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値賀の島々・・・・・五島列島

2020-09-23 10:09:34 | 平戸

台風9・10号が、二つ続けて同じコース・・・・五島列島を北上して朝鮮半島の南に上陸して北朝鮮へ・・・・・という通り方をしました。朝鮮半島に上陸するまで勢力が落ちなかったので、平戸も暴風雨が吹き荒れました。『西側を通る』というのは最悪のコースということです。我が家も木々は折れるは、倉庫の瓦は飛ぶは、通過後丸一日以上停電の憂き目にあいました。これまでの台風は、この最悪のコースで、大体対馬海峡を折れて日本海を東北へ北上するのですが、今年は経線に沿ったようにほぼ真北へ行きました。梅雨の雨と同じように、夏の台風も異常事態です。

 

ところでこの五島列島は、古事記ではチカノシマとして登場します。我が平戸もその最北端部にあたり、小値賀(おぢか)・宇久(うく)という地名が平戸の中に残っています。平の戸・・・・・以前に記事にした『イラ』『イル』の戸、つまり犬族居住地(古代の部族国家)の入口出口。値賀・・・・・『チカ』『イカ』・・・・・も同じ。つまり五島列島は平戸まで、『チカノシマ』だったんですね。(犬族などの部族名については、『随想古事記』や『歴史・言語・・』のカテゴリーでご紹介しています。)確かに平戸は九州大陸(?)への接点です。『戸』『門』はそういう意味で、五島が長崎に渡るより、平戸経由で九州とつながっていたことを知らせてくれると思います。だからかの昔、有名な空海も平戸の田ノ浦から五島に渡り、そして唐に渡ったのですね。鎌倉時代の栄西禅師も五島から平戸につかれて、お茶を初めて植えられました。現在もその跡(冨春庵)が残っています。田ノ浦には巨大な空海像を平戸市が建てました。我が故郷平戸はそういった歴史の息吹を感じるところです。写真は、パソコンの立ち上げ画面にも使っているのですが、平戸の朝明けです。何か、黎明・躍進を思わせるのでご紹介します。

  すっかり明け渡りました‼️                            

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