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マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

我は海の子

2025-01-30 14:38:30 | 『ウタ・ウタ・ココロウタ』

我は海の子 白波の騒ぐ磯辺の松原に 煙たなびく苫屋(とまや)こそ 我が懐かしき住処(すみか)なれ  生まれて潮に湯あみして 波を子守の歌と聞き 千里よせくる海の気を 吸いて童(わらべ)となりにけり  高くはなつく磯の香に 不断(ふだん)の花の香りあり 渚の松に吹く風を いみじき楽と我は聞く

 

これは海洋民族としての素直で健全な心象風景を歌ったウタ。日本人の素直でおおらかな心の歌です。この歌を歌うと元気になり、浦島太郎を思い出し海幸彦に思いを巡らします。この歌を歌うと、懐かしい気分に襲われて父の『うからどち』という言葉を思い出し、わが故郷平戸の『平門男児』の気概を思います。そしてもう一つの『我は海の子』の歌、浜辺の歌のところでも触れた、ちょっと斜がかった若い青年期の『我は海の子』・・・・・琵琶湖周航歌。

 

我は海の子 さすらいの 旅にしあれば しみじみと のぼるさぎりや さざなみの 志賀の都よ いざさらば 

 

私は『さざなみの・・・』と聞いた途端、人麻呂や志賀の都に飛んで行ってしまうタイプなので、このなんとはなく憂いを感じさせる『我は海の子』も好きです。

『さざなみの』という言葉は『志賀』にかかる枕詞と言われています。そして当てられた漢字は『楽浪の』・・・・・考えさせられますよね。もちろんさざなみが楽な航海の波だとはわかります。ですがそれでも、楽浪郡は朝鮮半島に置かれた漢の四郡の一つです。博多にも志賀島があります。私的見解によれば、朝鮮半島に大和朝廷領があったと思っています。それが『随想古事記』でご紹介したとおり、『タラシヒメ・タリシヒコ』の理由だと思っています。


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遠足

2025-01-29 10:21:14 | 『ウタ・ウタ・ココロウタ』

文語体へのあこがれを抱いた歌。小学校の唱歌でした。

 

鳴くやひばりの声うららかに かげろう燃えて野は晴れ渡る いざやわが友うち連れ行かん 今日はうれしき遠足の日よ   右に見ゆるは名高き御寺 左に遠くかすむは古城 春は絵の事我等をめぐる  今日は楽しき遠足の日よ

 

里の秋、故郷 蛍の光・・・・・

 

中学校で習った美しい歌・・・・・眠りの精、釣り鐘草

 

月の光に花も草も 夢を追いつつうなじ垂れぬ 声をばひそめて 枝はさやぐ  眠れ眠れ眠れ 我が子よ  小鳥楽しき歌をやめて 小さきふしどを慕いゆきぬ 野辺には虫の音 ひとり告ぐる 眠れ眠れ眠れ 我が子よ  眠らぬ子らを求めつつぞ 眠りの精は訪い来ん 怪しきその手の見えぬ暇に 眠れ眠れ眠れ 我が子よ

 

小緑の森の下影 目を覚まして釣り鐘草は ・・・・・・・ ひとり微笑む     実はこの歌はおぼろげにしか覚えていません。ただ焼き付けられた美しい情景を忘れることができません。

 

椰子の実、夏は来ぬ、荒城の月・・・・・

 

美しい音が人を美しくすると思います。美しい言葉を選ぶことができるように、大切な我が子と美しい歌を歌ってほしいと思います。

 


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浜辺の歌

2025-01-28 13:21:37 | 『ウタ・ウタ・ココロウタ』

あした浜辺をさまよえば 昔の人をぞおもわるる・・・・・この歌は母の十八番の一つで、よく歌いました。そして、第一回の人麻呂の楽浪の志賀の大宮を思い起こさせ、琵琶湖周航歌を歌う若者へとつながっていきます。

 

朝浜辺をさまよえば 昔のことをぞ しのばるる 風の音よ雲の様よ 寄する波も貝の色も  夕べ浜辺をもとおれば 昔の人をぞ しのばるる よする波よ返す波よ 月の色も星の影も       

三番の歌詞もあるらしいけれど、私の記憶はここまで、音を伸ばしながら半音上げたり下げたり・・・・・そこにいろいろな連想が浮かぶ美しいウタです。

 

