映画”レミゼラブル”の最後のシーンで
(まだ ひきづっている この話も 今日でおしまいで~~す)
ジャンバルジャンが コゼットの亡き母ファンテーヌの霊に
”コゼットの存在は 僕の生きがいだった。”
というような言葉をかけ
それを聞くや
彼の中の愛が コゼットを愛する事で
大きな炎をたて
燃えているのが見える様で
感動が私の中で どんどん 深まり
涙になって頬を伝わった。
映画館で バッキーが映画をけなすたびに
笑って聞いていた私だが (何しろアイツの表現の仕方がおかしいので、、)、
同じような言葉を
帰りの車の中で 云われても
とても 笑って聞き流す気持ちにもなれなかった私は
黙って 窓の外を流れる夜の道を
ぼんやり眺めながら
また ジャンバルジャンの言葉を思い起こしていた。
去年の春、、、
霊媒者のマライヤさんが伝えてくださった
祖母の霊からの言葉のひとつ、、、
私の存在が 祖母の生きがいになった。
というのが思い出され
また 涙がポロポロとでてきた。
映画を見たあと
その感想などを お互いに 話す事の多い私たちだけど、、、
この映画のストーリーも知らないバッキーに(その上 寝ててみてないし、、)
自分の感動を話す 力もなく
帰りの車の中で
一人で ひっそりと 泣いた。
夕べ
キャリーアウトの中華を ふたりで食べながら
さあ 今晩は映画でのあの感動でも話すか
と 映画の話題をはじめるや
”あんなにつまらん映画の話などしたくない”
と 怒鳴り 始める。
はたまた
”俺の嫌いな物を
好きにさせようとなど するな!!!”
と オニのような怖い顔 をして叫ぶ。
”貴方は 私が探し求めていた
ジャンバルジャンなのよ”
なんて ロマンチックな話題 をしてみようかと
思っていたのに、、、、
、、、、、、、、、つまらない男
やっぱり こいつは、、、、
、、、、、 私のジャンバルジャンじゃ、、、ない ぶつぶつ、、、
そうして
ジャンバルジャンの名前が カタカナで 頭に入っている私に
”それを云うなら ジャンボールジャンや!”
(カタカナで書くと また ちょっと違ってくるけど、、)
と騒ぐバッキー、、、だった。
でも、、、、
きっと いつか
この話を しんみりと
2人で話せる時も来るのだろう、、、。
すごい 爺さんと婆さんになった時とか、、、、笑
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今日は生暖かいイリノイ西北部です
春のよう、、、