昨夜は盛大に咳をしながら入浴し、なんとか日付が変わる前に眠りに着いた。咳込んだりお手洗いで目が覚めることもなく、いつものスマホアラームで目が覚める。もう一度寝ようと思ったけれど、眠れず。そのままベッドでグズグズしてBSで朝ドラを視てノロノロとリビングに移動する。
夫も今、起きたところだという。朝食の支度をしようと思ったら、夫がやってくれるというので甘える。ところが、今朝、咳をすると、脇腹に激痛が走る。昨日までは腹筋が少し痛いくらいだったので、咳を我慢するより出してしまった方がいいやと思いっきり咳をし続けていたのが良くなかったようだ。あばら骨に響く咳が出ると身体をよじるような激痛に絶句する。うーん、これはコデインを飲んだ方が良かったか。
今回も吐き気はないけれど、昨夜から引き続き身体中がギシギシと関節痛でもある。
外はいいお天気で、最高気温が20度まで上がるという。洗濯日和なのだろうけれど、殆ど溜まっていないし、明日もお天気の予報なので明日廻しに。夫と2人で、咳をしないように脇腹を庇いながら朝食を摂る。
今日はオンライン瞑想ヨーガ指導者養成講座14日目。夫がリビングの隣の和室で仕事をするようなので、せっかく勝ち取った自分の部屋で受講することに。南側のリビングは日差し燦燦で暖房要らずなのだが、こちらは北側なのでかなり冷える。じっと座っているので迷わず暖房を入れる。
14日目の今日もHさん、Tさんと私がリアル参加だ。今日は前回の続き、女神のキールタンから。定刻5分ほど前にZoomを繋ぐ。
開始前の雑談で、昨日、Sさんの愛息T君が幼稚園の滑り台で頭を打って病院に行ったというお話を伺う。縫い傷には至らなかったけれど、帰路に嘔吐があり、今日の講座が出来るかどうか心配されたという。帰宅後、お昼寝をしたら元気になったとのこと。男の子は活動的だから心配の種が尽きないだろうな、と息子の子育てを思い出した。それにしても無事で何より。
オームを3回、シャーンティを3回唱え、私達が平穏で守られますように、とショートメディテーション。クンバカを意識して呼吸をし、暫し休息。
一昨日の講義から中一日。その後に感じたことの質問や、感想等についてのシェアからスタート。
Hさんは「今日は別宅から参加しており、Wi-Fiでなくタブレットでもないため、声が切れ切れになるかもしれない。クラスの後は書道のお稽古、昨日の着付けの仕事がキャンセルになり、昨日午後急遽こちらに来た。」とのこと。
Tさんは「神様との距離を自分で決めて良いという言葉が印象に残った。遠慮や壁がなくなり、自分の感覚も溶けたようですんなり。女神の歌の後の感覚が残ったままずっと歌っている感じ。女神を自分の味方にしている感じ。太陽礼拝や完全呼吸の練習も続けている。マントラ付きでこれまで最後まで声が持たなかったが、講座の録画を視ながら行った。太陽の恩恵と感謝はただ知っていただけだったが、太陽の光を味わいながらマントラを唱えて散歩をしたら、今朝初めて最後まで声が続いた。太陽を呼び起こす、という言葉に反応したと思う。」とのこと。相変わらず素晴らしい。
Sさんも「呼び起こす、ということのために学んでいる。素晴らしい。悟りの道の一歩を踏んでいる。ヨーガでは私とあなた、神と私、もともと一体だったものを全てを1つに戻していくことを学ぶ。私の中にもともと太陽があった、という進歩だ。」とコメントされる。
Sさんの師匠は「皆のことを私と思って(平等に)愛しているが、時折、私は愛されていない、取るに足りないと思う人がいる。これはあなた自身が決めていること」と仰るとのこと。なるほど、である。
私は「一昨日の講座後、病院に行き、検査、前泊で昨日は点滴治療を終え、割と早く帰宅したものの疲れて何も出来なかった。今回は再受講で、仕事も辞めたし、あれもこれも出来るつもりでいたが、時間も身体もついていかなく、思うに任せない。最初の受講時のような学ぶ喜びよりも焦りや苦しみで、なんだかなぁと思うことが多い」としょぼくれた発言をしてしまう。