あしたはまべを さまよえば むかしのことをぞ しのばるる かぜのおとよくものさまよ よするなみもかいのいろも  ゆうべはまべを もとおれば むかしのひとをぞ しのばるる よするなみよかえすなみよ つきのいろもほしのかげも 

 

昔のこと昔の人をしのぶことによって、私達は『昔を今に』生きることができると思います。これが和歌の世界で言う本歌取り・・・・・私達は重複した時間を生きることができるというわけです。


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いやつぎつぎに つがのきの 

2025-01-27 17:02:16 | 『ウタ・ウタ・ココロウタ』

父の背負子の『随想古事記』と『最終章・これを知るために』のカテゴリーを完結しました。それで『ウタ・ウタ・ココロウタ』という新しいカテゴリーを作りました。私が子供時代から心ヒビキあってきた歌を集めました。第一回目は、万葉集の中の有名な柿本人麻呂のもの悲しくも美しい長歌!!!

 

玉襷 畝傍の山の 橿原の ひじりの御代ゆ あれましし 神のことごと 栂の木の いやつぎつぎに 天の下 しらしめししを そらにみつ 大和をおきて あをによし 奈良山を越え いかさまに おもほしめせか 天さかる  夷にはあれど いはばしる 淡海のくにの 楽浪の 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ すめろきの 神の尊の 大宮は 此処と聞けども 大殿は 此処といえども 春草の しげくおひたる 霞立ち 春日のきれる 百敷きの 大宮どころ 見れば悲しも

楽浪の 志賀の唐崎 幸くあれど 大宮人の 舟待ちかねつ      実は反歌と思しき歌がもう一つあって、私の好きな歌、

楽浪の 志賀の大わだ 淀むとも 昔の人に またも逢わめやも

 

意味など分からなくても構わない!!!この美しい音が次々に醸し出す柿本朝臣人麻呂の心に触れてみて欲しいと思います。

 

たまだすき うねびのやまの かしはらの ひじりのみよゆ あれましし かみのことごと つがのきの いやつぎつぎに あめのした しらしめししを そらにみつ やまとをおきて あをによし ならやまをこえ いかさまに おもほしめせか あまさかる ひなにはあれど いはばしる あふみのくにの さざなみの おおつのみやに あめのした しらしめしけむ すめろきの かみのみことの おおみやは ここときけども おおとのは ここといえども はるくさの しげくおひたる かすみたち はるひのきれる ももしきの おおみやどころ みればかなしも

ささなみの しがのからさき さきくあれど おおみやびとの ふねまちかねつ

ささなみの しがのおおわだ よどむとも むかしのひとに またもあわめやも

 

 

なぜ栂の木でなければならなかったのか・・・・・この美しい歌の中で、ただ一つ長年心に引っかかり続けた疑問の音、今では解明できたと思っていますが、これは皇統そのものを指す言葉だということだけ申し添えておきます。


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私達はタネである。追補『ネ』とは何か。

2025-01-06 22:03:25 | 父の背負子2(最終章・これを知るために)

あけましておめでとうございます。昨年末の記事『私達はタネである』という記事で、『これを知るために』のカテゴリーを終わりにするつもりでしたが、言葉足らずのように思いましたので補充記事を書くことにしました。

 

『ネ』が根っこであり『アイデンティティ』であるというまではよいのですが、ではその『ネ』が何であるか・・・・・これをはっきりさせて置かなければならないと思い至りました。『ネ』とは、これから、つまり『未来を発現するもの』で『設計図のとおりに発現させる力』です。これを日本語では『タカミムスヒ』『カムミムスヒ』という二つの『チカラ』の形として『ネ』という音(とカタカムナ文字と)を当て表しています。形として現れるチカラと力そのものとして現れるチカラとを継続して発現させるものです。青い花を咲かせる朝顔と芽を出し成長して花を咲かせる力です。その『ムスヒ』はこの世の根源と直結しており、その相似象として響きあって無限の力とつながっています。それで楢崎先生と宇野先生のお二方は相似象という言葉を当てられました。私達はこのお二人の先達のご恩を決して忘れてはなりません。そしてついでながら申し上げますが、この世の根源、つまり『ネ』のそのまた『ネ』が何かというと、先人が等しく『思議すべからざるもの(不可思議)』と言われて、私たち宇宙に存在するものが考えてもわからないものと降参することが心の平穏を保つ唯一の術だと言われたものです。それの変遷が、存在するものの在り様で、それを命の営みと言ってきました。私達は結局存在の根源について知っているようで知らない・・・・・不可思議と達観し諦観することのみが、それに生かされて生きる道だったのだと思います。ですが、カタカムナの人々は、その『ネのネ』に名前を付けたのです。

