはするほどに、内裏より式部の丞なにがしが参りたり。
御文(おんふみ)は、大納言殿取りて、殿に奉らせ給へば、引き解きて、
「ゆかしき御文かな。ゆるされ侍らば、あけて見侍らむ」
とはのたまはすれど、
「『あやふし』と思(おぼ)いためり。「かたじけなくもあり」
とて奉らせ給ふを、取らせ給ひても、ひろげさせ給ふやうにもあらず、もてなさせ給ふ、御用意ぞありがたき。
御(み)簾(す)の内より女房、茵(しとね)さし出でて、三、四人御几帳のもとにゐたり。
「あなたにまかりて、禄のことものし侍らむ」
とて立たせ給ひぬる後(のち)ぞ、御文御覧ずる。御返し、紅梅の薄様(うすやう)に書かせ給ふが、御衣(おんぞ)の同じ色に匂ひ通ひたる、「なほ、かくしも推しはかり参らする人はなくやあらむ」とぞ口惜しき。
「今日のはことさらに」
とて、殿の御方より、禄は出させ給ふ。女の装束(さうぞく)に紅梅の細(ほそ)長(なが)添へたり。
「肴」
など、あれば、酔(ゑ)はさまほしけれど、
「今日はいみじきことの行(ぎやう)事(じ)に侍り。吾(あ)が君、許させ給へ」
と、大納言殿にも申して、起ちぬ。
【読書ノート】
例によって上機嫌の道隆の冗談が始まります。→百七十六段。
あらまほし=あってほしい。理想的。里なる人=里にいる人。実家の人達。→萩谷朴校注。はつかに=ちらりと。
何事を思し召すらむ=「何の不満もなかろう」の意をこめたもの。家々の=名門の。あはれなり=しみじみと心動かされる。ああ見事だ。たいしたものだ。ここは何か意味がありそうですね。顧みて=目をかけて。さても=それはそうと。さて、さて(みなさんは)。ここから道の冗談が始まります。宮とて。→ここで句点とします。→萩谷朴校注。他の解釈は内容の説明として下に続くとします。その方が分かりやすいけれど……。下ろし=中宮のお古。冗談です。後憂言(しりうごと)=陰口。陰口なんか申すものですか。堂々と真ん前で言ってやる。→冗談。でも、道の性格が出ていますね。
烏滸(をこ)なり=ばかげていること。
御文(おんふみ)=天皇から中宮へのお手紙。大納言殿=藤原伊周。【道隆の子。定子の兄】
ゆかしき=拝見したい。
『あやふし』=(中宮が)不安だとお思いのようだ。「かたじけなくもあり」=恐れ多くもありますから。もてなさせ給ふ=振る舞いなさる。御用意=心づかい。気配り。
茵(しとね)=(勅使に対して)敷物。
禄=(お使いへの)褒美。かくしも=このように。色を合わせた配慮。
ことさらに=特別に。殿の御方より=(中宮の代わりに)。細(ほそ)長(なが)=表着。
行(ぎやう)事(じ)=担当。