Sさんからは「今○○さん(私)はタパス(必要な辛抱)の最中で何かが燃えているのだろう」とのコメントを頂く。タパスであるなら避けられないことなので、受け止めてやっていかねば、と思う。加えて「○○さんとは長くお付き合いしているが、スーパーウーマンだと思っている。私の視点から見ると素晴らしいのだけれど・・・」と仰ってくださる。私は自己肯定感が低いのだ、と発言する。一方息子は自己肯定感が高いので(子育てが)上手くいったと思っている、とも。
気を取り直してパジャマナマーのキールタンを皆で気持ち良く繰り返して歌う。
ここで感想。Hさんは「朝からインターネットが繋がらずバタバタして、言いたかったこの3日のことも言えず。Tさんや○○さんの話を聞きながら、○○さんが大変な思いをしてクラスに参加していることが判り、こうしてキールタンを唄い、3人で受講出来ていることが奇跡だと思う。今の私にこの4時間が必要で、だからこそ受けられている。自分でクラスをやっているが、そこではポーズどうこうよりも、その人がその日一日楽しく過ごせるものに出来たらいいなと思っている。」との発言。
Sさんは「その人が幸せな心を思い出すように、に感動した。素晴らしい」と仰る。
Tさんは「○○さんの話を聞き、○○さんが微笑んで受け止めてくれるので、ここでは正直に話せる気がしてついつい甘えてしまっている」とのこと。いえいえ、とんでもない、である。
Sさんからヨーガ的に子どもを持つ人と持たない人の話題に。
この世界には社会に愛を送る女性が絶対に必要で、生物学的な子に無条件の愛を渡す女性はその子のためにリゾートを作り、安全基地となっていく。一方で社会に向けて無条件の愛を向ける人、すなわち子どもを持たない社会学的な母である女性も必要である。こんなプライベートな話が出来る場はそうはないだろう。
オンラインでしか会ったことのない方と密度濃く講座をともに歩いているからこそ出来る深い話である。
そしてヨーガ・スートラへ。成立時期/編纂者、構成、編纂者・聖者パタンジャリの3つの偉大な功績について、大まかに説明を受け、パタンジャリを讃えるシュローカをSさんの後について唱える。
続いて内容に入る。ヨーガの智慧、最終境地、この世界とはどんな場所か、ヨーガ・スートラで説かれる人生の苦しみの解消方法、心の落ち着きと清らかさを保つ方法について説明を受けた、午前中は終了。
感想を一言ずつ。Hさんは「全ての物事には痛みを伴うということを忘れていた。“最善なことが起きている”とずっと思いこもうとしていたが、痛みもある。それが大前提なら笑っていられるようになる。」と仰り、Sさんは「毎日何かのために起こっている、といえるのはもはや賢者に近い」とのコメント。
私は「最初に皆さんを心配させてしまったが、午前中の学びで「全部既に学んでいたことではないか!」と思った。痛みも不幸な感覚も全て自分で持ってきていた。加点法が出来ずに自分にダメ出しをするのは私の悪い癖。断捨離トレーナーにも言われたことである。全ては起こるべくして起こり、なるようになる、最善のことであった」と発言。
すると、Sさんから「ネタバレするので黙っていたが、あまりにぴったりだったので、今日のことを予習されたのかも、と思った」とのこと。いえいえ、とんでもない、である。
Tさんは「最初に幸せでいると決める、と聞いた時にびっくりした。幸せはやってくるもの、何かがあって幸せになると思っていた。孤独は無知から来るものということも分かって有難い」と仰った。
Sさんからは「駆け足だったので、また本も併せて読んでみて欲しい」とのコメント。
ここで30分の休憩。午前の講義が後半に差し掛かった頃、先日購入したオフィスチェアが届いた模様。夫が早速組み立てて私の部屋に持ってきてくれようとしたようだが、どうにも大きくてドアから入れることが出来ず、また解体して入れ直してくれた。ようやくこれまでの肘なしの不安定な椅子を卒業して、両肘付きの立派な椅子が入ったが、家具屋さんで見た時より随分大きくてびっくり。
