創作日記&作品集

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「わたしなりの枕草子」#311

2012-02-09 07:46:09 | 読書
【本文】
関白殿、二月二十一日に⑨
 朝日の、華々(はなばな)とさしあがるほどに、葱(ねぎ)の花いときはやかにかがやきて、御輿の帷子(かたびら)の色つやなどの清らささへぞ、いみじき。御綱(みづな)張りて、出でさせ給ふ。御輿の帷のうちゆるぎたるほど、まことに、「頭(かしら)の毛」など、人のいふ、さらに虚言(そらごと)ならず。さてのちは、髪あしからむ人もかこちつべし。あさましう、いつくしう、なほ、「いかで、かかる御前に馴れ仕るらむ」と、わが身もかしこうぞ、おぼゆる。御輿過ぎさせ給ふほど、車の榻(しぢ)ども、一度(ひとたび)にかきおろしたりつる、また牛どもにただ掛けに掛けて、御輿の後(しり)につづけたる心地、めでたく興あるさま、いふかたもなし。
 おはしまし着きたれば、大門(だいもん)のもとに高麗(こま)・唐土(もろこし)の楽して、獅子・狛犬踊り舞ひ、乱(らん)声(じやう)の音・鼓の声に、ものもおぼえず。「こは、生きての仏の国などに来にけるにやあらむ」と、空に響きあがるやうにおぼゆ。
 内に入りぬれば、色々の錦の幄(あげばり)に、御簾いと青くかけわたし、屏幔(へいまん)ども引きたるなど、すべてすべて、さらに「この世」とおぼえず。 御桟敷にさし寄せたれば、またこの殿ばら立ち給ひて、
「疾う下りよ」
とのたまふ。乗りつる所だにありつるを、今少しあかう顕証なるに、つくろひ添へたりつる髪も、唐衣の中にてふくだみ、あやしうなりたらむ。色の、黒さ・赤ささへ見え分かれぬべきほどなるが、いとわびしければ、ふとも得下りず。
「先ず、しりなるこそは」
などいふほどに、それも同じ心にや、
「退(しぞ)かせ給へ。かたじけなし」
などいふ。
「恥ぢ給ふかな」
と笑ひて、からうじて下りぬれば、寄りおはして、
「『むねかたなどに見せで、隠しておろせ』と、宮の仰せらるれば、来たるに、思ひぐまなく」
とて、引き下ろして、率(ゐ)て参り給ふ。「さ、聞こえさせ給ひつらむ」と思ふも、いとかたじけなし。

【読書ノート】
 葱(ねぎ)の花=屋根にねぎぼうずを形取った金属製の擬(ぎ)宝(ぼ)珠(し)飾り。御綱(みづな)張りて=御輿の綱を四隅から四方に張って、御綱(みづな)の助がその端を取って、揺れを防ぐ。さらに=(下に打ち消しの語を伴って)全然。決して。まったく。かこち=託つ。①口実にする。②愚痴を言う。嘆く。どちらの口語訳もあります。御輿過ぎさせ給ふ=(私たちの所を)。榻(しぢ)=轅(ながへ)の誤りか。御輿が先に立たれる時、女房車の轅を一斉に榻(しぢ)からおろして車ごと低頭する。→萩谷朴校注。
 おはしまし~=(積善寺に)。ものもおぼえず=無我夢中である。空に響き=(楽の音と共に)。昇天する。
 幄(あげばり)=参列の人のために庭に設けた仮屋。
屏幔(へいまん)=式場・会場などに張りめぐらす幕。
 御桟敷(中宮様の)。
 乗りつる所だにありつるを=乗った所でさえそうだったのに。あかう=明るく。つくろひ添へたりつる=(髢(かもじ)=そえがみを添えて)。
黒さ・赤さ=地髪の黒さ。髢(かもじ)の赤さ。わびし=やりきれない。ふと=すぐに。
「退(しぞ)かせ給へ。かたじけなし」=お退き下さい。もったいのうございます。主語は清少納言。
 むねかたなど=不詳。作者が見られるのに都合の悪い男(別居中の夫)。思ひぐまなく=(退けなんて)察しが悪い。主語は伊周。
 別居中の夫と顔を合わせないようにという中宮の配慮がありがたい。華麗な行事の中に、中宮と清少納言の心の交流が描かれています。素晴らしい段ですね。難しいけれど……。