一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

1180   囀れる丘の上なる明智塚   きみこ

2014年03月24日 | 

 天正10(1582)年6月2日,明智光秀(1528~82)は,本能寺で織田信長を討ち取った(本能寺の変)。その後,中国地方から引き返してきた羽柴秀吉らと13日に山崎で戦ったが敗れた(山崎の戦い)。光秀は近江坂本に戻ろうとしたが,小栗栖で土民から襲撃され,明智藪で自刃したという。

 京都のあちこちに、光秀の首塚や胴体塚があり、どれが本物か判然としないが、三日天下として馬鹿にされそうな光秀が、意外にも人々に慕われ憐れまれていたらしい。

 この句の明智塚がどこなのか分からないが、信長・秀吉・家康という三角関係の脇で、光秀が重要な役割を果たし、歴史を動かしたことだけは確かである。

 余談であるが、岐阜県恵那郡の明智町と可児市が「こちらこそ光秀の町」と、未だに本家争いをしているそうである。結論は永遠に出ないでしょうから、永遠に争うことになるかもね。

 

コメント
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