我が家の犬、モモを見送って思い知らされた。私も必ず歩けなくなる、そして死ぬ。親を見送った時より、その思いが強いのは何故だろう。不思議でならない。だからこの句の「まだ」という言葉がずしりと重いのである。
又、この句の「ありがとう」は、自分を支えてくれる家族や友人への感謝の言葉かもしれないし、神様への言葉かもしれない。この世に人間として生まれて、今こうして歩けることが「有ることが難い」奇跡なのだ、と思っているに違いない。
春の美しい夕日が、作者の人生の落日と重なっている。
我が家の犬、モモを見送って思い知らされた。私も必ず歩けなくなる、そして死ぬ。親を見送った時より、その思いが強いのは何故だろう。不思議でならない。だからこの句の「まだ」という言葉がずしりと重いのである。
又、この句の「ありがとう」は、自分を支えてくれる家族や友人への感謝の言葉かもしれないし、神様への言葉かもしれない。この世に人間として生まれて、今こうして歩けることが「有ることが難い」奇跡なのだ、と思っているに違いない。
春の美しい夕日が、作者の人生の落日と重なっている。