               『カ』

カ(ka)と呼びます。これがその不可思議なるものの名前です。定義したんですよ。こうして、端的に言いますが、日本語を話す人は物事の根源にあるものを、表現はできなくても、認識できるようになったのです。これが日本人を特殊ならしめている唯一の原因だろうと思っています。

 

それからこれは私の願いでもありますが、人間の種の青い花は、血統という『ネ』を持って咲かせる者と、もう一つあこがれ・法統という『ネ』を持って咲かせる者とがいると思っています。後者は強い願いの力であるカムミムスヒを祈り重ね撚り合わせ、新しいタカミムスヒを生み出すのだと思います。有難いご縁があってカタカムナの山を登ることになった皆様のご精進をお祈りしています。これで拙いながらも補充記事を足して、このカテゴリーを終わりにしたいと思います。

 

追記(1/16):余談かもしれませんが、この記事はこのカテゴリー『これを知るために』の最終記事なので、こういう考えを持つに至った私の長年の見解を付け加えておきたいと思います。それは、『人をその出自で差別してはならない』ということです。人もまたタネとして生まれる存在なので、個人的努力の関与する余地はありません。そのことをゆめゆめ忘れないでほしいと思います。ですが、もう一つのカムミムスヒの『ネ』は精進努力できるものです。『ネ』に加えうる私達の個々の人生の証です。若者への希望として受け継がれるべき背負子に、最後の見解を入れます。

 


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私達は種・タネである。

2024-12-31 14:42:39 | 父の背負子2(最終章・これを知るために)

小学校の学級花壇を覚えていらっしゃいますか。水やり当番があって、長い夏休みにも当番の務めを果たしました。私達の子供の時代には、それぞれの植木鉢になって夏休み前には自宅に持って帰りました。朝顔のタネをまいて、発芽を観察し、二枚葉が出て本葉を観察し、杖を立て、つぼみに喜びと希望を重ねました。何色の花が咲くのだろう・・・・・青紫の花が咲きました。濃いピンクの花が咲きました。

 

あの頃をふと思い出して懐かしさと覚えるとともに、この世の真実をどんなにか直截的に教えてもらっていたのかに驚いてしまいます。ピンクの花がいいだの紫がいいだの、あるいは染め分けがいいだのと、勝手に選り好みをしていましたが、それは種の決まり事でした。つまり、青い花の朝顔の種には、青い花の朝顔しか咲かない!!!芽が出たところで精一杯咲く自由はあるが、そのほかの自由はない。一年草は多年草にはならない・・・・・!!!種の目的は、新しい種を生んで、つながっていくこと。そのために生長・成長して花を咲かせ実をつける。これは何人も否定できない生物の掟!!!人間も同じ事、自由の範囲は異なるけれど、究極のところ私達は自由ではなく人間の種として生きなければならない。

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青い朝顔の種は、青い朝顔を咲かせ、青い朝顔の種を残す。私達は父母の子として父母が受け継いだタネ・先祖の種を継続する。

これは、今の私(本人)の両親を七代さかのぼった図です。和みの社長堀江さん(カテゴリー『自然食品和みさん』でご紹介しています)が図表にして私が『おかげ図』と命名しました。古来より七世(ななよ)継ぎと言われているように、私達も七代前の先祖の波動の影響を受けていると言われています。私達は『種』なのです。

 

この中には様々な人がいます。善い人ばかりではないかもしれません。しかしながらこの中のただ一人でもいなかったら、今の私はいません。命とはそういうものです。そして人間とはこのつながりの中の波動の声を聴いて、先祖と自分を矯正できる生き物(つまり、自分を向上させることができる。代々その変化を共有することができるという意味)です。供養をするとは、そういうことです。自分の修養というものもそういうものです。これが私の知りたかったことであり、カテゴリー『父の背負子2(最終章・これを知るために)』の最後の記事としたいと思います。

 

