ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2012.11.25 EC4回目投与3日後、冴えない3連休終了

2012-11-25 17:41:05 | 日記
 昨夜も相変わらず食欲はまるっきり。味覚異常が酷くなっており、夫が作ってくれた夕食のおかずの味がさっぱりわからない。何やら苦みと塩気ばかりが気になる。結局、作ってもらっても食べられずじまいという申し訳ない日が続いている。匂いが気になって一緒に食卓に着けないのも心苦しい。
 入浴後、ナウゼリンを飲んでベッドに入るが、数時間眠ったところで気持ち悪さで必ず目が覚める。と、結局そのまま朝になってしまう。

 今日は2人が朝から都心に出かけるので、いつもの日曜日より早めに目覚ましをかけて、頑張って起きた。3日ぶりに朝食の支度もし、洗濯干しもして何とか2人を無事送り出すことが出来た。
 リビングで横になって、溜まった新聞等をゆっくり読む。2人が無事パレード見物の場所取りが出来た、とメール連絡がきてから、気付けばそのまま昼までウトウトしてしまう。ふと何もお腹に入れていなかったことに気づき、赤いヨーグルトを飲んで、デカドロン8錠を飲む。おかげで火照りが鬱陶しいのだが。

 先日通院した時に「私のノート」を見た針刺し名人看護師のOさんに「あら、ちょっと体重が増えてきましたね。」と言われた通り、前回の投与から2㎏近く増加していた。だが、こうして食べないでいるとあっという間に1㎏減っている。さらに投与翌日からは便秘も続いているので、これでお腹がすっきりすればもう少し減っているかもしれない。こうして毎回2㎏増えて2㎏減るという3週間を繰り返している。体重が落ちると当然のように体力が落ちるので、体が危機感を感じて、投与直前の1週間は「食べなくては」という指令が働き、自分でも驚くほど食欲旺盛になる。うまく出来ていると思う。

 息子は、今日は朝から塾の模試の予定だったのだが、優勝パレードに行きたいために午後2時半からの特別時間割を頼んで話をつけてきていた。そんなわけで、最寄駅に到着した2人はそこで分かれて夫だけ先に帰宅した。

 私はそうとは知らなかったのだが、息子が昨日「お母さんが作ってくれる料理の中で一番好きだ。」と夫に言ったというメニューを圧力鍋で簡単に作ってみた。食欲はないし、味も分からないのだけれど、いつもの感じで。

 2人が出かけている時間、もし元気だったらお天気もいいようだし少し散歩でも出来たらいいな、と取らぬ狸の皮算用をしていたのだが、結局、今日も一日またパジャマで過ごしてしまった。これで3日連続籠城蟄居の引きこもり。
 3連休もおしまいだ。なんとも冴えない3日間だった。あっという間に暗くなってしまう。

 明日からは世の中はまた新しい1週間が始まるが、初日の月曜日、あいにくお天気が悪くなるようだ。
 2人は通常通りの出勤と登校。私はおかげさまで先日の休日出勤の代休を充てているので、あと1日休息できるのは有難いことである。
 明日はどうかもう少し元気になっていますように。
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2012.11.24 EC4回目投与翌々日、今日も今日とて役立たず。自分の首を締めないために・・・

2012-11-24 19:20:07 | 日記
 昨夜も夫が用意してくれた夕食は手が付けられず、食べられそうな冷凍食品を探してお腹に入れる。やはり味覚異常なのか、何を口に入れても美味しいと思わない。
 今朝も目覚ましを鳴らしたものの、起きられず、夫に息子の朝食と送り出しを甘えてしまった。その後、ベッドでぐずぐずしながら、気になった予定等のメール連絡をする。携帯のメールを打つのは相変わらず遅いので、長文だとどうしてもPCの方が良いのだが、なかなかPCのある和室で椅子に座る元気が出ない。

 結局、お昼近くにのそのそと起き出す。ナウゼリンを飲んでから赤いヨーグルトを飲んでイメンド80mg、デカドロン8錠を飲む。デカドロンのせいか火照りが酷く、顔が真っ赤で熱っぽいが、測っても平熱にすぎない。
 夫と息子は午後美容院でカットの予約。その後、2人で外食してもらった。夫から「3人揃って美容院に行っていたのが懐かしいね。」と言われて、確かにあと2年はそういうことがないのだな、と思うと切なくなる。やはり女性にとって美容院はとても素敵なところなのだな、と思う。
 一人でリビングに陣取ってウトウトする。なんとも情けない体たらくと思うが、いかんともしがたい。動けない。あっという間に夕方近くなり、夫が帰宅。息子は明日のパレード行きに備えて塾で自習だ。

