はちきんizyのアメリカ丼

料理にすると丼カップル
はちきんイジーとアメリカンいごっそうバッキーの
山あり谷ありの国際結婚ブログです。

日本からのメールと出来あがった墓石

2013-01-21 | 日本の家族

”墓石が その後 どうなったか 連絡入れて聞いてみろ”

と バッキーに云われた先週

まるで 私たちの気持ちを読んだかのように

  墓地を管理されている方から

   そこに立った墓石の写真

    郵送されてきた。


墓石のデザインを決め オーダーしたのは

昨年の秋ごろだった。

実物大のサイズの紙に 

  墓石に入れたい文字とデザインを手書きし

 家紋は ネットで検索した物を メールした

   





思ったより 立派に出来て、、、、、

  いや ほんとに 

私が手描きした漢字より ずっと うまく出来ている。


  特に ”家” という漢字、、、不思議~~



 バッキーも私もこの出来には 大満足




そして この日 私は 

  日本からのエアメールも  受け取った。




昨年 このブログを通して 

  私の郷里である 高知出身の方たちと

    たくさん知り合う事が出来た。





その中のお一人は

 土佐史談会の会員の方だった。


1917年に設立した土佐史談会こちら は

土佐の歴史、地理、考古、民俗を

  調査研究し発表する会で 


2012年が大正元年から数えて

   丁度100年になる という事で

その特集号 (こちら)として

大正期の高知県経済、

  同時期県政界、高知市政等々を

    調査する事になったらしい。

会員の方が その特集号の中のひとつの課題となった





 第一回国勢調査 をまかされ

 国勢調査の仕事にあたったと云われる

  安芸早水の事を検索されていた時に

私が4年ほど前に書いた日記に ヒットし 

    訪問くださった。




安芸早水は 血がつながった 

   私の曽、曽祖父(ひいおばあちゃんのお父さん)だ。





彼の娘である 私の曾祖母は 

   私の祖母を産むや

     実家に帰された ので

 私は安芸早水の家族の事は何も知らない。


明治時代(31年)に ”でもどり”、、(失礼な言い方だったら すみません、、)

      になった曾祖母の

 その後の事は いつも 気になっている。



再婚は出来たんだろうか

 その後 子供を産んで 

   育てる事は出来たんだろうか


 幸せになったんだろうか、、、、



   と 思いをめぐらす ことがある。


そうして 

 実の親を知らずに育つことが


  まるで 因縁のように 受け継がれている 

   自分や家族の人生をも思う。




安芸早水の事を何も知らない私は

  連絡を下さった 土佐史談の会員の方の

    役にたつ事も出来なかったのに


わざわざ その出版物を

  アメリカまで郵送してくださった。

そして、、、

  

 さいごに、、、として

    安芸早水の事も付け加えてくださった。


 

本当に ありがとうございました。


 

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曇り空の日曜の今日
   庭の雪がすっかり溶けていた。
皆様が良き休日を過ごされましたように~~