追記:タネとは何か。『ネ』・・・・・がタしたもの。カタカムナによって初めて日本語である国語の意味するものを知りました。私達の『ネ』は私達をどのように生かすかを決定するものです。そうです、青い花を咲かせる朝顔は青い花を咲かせる朝顔の種を結ぶように生長するのです。これが今で言う『アイデンティティ』です。私達日本人はアイデンティティを訳するになんと明快な国語を持っていたのでしょうか。感動するばかりです。歴史を研究すること・・・・・これは私達の祖先がどのように生きてきたかを知ることです。自分の『ネ』を探ることです。それが代々受け継いできた『父の背負子』の中身です。私の『ネ』探求の『父の背負子・随想古事記』を読んでいただきたいと、心から思います。そしてご自分で考えて、それぞれ子や孫に託す背負子を完成させていただきたいと思います。

 


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東海林さん結論

2024-12-19 20:07:47 | 日本語・古事記・歴史・日本人

異説東海林さん』を記事にして、8年が経ちました。あれからも心の中でくすぶり続けていましたが、例によってフト結論を得ました。記事にしようと思いながらもぐずぐずしているうちに、その前記事でご紹介した憧れの伯母の訃報が届きました。102歳まで美しく生きた伯母を偲んで思い続けましたが、もしかするとこのフト得た結論を伯母が後押ししてくれたのかもしれないと思いました。それで短い結論だけのこの記事を書きました。

 

東海林さん・・・・・しょうじさん・・・・・とうかいりんさん・・・・・元の名は、とうかいりんさん。とうかいりん・・・・・とう・かい・りん・・・・・と・か・り・・・・・と・か・る・・・・・つ・か・る・・・・・

 

そうです、最初の『東海林さん2』でご紹介した結論通り、東海林さんはツカル一族、鳥族の一部族であの有名な東歌の主だったと思います。そして本当の最初の呼び名は、ツカルさんだったのではないかと思います。参考記事:『東海林さん1』 、『東海林さん2


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2024・11・3

2024-11-03 09:57:19 | 父の背負子3(雑記)

今回のご案内は格別です。そのわけは、父の背負子の最後に私の答えを付け加えることができたからです。私はこれを加えて、次の背中に渡すことにしました。どうかお読みいただけたらと願っています。日本人とは何かという次世代につなぎたい父の背負子の最後のパーツです。

 

父の背負子(随想古事記)

        父の願い   2010-04-30        

        私の邪馬台国   2012‐10‐04       

        随想古事記・はじめに   2012‐10‐05        

        随想古事記Ⅰ・あめつちの・・・・・   2012‐10‐09        

        随想古事記Ⅰ・イザナギとイザナミ   2012‐10‐12      

        随想古事記Ⅰ・アマテラスとスサノオ   2012‐10‐15       

        随想古事記Ⅰ・海幸と山幸   2012‐10‐23

 

        随想古事記Ⅱ・関連記事便覧   2012-10‐17        

        随想古事記Ⅱ・神話と言語   2012‐10‐17        

        随想古事記Ⅱ・天津神と国津神   2012‐10‐24        

        随想古事記Ⅱ・アジアの神話と歴史   2012‐10‐31

 

        随想古事記Ⅲ・大和の心1  2012‐10‐26        

        随想古事記Ⅲ・大和の心2   2012‐10‐27        

        随想古事記Ⅲ・大和の心3   2012‐10‐29        

        随想古事記Ⅲ・大和の心4   2012‐11‐02       

        随想古事記Ⅲ・大和の心5   2012‐11‐03

 

        随想古事記Ⅳ・おそれながら・・私の仮説   2012‐11‐04

       

        随想古事記・おわりに   2012‐11‐06

        随想古事記前章・民族の形成   2011-04-11

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅰ  2011-04-13

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅱ  2011-04-14

        随想古事記前章・五色人の謎補(私の五色人説)    2011-04-21

          アインシュタイン博士の言葉    2012-08-17

        私の『中朝事実』    2013-11-03

 

      天帝とはツクヨミノミコト!!!    2024-10-17


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同窓生の近況

2024-10-21 15:47:06 | 教室情報

                                             

マクロビオティック教室に唐津から通ってきてくださった入江さん。まだご結婚前でしたが、今では二人のお母さん。ご主人は唐津焼の作陶家で岸田匡啓さんという方です。時々ご案内をいただいてのぞかせてもらっていますが、私は岸田さんの斑唐津がが好きです。春風を思わせるような作風です。そんな岸田さんが、日本橋高島屋で二度目の個展を開かれるとのご案内をいただきました。精進の賜物、ご成功をお祈りします。          そして、同級生の皆様にお知らせします。毎年春には唐津焼の陶器祭りでも発表していらっしゃいます。


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天帝とはツクヨミノミコト!!!

