ユーゴーのレミゼラブルには 思い出がある。
私に児童文庫番の ”ああ 無常” という題名だったこの本を
紹介してくれたのは
小学校3年生の時の担任であった 野中よしこ先生だ
数日続けて(確か、、) 生徒の私たちに この本を読んでくれた。
主人公のジャンバルジャンの生き方が
とても強く 心に残った事だった。
こまかい心使いをしてくれた野中よしこ先生は
私に 大きな影響 を与えてくれた先生の一人でもある。
大好きだった先生の授業に 集中する事 が出来た私は
そのせいもあり
その年は 成績が 驚くほど あがった。
人前で 話しをする事が出来なかった私が
積極的になったのも この年だ、、、。
そんな事もあり
15年-20年頃前に
ブロードウェイでプレイされるようになったレミゼラブルのポスターを
あちこちで目にするごとに
野中先生を思い出してもいた。
小学校2-3年生だった ある夏の夜
私と祖母は近所に住む 遠い親戚の婦人の家に
泊まりに いったことがあった。
婦人の家の居間に 布団を並べて敷き
子供だった私が 1番に 眠るについたその夜
祖母と婦人の話し声に 夜遅く 目が覚めた。
ショッキングなその会話から
”やっぱり、、”
という確信したような想いと
”知ってはいけない事 を知ってしまった ”
という思いで
体がすっかり硬直した私は
祖母に背を向け 寝たふりをした。
そうして その事を
どうやって 人に話していいのか
分からなかった私は
誰にも云わず
ずっと 一人で 心の中に入れておいた。
私の母は 事情があり
私が1歳半のときに 父と離婚し
家を出た。
”母は亡くなっている” と聞かされ
祖父母のもとで育った私は
小さな子供ではあったけど
ちょっとした大人の目つきや 言葉使いで
母が生きている事を感じていた。
それが はっきりした のが その夜だった。
子供だった私は
どこかで生きている母と
私に細かい心使いをしてくれるやさしい先生とが
一緒になり
野中先生が 私のお母ちゃんかもしれん、、と
そんな妄想を広げる事も多かった。
今も私の心に残っている
野中先生のやさしい笑顔、、、、
愛の種を 子供たちの心に植えてくれた
そんな先生だった。
ありがとう 先生
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