創作日記&作品集

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「わたしなりの枕草子」#310

2012-02-08 09:46:57 | 読書
【本文】
関白殿、二月二十一日に⑧
 みな、乗りはてぬれば、曳き出でて、二条の大路に榻(しぢ)にかけて、物見る車のやうに立て並べたる、いとをかし。「人も、さ見たらむかし」と心ときめきせらる。四位・五位・六位などいみじう多う出で入り、車のもとに来て、つくろひ、物言ひなどする中に、明(あき)順(のぶ)の朝(あ)臣(そん)の心地、空を仰ぎ、胸を反らいたり。
 まづ、院の御迎へに、殿をはじめ奉りて、殿上人・地下などもみな参りぬ。
「それ、わたらせ給ひて後に、宮は出でさせ給ふべし」
とあれば、「いと心もとなし」と思ふほどに、日さしあがりてぞ、おはします。御車ごめに、十五、四つは尼の車。一の御車は唐車なり。それにつづきてぞ、尼の車。後(しり)・口より水晶の数珠、薄墨の裳・袈裟・衣、いといみじくて、簾は上げず、下簾も、淡色(うすいろ)の、裾少し濃き。次に女房の十。桜の唐衣・淡色(うすいろ)の裳・濃き衣・香染め・淡色(うすいろ)の表(うは)着(ぎ)ども、いみじうなまめかし。
 日は、いとうららかなれど、空は緑に霞みわたれるほどに、女房の装束の、匂ひあひて、いみじき織物・色々の唐衣などよりも、なまめかしう、をかしきこと、限りなし。
 関白殿、その次々の殿ばら、おはする限り、もてかしづき、渡し奉らせ給ふさま、いみじくぞめでたし。これをまづ、見たてまつり、めで騒ぐ。
 この車どもの、二十立て並べたるも、また、「をかし」と見るらむかし。
「いつしか出でさせ給はなむ」と、待ち聞こえさするに、いと久し。「いかなるらむ」と、心もとなく思ふに、からうじて、采(うね)女(べ)八人、馬(むま)に乗せて曳き出づ。青裾濃(あをすそご)の裳(も)・裙帯(くたい)・領(ひ)布(れ)などの、風に吹きやられたる、いとをかし。豊前(ぶぜ)といふ采女は、典(てん)薬(やくの)頭(かみ)重雅(しげまさ)が知る人なりけり。葡萄(えび)染(ぞめ)の織物の指貫(さしぬき)を着たれば、
「重雅は色許されにけり」
など、山の井の大(だい)納(な)言(ごん)笑ひ給ふ。
 みな、乗り続きて立てるに、今ぞ、御(み)輿(こし)出でさせ給ふ。「めでたし」と、見奉りつる御有様には、これはた、比ぶべからざりけり。

【読書ノート】
 曳き出で=(門外へ)。
 榻(しぢ)=牛車の牛をはずした時、轅(ながえ)の軛(くびき)を支え、また乗り降りの踏台として用いる具。→広辞苑第六版。こういうのを電子本で図示できたらなあと思います。一目瞭然ですものね。
 つくろひ=(車を)整える。明(あき)順(のぶ)の朝(あ)臣(そん)=貴子の兄。中宮の伯父。晴れの行啓に大得意です。
 院=東三条院(九六二ー一〇〇二)円融天皇の女御。 藤原兼家の娘。藤原道長の姉。一条天皇の生母。九九一年出家。太上天皇(譲位後の天皇の称号)に準じて女院号の最初である東三条院をさずけられた。名は詮(せん)子(し)。→ (デジタル版日本人名大辞典+Plusから抜粋)。大変な女性ですね。
 それ、わたらせ給ひて後に=女院が、こちらへ起こしになってから。
 心もとなし=待ち遠しい。御車=お召し車。ごめ=含めて(一五台)。後(しり)・口=車の後先の簾から。
 匂ひあひて=(春の日差しと)色調が釣り合っていて。いみじき織物・色々の唐衣=立派な織物やいろんな色の唐衣よりも(なまめかし=優美である)。もてかしづき=大切にお世話をして。渡し奉らせ給ふさま=お供されている様子は。これをまづ=(私たちは)。女院の行列をまず(拝見して)。
 この車=中宮側の女房車。見るらむかし=(先方では)。
 いつしか=早く。
 采(うね)女(べ)=宮中の女官の一。天皇・皇后のそば近く仕え,日常の雑役にあたる者。律令制以前には地方の豪族が,律令制では諸国の郡司以上の者が一族の娘のうち容姿端麗な者を後宮に奉仕させた。うねべ。知る=親しい。「重雅は色許されにけり」=豊前(ぶぜ)と重雅の関係を揶揄した。女人でも馬に乗る時は指貫(さしぬき)をはいた。
 御(み)輿(こし)=(中宮の)。御有様=(女院の)。比ぶべからざりけり=比較にならぬ素晴らしさだった。