多治見近辺の道路には『平戸ツツジ』(?????)と思しきツツジが植えられており、5月になって満開になり微かなツツジの香りが漂っています。ツツジの花には初夏の輝く日光が似合う・・・・・と思います。そんな多治見に来て、一番の仕合せと思うことは、大好きな大好きな『志野』に直接触れたということです。多治見(厳密に言えば多治見地域)は志野の故郷なんです。
ここのところの記事でご紹介している通り、『志野』の空気の中にいます。そして『志野』といえば荒川豊蔵という方を置いては考えられません。先日5日その荒川豊蔵の窯跡に建てられた『荒川豊蔵資料館』を訪ねて、同じ空気を吸って来ました。そこにはもちろん志野もあったんですが、なんと乾山写しの様な作品や有田の様な陶器や・・・・・荒川豊蔵の実像に初めて近づくことが出来ました。そしてそこで既に絶版になっている著作『縁に随う』や白洲正子著『かくれ里』を紹介されました。
同じく興奮冷めやらずで帰宅した夫がすぐに本を注文してくれました。そして昨日2冊とも手元に届きました。荒川豊蔵の自伝のような回想録ですが、飾り気のない率直な文体で読みやすく、速さに呆れられながら読んでしまいました。本を読むことには自信があります。何しろ小学生の頃から(もちろんそれなりの本ですが)一晩に三冊というのがノルマでしたから・・・・・
これまではただ大好きだっただけで、『志野』=『荒川豊蔵』という以外何も知りませんでした。私はもともと詮索好きではないので、そのものにはのめり込む質ですが、その周りについてはほとんど興味がわかない・・・・・といった探求法でやってきました。『荒川豊蔵』という人についても『志野』を見ればよい・・・・・というやり方でした。ですが、この日本経済新聞社から発行された『縁に随う』・・・・・面白く読みました。 日本人にとって『荒川豊蔵』は『志野』を現代によみがえらせた人ですが、そのことが『荒川豊蔵』本人にとって血脈を辿るというか、アイデンティティを確立するというか・・・・・ご本人の言によれば『縁に随う』ということだったんだと思います。この書名にもなった『縁に随う』という言葉が、私の中で一つの区切りを作りました。私が知り得た中で現代の、あるいは昭和の偉大な人の四つのタイプが埋まったんです。作品の陰陽で分類をしました。 第一のタイプ(陽の陽)・・・・・荒川豊蔵・・・・・・・・・・茶碗(もの)第二のタイプ(陽の陰)・・・・・初見良昭・・・・・・・・・・武道(ものの動き)第三のタイプ(陰の陽)・・・・・楢崎皐月・川崎真治・・・・・言葉(心・歴史)第四のタイプ(陰の陰)・・・・・桜沢如一・久司道夫・・・・・平和(真実のホラ) どの先生も人間の真実(内なるもの)を追及なさっているのだと思います。それがご縁で私のつたないレーダーにも触れてくださったのだと思います。楢崎先生の『カタカムナ』と久司先生の『マクロビオティック』によって私は『マンダラゲ』なるものへと行き着きましたが、娘を通したご縁によって 辿り着いた初見先生の『成り行き』と今回の荒川先生の『縁に随う』とが私の『マンダラゲ』と表裏になりました。これが多治見に来た理由のような気がします。しみじみ大変仕合せな成り行きであり縁に随った結果だと思います。 ・・・・・・・・どういうわけか、字体が途中で変わってどうにもなりません。どうしたらよいのでしょうか????