一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

1210   陽炎や聴けば聞こゆる風の音   一煌

2014年04月27日 | 

 そこに「ある物」があることに「気付く」。例えば、自分の庭に知らぬ花が咲いていることに気付く。この気付きの「ある物」とは、植物に限らず、芸術や哲学、精神や科学など、有形無形のあらゆる分野に及び世に限りなくあるから、一人の人間が一生に知り得る「ある物」は、数学的に言えばほぼゼロに近い。

 つまり、これを一言でいうと、ソクラテスの「無知の知」である。つまり「私は知らない、ということを知っている」

 さて、「俳句が350年余も何故延々と続いて来たのか、何故あなたは30数年も俳句を続けてこれたのか」と問われれば、その答えは「気付き」であろう。

 「知らないことを知る」例えば、見えなかったものが見えてくる、聞こえなかったものが聞こえてくる、この楽しみが分かると俳句は止められない。

 俳句を始めて4か月の作者は、どうやらそのことに気付いたようだ。いやいやそうではなくて、以前から知っていたのだろう。

レンギョウ(連翹)

コメント
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