 さて、朝日新聞の働く女性応援プロジェクトによる「キャリア×ライフスタイル」サイト「ジョブラボ」で、ももせいづみさんの面白い記事を見つけたので、長文ではあるが、以下、転載させて頂く。

※ ※ ※(転載開始)

家事は、“役割”ではなく”作業” ももせいづみ (2012.11.14)

 ダボス会議で知られる世界経済フォーラムが発表した2012年の「男女格差報告」によると、日本は調査対象となった135カ国中101位で、前年より順位が3つ降下。議員や企業幹部での女性の数の少なさは、先進国や主要国の中で最低水準の評価となりました。
 「男女の格差が小さい国」のナンバーワンはアイスランド。そのあとには北欧の国々が続きます。たとえばスウェーデンでは国会議員のほぼ半分は女性。8割近い女性が仕事を持ち、子どものいる女性も多くが働いています。 様々な背景があるとはいえ、女性を取り巻く環境が国によって違っているのは、興味深いことですよね。

「主婦が働いたら、家事はどうするの?」

 さて、こうした話題をツィッターで持ちだしてみたところ、「北欧の女性が当たり前のように働くのであれば、家事はどうしているのですか?外注するのですか」といった質問がありました。私は、こうした疑問を抱いてしまうことこそが、日本の女性たちが置かれている状況を表しているのでは、と思います。
 主婦の方々を対象にしたセミナーで、日本の「M字型就業」(女性が出産後に離職し、育児が落ち着くとパートなどを含め再就職するため、30代前後の就業率が落ち込み、修行者数のグラフとしてM字を描くこと)のお話をしても、多くの方が「知らなかった」と言います。これは先進国の中では日本と韓国だけに見られる現象です。近年出生率が上がっているフランスでは、30代前後の女性の就業率は山型を描くことをお話すると、「主婦が働いたら、家事はどうするの?」と驚かれます。そうとっさに考えてしまう背景には、やはり「家事は主に女性が担うもの」という女性自身が抱いている価値観もあるのではないかと思います。ですから、前述の質問への答えはこうなります。
 「『働いたら、家事はどうするのだろう?』と考える発想自体が北欧にはない」。

シェア家事発想を持とう

 家庭を持つ女性も働かなくてはいけない、ということではありません。ライフスタイルは個人の自由です。ただ、「家事は女性の仕事」と自らに課してしまうと、仕事で忙しくて十分にできなかった時に自分を肯定できなくなったり、責任を感じて罪悪感を抱いてしまったりします。
 私は家事を「役割」として捉えるよりも、「作業」として個別にドライに考えるのがよいと思います。時間をかけてでもよりよく取り組みたいと思う種類の家事は、時間と気力がある時に「楽しみ」としてやることにするとして、普段回していかなくてはいけない家事は、誰がやっても、いつやっても、結果さえでればどんな方法でもよいと考えるのが自然です。大事なのは、同じ場所で暮らす者同士で「シェア」していけるということです。
 腕利きの職人さんがいたとします。その人1人が作業を抱え込むと、道具がどこにあるかはその人だけがわかればよいことになります。小さな工夫を重ねることがスキルアップにもつながりますから、他人にはわからない独自の方法も考えることでしょう。もし、別の人に手を出されたら、やり方が違うと怒ることもあるかもしれません。
 でも、職人芸のいらない通常の作業をしようと思ったら、誰でもシェアして作業を担えるよう、道具の置き場はわかりやすく、方法もシンプルにしてハードルを下げ、お互いを尊重しあって、「できる人が、できる時に、できる方法でやる」環境や仕組みづくりをする必要があります。

