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万世一系の天皇②

2023-09-06 15:01:14 | 父の背負子3(雑記)

史記という書物をご存じですか。漢時代司馬遷が著したとされている書物です。紀元前2世紀から1世紀の事です。随想古事記の中にも記事を書きました。その中に三皇本紀という章(これは司馬遷の作ではなく、唐代の補作だと言われている)があって、そこには中国大陸の王朝の始まりを、庖犠(ほうぎ)氏、女媧(じょか)氏神農(しんのう)氏と記してあります。庖犠氏は、風姓蛇身人首。女媧氏も風姓蛇身人首。神農氏は、姜姓人身牛首。庖犠氏は燧人(すいじん)氏から受け継いだとされていますが、燧人氏の記述はありません。その前は有巣氏。有巣氏と燧人氏は人間の社会生活の始まりを意味するような名前です。『家を作った』と『火を起こした』・・・いずれも鳥族風姓です。

多分これは後世の人の記憶だろうと私は思います。しかしながら、我らがアジア人の先祖もこうした時代を生き抜いてきたことには違いありません。我らがアジア人の系統には二つの種族があるというのが、川崎真治先生を支持する私の意見です。すでに随想古事記の中で述べてきました。海を北上してきて、海洋民族のままの蛇族として暮らした部族とそこから分かれて大陸に侵入して新たに鳥族を名乗った部族で、互いに嫁を取り合う通婚関係だったと川崎先生は述べておられます。それぞれのトーテムは竜(蛇)と鳳凰(鳥)、雷と風です。私は俵屋宗達の『風神雷神』を初めて見た時に感じた心の底の動揺を懐かしく思い出します。あれは私たちアジア人が何万年と持ち続けている意識の根源だろうと思います。アジア人の先祖のひれ伏しおろがむべきは風神雷神だったのだと思います。風神雷神の怒りは地球の怒りであって、人間は身を任す以外にありません。広大な海原で怒涛に吞み込まれそうな中で団結して、生き延びる道を探したのだと思います。こうして初めてアジア人となった人々は、何らかの訳があって人類発祥のアフリカを捨て、海路アジアにたどり着きました。そこからアジア人達は生活形態を二分します。島嶼を根拠地にして海洋民族となった者達と、大陸に上陸して国家組織を築いた者達です。もちろんこの二つは密接にかかわりあって、わが国日本でも蛇に象徴される縄(蛇)文人と、鳥のように飛ぶ天女の羽衣人、つまり天孫族がいます。だから先にいた海幸彦が兄で、後から来た山幸彦が弟です。

 

『有巣氏』『燧人氏』、鳥族風姓ですが、『巣を作った』時点で船を捨て独立して鳥族と名乗ったのではと思います。ですが庖犠も女媧も蛇身人首、つまり母が蛇で父は鳥だと言っています。ずっと密接な関係を持って通婚関係を持っていたと川崎先生は仰っています。まあ羽衣、つまり羽をもっている爬虫類が鳥ですから、同じ純粋アジア人です。こうして鳥族の大陸アジア人は世界最古の統一国家を作っていきます。三皇五帝、ここに遅れ馳せの陸路伝いの牛族がやってきます。その証拠が神農氏で、姜姓人身牛首、つまり姓は姜で母は鳥父が牛だと言っています。神農氏は牛族で、のちに言う彦星です。この彦星が女媧氏のお姫様織姫と恋に落ちて、そして王朝を乗っ取ったというわけです。これから五帝の時代となります。風姓少昊(しょうこう)金天氏、風姓顓頊(せんぎょく)高陽氏、風姓帝嚳(こく)高辛氏、伊祁(いき)姓帝堯陶唐氏、姚(よう)姓帝舜有虞氏です。それからまた風姓が三人続きますから、鳥族が三代、次に犬か牛族、牛族・・・・・で夏王朝となり、殷王朝が続きます。これが紀元前2000年くらい。夏は姒(じ)姓牛族太祖は禹、殷は風姓鳥族太祖は湯です。禹は帝舜の禅譲によって帝位につきましたが、殷湯王は天命を革(あらた)めることによって、つまり易姓革命によって帝位につきました。風姓殷にしてみれば、天命を革めて鳥族王朝に戻したのですが、この殷帝国後大陸は陸伝いにやってきた牛犬馬の王朝交代劇となって現代に至って、すべての王朝は天命を戴くということでその正当性を主張することになりました。天命とは鳥族天帝からさづけられた使命ということです。アジアの王は鳥族天帝なのです。そして混血の始まりが、織姫彦星の伝え話です。

殷の滅亡後その末裔はどこに行ったのか、最終的に日本列島に逃れて大和王朝を作ったというのが私の説で、日本の天孫降臨のお話につながっていると思います。この天孫降臨は朝鮮半島伝いに起こったと思います。織姫伝説のあるところが鍵だと考えています。天孫の天はアジア大陸に最初に起こった王朝を指し、天帝とはその国の正当性を持った王の父祖のことです。そして天帝の正当性を持った殷を実際上滅ぼした周王朝は、自分を天子と称し天祖を祀らなければならなくなり周礼の発達を見たのだと思っています。

 

我が国の万世一系の天皇は、あえて言わせていただきますが、この天帝につながる唯一の王朝天子で、わが日本人は王朝を支え続けてきた国民ということになります。私は天孫降臨は紀元前1300年頃だと思います。其氏朝鮮というところを経て帯方郡を通り九州に至ったと考えています。今では大陸にも半島にも天帝王朝はありません。大和王朝の起源は神武天皇の橿原での建国宣言です。きっと父祖以来の亡国のご苦労を思って、八紘一宇の大和の理想を建国理念として、それまでの国名『邪馬台(ヤマト)』を『大和』と当て字して国号となさったと思います。これは聖徳太子が国号を『日本』と変えられたのも同じです。今でも私達は同じように『ヤマト』と日本を読んだりしています。万世一系はその王朝の証です。この延々たる私たちの先祖の営みの尊さは何事にも代えがたいものです。このあたりの内容は、『父の背負子・随想古事記』として記事にしています。私達日本人は代々父の背負子としてみんながそれぞれ受け継ぎ背負ってきたものです。放り投げてはならないものです、根無し草になってはいけません。子供に背負わさなければなりません。

 

 

なんだか一年ぶりくらいに予定していた題名の記事を書いたので、前回の記事と纏まりがつかないかもしれません、後で補修します。とりあえず投稿します。お許しください。

 

 


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