(ひきだしに わかきひいまも さくらがい)
敗戦後の昭和24年、まだまだ暗い世相の中、大本営発表に代わってラジオから流れる「ラジオ歌謡」の「さくら貝の歌」は、多くの女性の心をとらえて大ヒットする。
ところがこの歌は、既に昭和18年に完成していたという。当時、鎌倉に住む作曲家八洲秀章は、病で失った恋人の面影を抱いて、浜辺で見た光景に託して
わが恋の如く悲しさやさくら貝かたひらのみのさみしくありて
の短歌を作った。これを逗子の作詞家土屋花情に示して作詞を依頼、曲をつけたそうである。
「桜貝」から生まれるイメージとして、初恋、恋愛、別れ、悲恋、思い出、などがイメージされるのはこの「さくら貝の歌」が強く原因しているようである。(←クリックしてお聞きください)
タチツボスミレ