夫にその作業を任せ、メールチェック等をしてから私は急いでサンドイッチとスープでランチ。夫は可哀想に私に面倒を見てもらえないので自分でレンチンパスタを食べている。
あっという間に時間になり、午後の部スタート。
主要なスートラの和訳を交替に読んでいく。3人でどんどん持ち回るのでぼやぼやしていられない。猛スピードで4章迄終わる。
最後はワーク。10分ほど時間を頂き、「ヨーガ・スートラを学び、ヨーガの練習や暮らしに取り入れたいと思ったことをまとめよう」を行う。
自分で選んだことをそれぞれがシェアする。Tさんはスートラの中の印象に残ったものをいくつかセレクトされる。
私は八支則から7年前の講座の時も同じものを選んだと思うが、と前置きしつつ暮らしに取り入れたいのは、今年は断捨離をしたことだし、とアパリグラハ(溜め込まない)、サントーシャ(満足~幸せな気持ちを保つ)、イーシュヴァラ・プラニダーナ(~最善を尽くしたら世界に委ねる)。ヨーガの練習ではダーラナ、ディアーナ、サマーディ(一心集中、瞑想、深い瞑想)とプラーナヤーマ(呼吸法)を選んだ。
Hさんは「原点に立ち返り、シャウチャ(清浄)を選んだ。モノだけではなく人と距離をとることで清らかさを取り戻すことが出来る」と仰る。人間関係の話になり、これまた日常的に考えることや考えたいことでヨーガの智慧を使うことが出来るとSさんがまとめられる。私にも思い当たることがあったので、少しシェアする。
最後はバガヴァッド・ギーター。その概要、マハーバーラタとは、作者と成立年代、あらすじ、特徴、教えとその中のヨーガ、日常生活に活かせる智慧について説明を受ける。
これまた駆け足だったが、最後に感想と質問。
私は「Sさんのあらすじは何度聞いてもリアルで面白い。けれど、実際に岩波文庫を読み始めると、難しくてカタカナの名前がとんでもなく沢山出てきてめげる。」と発言した。
Hさんは「戦いのシーンしか覚えていないが、今日ヨーガの智慧が詰まっていたと知った。ラストの「極端すぎると鈍くなる」という部分が色々思うことがあった」と仰る。
Tさんは「ギータは初めて。勉強したくなるけれど、まずはスートラ、その後ギータかな、と。お薦めの順番はあるのか」と訊かれ、Sさんからは「好みで」というお応え。
ここで本日は終了。あと2回でステップ1(学びの部)は終了になる。その後ステップ2(インストラクションの部)に移行するが、なんとリアルでステップ2を受講するのは私だけということが判明した。焦る。
Sさんとマンツーマンなんて夢のようなことである。少し相談して、ご迷惑にならないなら録画ではなくリアルで受講させて頂くことにした。
片づけて、リビングへ。夫は自室に残った息子の残骸を黙々と片付けている。このまま籠城蟄居するよりも買い出しもあるし、寒く暗くならないうちに、と夫をお茶に誘う。外はまだ日中の暖かさが残っている。
治療翌日、講座受講の後、更に外に出るというのはちょっと無謀ではあったが、アウトレットモールのカフェで久しぶりにカフェラテ蜂蜜トッピングとドーナツを頂って気分転換。
その後、リビング用品を少し見てからドラッグストアで買い物して帰宅した。さすがにちょっと頑張り過ぎて草臥れ果てる。30分ほどリビングで横になって態勢を立て直す。
ミールキットで夕食を整え、頂く。残さずちゃんと食べられるのがエンハーツの治療後と全く違う。
食後、母にMeet通話をすると、お歳暮が到着したとのこと。明日は2人のヘルパーさんが午前・午後と大物を取りに見えるとのこと。応接間から大物が3点消えたらがらんとすることだろう。
目薬は差しているが、相変わらず涙目が鬱陶しい。なんだかんだとまたこんな時間になってしまった。とにかく咳をしないように、脇腹の痛みに悶絶しないように、とひやひやしながら過ごしている。
明日はちゃんと洗濯機を廻そうと思う。