家事もユニバーサルデザインの発想で

 「障がいを持つ人にとって使いやすいものは、障がいを持たない人にとって、一番使いやすい」というのが、ユニバーサルデザインの考え方。家事にもこうした発想を取り入れていくことが、これからは大事だと思います。
 シェアして欲しい家族が、「時間がない」とか「家事が苦手」とかであれば、その人に合わせた方法を工夫しましょう。これまでにご紹介してきた、以下の記事が役に立つと思います。よりよく、きちんとできることよりも、一緒に暮らす者同士が助けあいながらシェアできることが大切です。結果的に、それは家事を主に担っていた人、家事を得意としてきた人たちにも、よい結果をもたらしていきます。
 まずは家庭の中の小さな仕事から、発想を変えていく。それがやがて、社会のあり方も変えていくこともあるように思うのです。ユニバーサルデザインの視点でシェア家事を。ぜひ取り組んでみていただきたいと思います。

(転載終了)※  ※  ※

 研修で北欧を訪れてから早くも18年目の晩秋を迎えてしまった。それゆえ、私の中の北欧のイメージは既にふた昔前、ということなのだろうけれど、それでもこうした「仕事をしたら家事は誰がやるの」的な発想は、当時も存在していなかったように思う。街中では、ベビーカーを押しながらビジネスマン姿のパパが携帯電話でお話中、という姿も珍しくはなかった。保育園のお迎えに来るパパを撮影しようと思って待ち構えていたら、来る人来る人、パパばかりで拍子抜けしたこともあった。イクメンは既にごくごく普通の光景だった(それは北欧だけでなく、フランスもそうだった。)。

 そう、何があっても家事は主婦の私がやらなくては、と思うことは、結局のところ、自分の首を絞めることになる。もちろん私は極めて小心者だから、サボりを決め込むつもりはない。出来る時は出来ることをやる。けれど、出来ない時は助けを求める。苦手なら得意な方がやる、ごくごくシンプルではないか。お互いに助け合って補い合って暮らすからこそ家族なのではないか。ガチガチに役割分担として考えなくてもいいのだ、と発想を転換するだけでとても楽になるではないか。

 これが、家事が得意でない私の言い訳に聞こえないことを願うのだけれど。
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2012.11.23 EC4回目投与翌日、わがままぐうたらの勤労感謝の日

2012-11-23 21:13:03 | 日記
 昨日、匂いに敏感だということに触れたのだが、病院から帰宅した時にはそれほどは酷くなかった吐き気だったのに、キッチンに入ると、凄い焼肉臭にノックアウトされる。いきなり吐き気が襲う。私がいなかった一昨日の夕飯に、2人で“おうち焼肉”を愉しんだらしい。リビングもまだ匂いが充満していて、窓を開け放し、換気扇を最強にするがなかなか取れない。

 そんなわけですっかり食欲がなくなって横になった。息子が塾から帰ってきて夕食。食べられるかもしれない、と買ってきたお寿司を見ても、全く食欲がない。空腹ではあるのだが、結局、作ってもらった定番の酸っぱい春雨スープの上澄みをすすり、お寿司を2つつまんで終了。

 入浴してもまだ気持ち悪さが遠のかず、就寝前にナウゼリンを飲む。おかげで3時間半ほど眠れたが、やはり気持ち悪さで目が覚めてしまう。その後、また右や左にのた打ち回って朝になった。目は覚めてもベッドでお行儀悪く連続ドラマ等を見てぐずぐずする。

 息子は定期試験1週間前。日曜日には大好きなジャイアンツの優勝パレードを見に夫と銀座まで繰り出す予定なので、今日はしっかりやってくるようにと、お昼とおやつを持たせて塾に追い出す。
 洗濯物を干してから赤いヨーグルトと果物一切れだけを何とか押し込み、イメンド80mg、デカドロン8錠を飲み下す。気付けばお昼近くになってしまった。生協の宅配が届いていたので、その収納。先週は食欲旺盛であれもこれもと注文したが、今は大量の食材を見てげんなりするばかり。冷蔵庫が一杯になり、ちょっとため息。

 夫から「お昼はどうする?」と言われ、「今何とか朝食らしきものを押し込んだのに、お昼のことなど考えられない。」と返答。続いて「夕飯何が食べたい?」と来た。「まったく食欲がないし、夜になって何が食べたいかどうかわからないし、作ってもらって食べられないのは申し訳ないので私は要りません。」と返答。
 リビングで先日録画していたNHK特集の「がんワクチン」を見ながらまたうとうと。私がリビングで陣取っていると、夫は居場所がなさそうなので、夕方前にベッドに逆戻り。ウトウトではあるが、いくらでもベッドにいられる。

