先日ご紹介した大伴旅人の歌の冒頭、乳の実の父の命 柞葉の母の命(ちちのみのちちのみこと ははそばのははのみこと)・・・・・・これにはもう一つ忘れられない思い出があります。それはこの歌とは全く無関係に聞いた父の言葉です。私が中学生の時末っ子の妹が生まれました。その妹にお乳を飲ませる母を見ていたら父が言いました。
お乳は父の心なのだと・・・・・・その時は意味がわからないまま強烈な印象を持ちました。そしてずっと何となく、出産にも育児にも直接体を張らない男の願望のように感じてきました。そしてまた夫の愛が妻の授乳の支えのように、意味深く感じてきました。そして初めてこの歌を知った時父の言葉を忽然と思い出し、父はこの歌を知っていたに違いない・・・・・・とそう思いました。
あるいはこれは単に枕詞ではなく、私達の祖先は『乳は父だ』と男親の子どもとのかかわりを感じていたのかもしれません。そう思うともっともっと密接に山上憶良の、・・・・・まされる宝子にしかめやも、と詠んだ日本人の心情としてつながってきます。そしてその時『乳の実』は『いたぶ』だと心に決めていましたが、実はこの『いたぶ』イチジクの原種に近い野生の実で、平戸の自宅の庭に下る私道にあっていつも実がたくさん落ちます。乳のように白い灰汁が出ます。昔はよく食べたものです。昔は何でも食べました。『いたぶ』に『うべ』に『ぐみ』に『まきのみ』・・・・・『しいのみ』『まてのみ』・・・・・・
でも、柞葉(ははそば)はどんなものか知りませんでした。そして先月この乳の実の歌の記事を書いた後ちょっと調べてみました。そしたら、『ははそ』『ほうそ』『いすのき』とあり、その葉は虫こぶが出来る・・・・・・と書いてありました。その写真を見ると、何とこれまた平戸の自宅の生け垣に使ってある木で、その木の葉はいつもハエ(の一種・平戸では・・・・ちょっといやですね)の時期に卵を産みつけられてぷくりと膨らんだ虫こぶだらけになります。これが母のお腹なんですね・・・・・・そうだったのか・・・・・・柞葉『ははそば』でなくてはならない訳が分かりました。
これらが川崎先生のいわれるように言語伝来の秘密を解くものであったにしても、この言葉を音に重ねて選んだ万葉の時代を生きた人の心を感じます。現在の私達もそのつながりの中に生きていることを感じていたいと思います。
それでは今日も:
私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!