2024-10-17 19:34:17 | 父の背負子1(随想古事記)

東洋の歴史の始まり、そして東洋の精神の始まり・・・・・天帝によって示された人間の歩むべき道『天道』・お天道様!!私は意識的無意識的に探求し続けて、やっとここ記憶の始まりにたどり着きました。

天帝の娘である織姫様、天帝のお許しにならなかった牛飼いとの恋、周礼としてまとめられた天に対する天子としての王の正統性、東洋の歴史はここから始まりました。私達は何も知らずに、およそ三万年にわたる東洋の歴史を、天の川のカササギの橋によって潜在意識としてしのんできたような気がします。

 

随想古事記として私のアイデンティティ探訪は10年余り前に形となってブログでご紹介してきましたけれど、それからもずっと続いています。もうすぐ76歳になろうとしていますが、私の到達した最終結論は、私達の古事記から消えてしまったツクヨミノミコトの消息です。東洋の天帝はツクヨミノミコトで、ツクヨミから始まった王朝だったという結論です。

ツクヨミノミコトは伊弉諾尊のお産みになった三貴子のおひとりです。黄泉の国の汚れを祓われた時左目をすすがれてアマテラス、右目をすすがれてツクヨミ、最後に鼻をすすがれてスサノヲ・・・・・尊き子を持ったと喜ばれた伊弉諾尊は三人の御子にそれぞれ高天原、夜の食す国、海原の統治をお任せになります。それからツクヨミは消息不明になられます。私達の表向きの歴史から消えてしまいました。これは私の子供のころから心に引っかかった事件です。これをはっきりさせるために私の思索の旅はあったのだと思います。

夜の食(おす)国・・・・・これがそもそも分かりませんでした。一体どこのことなのか、何を言っておられるのか。実はこれは夜空のことだったのですね。日食・月食、月の満ち欠け、星の移転、ツクヨミは暦を支配されたのです。これが東洋における最初の王朝ツクヨミの天朝だったのです。この王朝の起源については、以前の記事『万世一系の天皇②』で取り上げた有巣氏、つまり鳳凰をシンボルに持ち姓は風、鳥族によって作られた世界最古の王朝です。これ以後が大陸の歴史になって、このブログで何度もご紹介している歴代王朝です。そして大陸では殷を最後に鳥族王朝はありません。(ちなみに高天原は、タカマの力が張っているところ。誤解を恐れずに言えば、太陽が照らしている世界。海原は常に何かを生みなしているところ。五穀豊穣の種の世界。そしてこの三者は表裏一体の関係です。)

 

この天帝王朝がどこに行ったかという結論が、これまで何度も記事にして発表してきたとおり、わが日本の大和王朝です。世界にも散らばって、主に『ツク』の類音を国名に持つ国々・・・・・歴史上から現代まで、突厥、チュルク、トルキスタン、トルコ・・・・・意外ですか、トルコは私達の遠い親族です。やっと私の『随想古事記』が始まりから今まで全部つながりました。それで天人の代表『かぐや姫』が月の国に帰り、天女は羽衣を持って飛び、ツルの恩返しの鶴が天女となって飛び去ったことも全部納得できました。ツクヨミの王朝が東洋最古、そして現在日本の王朝として続いているのです。これが柿本和子の生涯をかけた歴史の真実です。人生の満足を得た心持です。この真実の証明を若者に託します。そして、この記事をカテゴリー『父の背負子(随想古事記)』に加えます。


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続・玄米ご飯が食べたい

2024-06-28 15:02:35 | 鍋物語・楽老膳

今回は結論としての感想です。明快至極の感想は、単純に『失敗』です。まあ使った玄米がその炊き方に合わなかったのか、いろいろ条件はあると思いますが、あまり美味しくはできませんでした・・・・・それでもお粥やおじやを作る下処理としては十分だろうと思いますので、寒くなるまで待とうかと思います。

 