 夕食は、食欲旺盛な息子の隣では圧倒されるし、匂いが気になるので、2人の食事が終わる頃にのそのそ起き出した。さて、いい加減何かお腹に入れなくては・・・。口から入れた食べ物がなかなか下まで降りて行かずに、途中で発酵している感じで、お腹の中はぐるぐるかき回されている。口の中も気持ち悪い。夫が「何か作ってあげる。」と言ってくれるのだが、「本当にいいから、何か食べられそうなものを見つけて自分で用意するから。」と相変わらずわがまま全開、一日中パジャマの困った病人である。
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2012.11.22 EC4回目、ゾメタ78回目中止

2012-11-22 19:43:54 | 治療日記
 昨夜は、また明日からはろくに食べられなくなるから、と、好きなもので夕食を摂った。その後は、早めにゆっくり入浴し、ベッドに入って本を開いたが、すぐに眠気が襲い電気を消した。加湿器と空気清浄器を入れてもらったが、ホテルの部屋はかなり乾燥している。夜中に2回お手洗に起きて、明け方2時間は眠れずじまいで、結局、目覚ましが鳴る前に起きてしまった。

 今朝は夫がいつもより40分早く家を出るというので、いつもより早めのモーニングコール。そして、いつものように足湯をしてじんわり汗をかいてから、ごく軽めに朝食を摂った。息子が一人で鍵を閉めずに出ていくのが心配なのと、ちゃんと薬を飲んだかどうかを確認するための電話を入れる。今日は体育の授業も大丈夫そう、とのことで安堵した。

 今日は、診察前の採血があり、ゾメタも含む点滴6本の予定なので、一刻も早く帰宅出来るようにと、前回同様、自宅から出向くより1時間早く病院に到着するようチェックアウトした。
 
 自動再来受付機にIDカードを通し、採血受付に行く。受付が始まって5分も経過していないのに既に30人の待ち人数だ。受付まで15分、その後10分ほど待って順番が来た。今日は女性の臨床検査技師さんで、痛みはほとんどなくラッキーだった。今日も大小2本の採取。
 止血後5分ほど待ってから腫瘍内科へ移動。読書しながら「中待合へどうぞ」の番号が点滅するのを待つ。自動血圧器の測定結果は103-61、脈拍は92。中待合に入れるまでに受付後1時間以上かかったが、そこから診察室に入るまでは10分で済んだ。

 「さて、どうでしたか。」の問いに「やはり、1週間経つまではいろいろありました。」と“わたしのノート”を見ながら日々の状況(気持ち悪さ、だるさ、排尿時の灼熱感、便秘、胸痛等)をお伝えする。先生はPCにどんどん打ち込んでくださる。そして「やはり奥歯がなんとなく疼く感じがあります。先週末の3カ月ぶりの歯科検診で、右奥歯の骨の状況があまり良くないと言われました。」とお話しする。
 先生は「うーん、ゾメタ休みましょうか。」とおっしゃる。「大丈夫ですか?」と訊くと「ゾメタの副作用である下顎骨壊死だが、歯の状態が良くない時に(ゾメタを)使うのはあまりお勧めできない。(壊死するのに)これといった誘因がないし、明らかな前触れもない。気が付いたら(壊死が)始まっている、そしていざ(壊死が)始まってしまうとその後の治療がとても大変になる。今の治療でゾメタがとても大事かと言われればそれほどでもない。EC治療をともかく予定通りにやることが大事。つまり抗がん剤が主でゾメタは従である。一旦(下顎骨壊死に)なってしまえば、ゾメタどころか抗がん剤治療も休まなければならなくなるので、やはり今日から中止しましょう。」と。
 ゾメタ中止を納得して、先月の婦人科検診の結果をお見せする。診察室での検温は6度5分。

 本日の白血球は2800、好中球は53.0%。前回からグランを3回打ったのだが、あまり変わらないと言えば変わらない。それでも3回連続で打ったことで胸骨痛と腰痛が酷く出るようになったことをお話しし、次回4回連続と言われたら、通院の負担も考えて自己注射等についてもご相談するつもりだったが、それはない、とのこと。3回目、4回目と薬が蓄積することでだんだん白血球の戻りが悪くなっているとすれば、4回はともかく、痛みが我慢出来るなら3回は打ちたいとおっしゃる。今までのペースと同じ、来週の木曜日の夕方、金曜日の朝、月曜日の夕方のパターンでOKを頂く。
 嬉しい情報として、グランと同じ働きでありながら1回の注射でずっと効果がある薬が治験解析中とのこと。今回の治療には間に合わないけれど、この恩恵にも預かれるかもしれない。先生がおっしゃるには「今後はECほど白血球が下がる薬は使わないので次回は大丈夫でしょう。」とのこと。「ハラヴェンもかなり下がると聞いていますが・・・」と言うと「ECほどのものではない。」とのこと。

