そこに「ある物」があることに「気付く」。例えば、自分の庭に知らぬ花が咲いていることに気付く。この気付きの「ある物」とは、植物に限らず、芸術や哲学、精神や科学など、有形無形のあらゆる分野に及び世に限りなくあるから、一人の人間が一生に知り得る「ある物」は、数学的に言えばほぼゼロに近い。
つまり、これを一言でいうと、ソクラテスの「無知の知」である。つまり「私は知らない、ということを知っている」
さて、「俳句が350年余も何故延々と続いて来たのか、何故あなたは30数年も俳句を続けてこれたのか」と問われれば、その答えは「気付き」であろう。
「知らないことを知る」例えば、見えなかったものが見えてくる、聞こえなかったものが聞こえてくる、この楽しみが分かると俳句は止められない。
俳句を始めて4か月の作者は、どうやらそのことに気付いたようだ。いやいやそうではなくて、以前から知っていたのだろう。
レンギョウ(連翹)