ただ思いがけぬ発見に驚いています。すぐに感じた心安さ・・・・・白米や分搗き米の素直さというか軽さというか・・・・・心のこだわりが消えるような・・・・・現代社会の抑鬱状態の原因が、まさか、ここにあったのではないかと思えてしまいます。社会が電化して便利さと美味しさを追求して失われたものがあったのかもしれないと思います。もし不安や心配に悩んでおられるなら、この圧力をかけない電気炊飯器を試してみられるのもよいと思います。私は特に悩みなどはなかったのですが、それでも気分がとても楽に自由になりました。なんでだろうと考えて末の結論が、圧力をかけない遠赤効果の炭窯にあったのではないかと思います。分厚いくりぬいたような炭の内釜・・・・・暖かい手触りです。優しい社会の基盤は、穏やかな精神状態だろうかと思います。


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あの日はどこに行ったのだろう!

2024-06-20 13:35:57 | 平戸

歯医者さんに通っています。80歳になるまではなんとか入れ歯を使わないでいきたい・・・・・というのが目標です。歯医者さんは海に面していて、高校時代に毎日お世話になった桟橋のすぐ横です。当時の桟橋の周囲とはずいぶん様変わりして、埋め立てられ波除堤防は長くなり・・・・・ずいぶん変わってしまいました。青い空に青い海・・・・・そんな風景を見ていると、ふと心に浮かんだこと・・・・・あの日はどこに行ったのだろう。

                               

 

この桟橋から対岸の平戸城の下の旧厩前につく朝の補習事業に間に合わせた便に乗るために、丘の上から手を振りながら駆け下りた高校時代をふと思い出しました。もう60年も前のあの懐かしい日々はどこに行ったのだろう。懐かしい人々はどこに行ったのだろう・・・・・?????

 

追記(6/21):今では平戸大橋でつながっていますが、当時は完全な離島だったので平戸に自宅がない者はみな船で高校に通いました。そして船長さんは毎日乗船する顔ぶれも把握していました。乗り遅れると帰宅できない高校生のために、出航した船をわざわざ戻してくれることもありました。あの長閑な優しい日々はどこに行ったのでしょう・・・・・


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玄米ご飯が食べたい!

2024-05-12 11:15:55 | 鍋物語・楽老膳

壮年期を過ぎ老年期を迎え、とうとう後期高齢者の烙印を押される境遇になりました。楽老膳なるものを思いついて2年になりますか、我が家の食卓も簡単単純メニューになりました。その中で一番困ったのは、玄米ご飯です。最近のガスコンロはみな感熱式になって、圧力鍋を使いにくくなりました。土鍋も具合が悪い・・・・・炭や豆炭も熾せない・・・・・ガスコンロを別に用意しなければなりませんでした。段々億劫になってきましたが、玄米ご飯程腸を快適に保つものは考え付きません。もう10年になりますが、すい臓がん騒ぎを起こして手術を受けた時も、入院中どれだけ玄米粥が恋しかったことか・・・・・

 

そんな事情になって電気炊飯器も随分進歩しているので、玄米を炊くのによい炊飯器を探してみました。希望は老人向けに圧力をかけない炊飯器・・・・・そうしたら、あったんです!!!三菱電機の炊飯器は、圧力をかけずに玄米も炊いてくれる!!!!!その上に内釜が炭でできているらしい!!!!!我が家は、以前からご紹介している自然食品和みさんのおかげで、電気に関して電磁波カットをしているので電気炊飯器で玄米を炊こうという気になったのですが、炭素の遠赤外線も電磁波中和に役に立つだろう・・・・・何とか美味しい玄米が食べたい!!!

 

そういうわけで、三菱電機の丸っこい炊飯器を買いました。美味しい玄米ご飯が炊けるかどうか、これから試行錯誤しなければなりません。思ったより柔らかく炊けましたが、これから様々な条件を試してみたいと思っています。同時に白米についても予想外の体験をしています。白米ご飯はこれまでの電気炊飯器メーカーの努力の賜物か、美味しく炊けているとは思います。だけど、

それよりもなお驚きの感覚を味わいました。気楽になったんです。心楽しいというか、安心というか・・・・・

このことはとても大事なことではないかと思います。心病める人が増えたのも、もしかするとあまりにも電気というものに頼りすぎている便利社会の現象ではと思いつきました。人間の肉体と精神に対する高周波の影響についてもっと研究がなされるべきではないかと思います。手遅れにならないうちに、竈は無理だとしても、この三菱電機の電気炊飯器に対する態度を評価したいと思います。