 グランを打つ時期として、治療をスケジュール通りに行うことだけを考えれば(白血球値の)「底」で打つのが良いが、「底」になるより前に熱が出てしてしまうため、入院を避けるためにはその前に予め打つ必要がある。されば、翌週の木金と翌々週の月でよいでしょう、とのこと。12月、1月は3連休にかかったりしてちょっと変則になるのだが、そのあたりはまたご相談できそうでほっとする。

 いずれにせよ、「今日は白血球が足りないので、治療出来ません。」ということだけは避けたかったので、無事にOKが出て本当に良かった。不思議なもので、副作用でヘロヘロヨレヨレになると「もうこんな治療は二度と嫌だ!」と思うのだが、人間というのは(私だけ?)実に上手く忘却するものであり、こうして3週間目に復活して病院に来ると、仕方ないから又やらなければ・・・というか、もし出来なかったらどうしよう、という気持ちになるのだから、本当に不思議なものだ。先生にそれを言うと「患者さんがヘロヘロなのを見ると、僕も、ああもうやめようかな、と思います。」とのこと。
 とにもかくにも今日で最低目標の4回がクリア出来たので、なんとか目標6回コンプリートが出来そうな気がしてきた。気になっていたのは、「当初の最低目標4回は規定量100mg×4で400mg。私は2回目以降8割に減量しているので4回でやめると340mgにしかならない、それなら最低5回やらないと420mgにならないですが?」と訊くと、「実際、白血球がこうして下がっているので、体にはかなりの負担があり効果があると考えられる。」とのこと。白血球が下がっているということは奏功している、と考えて良いそうだ。

 次回は12月13日。ここでレントゲンとマーカー値で効果測定をして、悪化していなければ、最終的に治療が終わった後で判定しましょう、ということになった。前回と同様、7種類の薬を処方して頂いた。

 「化学療法室へどうぞ」と看護師さんが呼びに来るのを待って中待合で読書を再開する。いつも10分ほどで呼ばれるのに、待てど暮らせど声がかからないし、いつもの看護師さんの姿が見えない。30分以上経って心配になり、その看護師さんが別の患者さんを処置室に呼ぶのを見て、今度出ていらしたら「いつになったら・・・?」と訊いてみようと思っていたところに、化学療法室から針刺し名人のOさんが「○○さん・・・」とお顔を出された。「声がかからなかったので・・・」と言うと「ごめんなさい。そのまま入ってきてくださると思って・・・」とのこと。
 いつからシステムが変わったのか、どのタイミングが悪かったのか、せっかく早めに診察が終わったのにここで40分もロスしてしまい、ちょっと滅入る。すぐに点滴椅子に案内されてその場でイメンド125mgを飲む。それから、売店までと氷(口内炎防止の為点滴中舐めておくもの)を買いに出る。
 戻って10分ほどしてKrさんがその場でポートに針刺。前回Krさんに刺して頂いた時は本当に痛かったので、ちょっと緊張するが、今日はそれほどではなく良かった。

 その後40分ほどして点滴開始。アロキシとデキサートの吐気止め、アセロラジュースのような赤いエピルビシン、エンドキサン、生理食塩水の4本。ゾメタと生理食塩水がキャンセルになって1時間は短縮されたので、差引20分は早めに帰れそうだ。
 思えばゾメタも来年の2月で丸5年になるところだった。奇しくも77回、ダブルラッキーセブンで縁起のいい終わり方かもしれないと独りごちる。

 リラックスするため、かつらを外して室内帽になる。前回までは点滴中にカップに入った氷を全部舐めきることが出来たが、さすがに今日は途中で寒くなって半分でリタイアした。読んでいた本はとても面白かったのだが、イメンドの眠気に勝てず中断した。それでも帰宅するまでには何とか1冊読み終わった。結局、点滴が終わったのは診察室を出てから3時間半後。終了時の血圧は104-61。