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2024・05・08

2024-05-08 12:28:45 | 父の背負子3(雑記)

また父の命日が巡ってきました。恒例のご案内です。主人とお墓参りに出かけたら、弟夫婦と会いました。両親亡き後の兄弟との交流は減ってしまいましたが、久しぶりの何気ない会話に懐かしく心温まるものを感じました。

 

父の背負子(随想古事記)

        父の願い   2010-04-30        

        私の邪馬台国   2012‐10‐04       

        随想古事記・はじめに   2012‐10‐05        

        随想古事記Ⅰ・あめつちの・・・・・   2012‐10‐09        

        随想古事記Ⅰ・イザナギとイザナミ   2012‐10‐12      

        随想古事記Ⅰ・アマテラスとスサノオ   2012‐10‐15       

        随想古事記Ⅰ・海幸と山幸   2012‐10‐23

 

        随想古事記Ⅱ・関連記事便覧   2012-10‐17        

        随想古事記Ⅱ・神話と言語   2012‐10‐17        

        随想古事記Ⅱ・天津神と国津神   2012‐10‐24        

        随想古事記Ⅱ・アジアの神話と歴史   2012‐10‐31

 

        随想古事記Ⅲ・大和の心1  2012‐10‐26        

        随想古事記Ⅲ・大和の心2   2012‐10‐27        

        随想古事記Ⅲ・大和の心3   2012‐10‐29        

        随想古事記Ⅲ・大和の心4   2012‐11‐02       

        随想古事記Ⅲ・大和の心5   2012‐11‐03

 

        随想古事記Ⅳ・おそれながら・・私の仮説   2012‐11‐04

       

        随想古事記・おわりに   2012‐11‐06

        随想古事記前章・民族の形成   2011-04-11

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅰ  2011-04-13

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅱ  2011-04-14

        随想古事記前章・五色人の謎補(私の五色人説)    2011-04-21

          アインシュタイン博士の言葉    2012-08-17

        私の『中朝事実』    2013-11-03

 

最近ではユーチューブでも私の説によく似た説を見かけることが時々あって、喜んでいます。どうかご自分のアイデンティティを確かめて、日本人の歴史の最先端を生きていただきたいと思います。再先端をつなぐことが今を生きる私達の責務だと思います。

 


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インスピレーションとは何か!!

2024-03-19 15:15:40 | 父の背負子2(最終章・これを知るために)

     インスピレーション・・・・・それは『フト』した思い付き、ひらめき

 

ブログ名を 『inspiration - macrobiotique(マクロビオティック・インスピレーション)』と決めた時、何をどう思ったのかというと、マクロビオティックという正しい暮らし方によってカタカムナという正しい生き方を感得したいと思ったからです。知りたいことはすべて、インスピレーションによってもたらされる・・・・・ことを実感しているからです。そのインスピレーションとは何か・・・・・『ひらめき』ですよね。そのひらめきはどうやって起こるのか・・・・・

 

それは、『フト』起こります。その『フト』がインスピレーションというものの本質です。『フト』という日本語の意味は、二つの力波動が共鳴する、あるいはぶつかり交わりあって一つに合力するというものです。『フト』するものと生み出されるものとは、二つの力波動の性質によります。だから毎日毎日修行しなければなりません。この世に物が存在するのは『フト』が起こるからです。私達は己の修養を積む以外にありません。身を慎み行いを慎み、ひたすら世のため人のため、国を思い同胞を思って祈り続け出来ることをする・・・・・そうすると『積善の家に余慶あり』、ふと閃いて余慶をいただけることになるのだと思います。(余慶とは思いがけない喜ばしいことです。願って、あるいは目論んで、手に入れる良いことではありません。)

思ったとき、あるいは問題をはっきり認識した時、答えは『フト』明らかになります。だから禅僧は座禅を組む以前に食の制限を自らに課します。振動する体細胞の質を変える以外に『フト』する波動の選択はできません。テレビやラジオのチュウニングと同じです。否応のないものです。正直でありがたいものです。万人に平等です。自分の波動以上のものは受け取ることができません。自分が向上する以外にありません。難行苦行をするのではありません。鍵は『食』にあります。

 

後期高齢者になりました。父が亡くなった年を超えてしまいました。来し方を振り返りしみじみと思います。


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