 抜針は名人Oさん。抜くときにバチンという衝撃がないのはOさんだけ。さすがである。お手洗では、前回同様アセロラジュース(!)が順調に排出された。混雑しており会計でも30分以上かかる。
 病院を出て薬局へ移動する。今日も数人しか待っていないのに、私より後の方がどんどん調剤が済み、出ていく。ここでも30分ほど待ってイメンド125㎎、イメンド80mg2日分、デカドロン1日8錠3日分、1日4錠2日分、クラビット7日分、カロナール10回分、ナウゼリン1日3錠7日分を頂く。
 本日の病院と薬局滞在時間は7時間弱。今日も昼食は抜きのまま。なんとなく胃がもたついた感じはあったが、何とかランチタイムに間に合ったので軽くお腹に入れてから帰路に着いた。

 最寄駅前のスーパーでお寿司を調達し、今日も迷わずタクシーに乗る。とりあえず真っ暗になる前に帰宅出来てほっとした。息子は塾に直行した模様。

 いつものことだが、今日も疲れている。明日は幸いなことに勤労感謝の日で祝日、月曜日は先日の土曜日出勤の代休なので、年休が無傷で精神的にとても楽だ。
 今のところやはりお腹がモタモタする感じで、酷い吐気はないものの、食べ物の匂いにとても敏感である。ああ、また始まったな、という印象だ。

 帰宅すると、昨日届いたお花を夫が花瓶に投げ入れてくれていたが、あまりにも窮屈で可哀想だったので、大きな花器に活け替えた。ピンク、クリーム、赤のガーベラが2本ずつ、紫のスプレーカーネーションが2本、赤紫のスターチスが3本、ヒペリカムが2本。それぞれの花言葉は「神秘」、「素朴」、「上品」、「きらめき」だという。

 今日も早く休もうと思う。
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2012.11.21 EC3回目投与20日後、「発達障がい」研修受講、明日に備えて今晩も前泊

2012-11-21 20:26:05 | 日記
 昨日一日学校も塾も休んで終日パジャマで過ごし、平熱に戻った息子ではあったが、駄目押しのつもりで早々にベッドに送り込んだ。
 夫が島の出張から無事に帰宅したら、気が張っていたのが一気に抜けたようで、何やらぐったり疲れてしまった。私も息子に次いで早々とベッドに入った。

 今朝は良いお天気だ。朝食の支度、お弁当の用意、夕食の下準備と洗濯干しを済ませ、息子を起こす。もうすっかり平熱ではあるが、3日間処方された薬は飲み切るように、との指示に従う。
 予報によると今日も風が冷たく寒さが厳しいとのこと。息子にはしっかり着込ませて、念のためマスクもさせ、武道の授業は見学する、と言うのでその依頼書を書いて送り出した。

 夕方、学内の研修に参加した。支援・対応研修「発達障がいへの理解と配慮について」というものである。
 案内チラシには「2005 年に発達障がい者支援法が施行されたこともあって、『発達障がい』という言葉は広く知られるようになりました。しかし、どのような障がいで、どのような配慮が必要となり、どのような支援を行なったらよいのかということは、まだまだ知られていないのではないでしょうか。もちろん、一人ひとりのニーズは異なるでしょうが、基本的な、正しい知識を身につけることが必要で、この研修がそのきっかけになるのではないでしょうか。」とあり、学生相談室の教授が講師を務められた。

 “大人の”発達障がいという言葉も良く耳にするようになった。何となく「あれっ?」と思った経験もなきにしもあらずだ。学生にもある一定の割合で該当する人がいるという。
 “知らない”ということは恐ろしいし、残酷なことだ。知らないがために、自分にも出来るちょっとした配慮を怠っているとしたら、それは申し訳ないことだ。文字通り良いきっかけになったと思う。

 明日はEC第4回目の治療予定だ。今日も職場から病院最寄駅近くのホテルに直行して前泊している。
 この後、予定通り順調に治療が進めば、年内は明日と12月13日の2回を残すのみとなった。年明けが最終回だから、もろもろあったけれど、いよいよこの治療も折り返せたことになる。
 後半戦のあと3回、奏功し続けてくれるとともに、私の心も体も副作用等に持ち堪えて無事治療が続けられますように・・・と願うばかりだ。
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