「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

飢饉知らず

2007-01-04 20:19:35 | 歴史・民俗
 正月三箇日もあっという間、本日4日から仕事初めの方々が多いのではないでしょうか?
 今年のお正月は天気に恵まれ雪のないお正月、しかも本日4日も青空が広がるいいお天気ながら異常気象といえばその通りか、今年の春、夏、秋の気象予報も気になるところ、昔で言えば凶作、飢饉への心配となることではないでしょうかね・・。


 そこで飢饉の歴史を少し調べてみますと・・・

 南部藩は特に飢饉の歴史とも言われますが、遠野においても同じでもありますが、特に凶作が頻発した宝暦年間から記載しますと・・・

宝暦5、6、7年(1755~1757) 3年連続の凶作(低温・洪水)
 宝暦5年は2月から5月まで風雨強く、一日も太陽が顔を出さず、稲の花開かず、稗、粟も同様、8月16日に降霜、4大飢饉のひとつに数えられる大凶作。

安永5、6、7年(1776~1778) 3年連続の凶作(低温・大雨・洪水)

天明3、4、5、6、7年(1783~1787) 5年連続の凶作(天候不順)
 天明3年の大飢饉といわれるように収穫皆無、南部藩4大飢饉

寛政元年からは1年おきに凶作(寛政7年まで)

天保3年~天保9年(1832~1838) 6年連続の凶作(天候不順、虫害、降霜)
 天保4年4月、5月に大干ばつ、天候不順で大凶作

他に・・
 文化、文政は比較的安定した年代ともいわれますが、文化10年(1813)は夏に降霜、冷風が吹き荒れ綿入れを着なければならないほど寒かったと伝えられ、8月27日には高山に降雪。



 少し胴回りに肉がついた我家のネネ
 江戸時代の大飢饉ではネコも食べられたはず・・・・ネネ大汗。
 

 現代社会は飽食の時代とか、グルメとか、とかく我日本は食生活には事欠かないことでもありますが、平成に入ってからの冷夏による大凶作では、ブレンド米とかタイ米まで口にしましたが、それでもマズイとか、インスタント食品があるじゃない・・なんて昔の人達からもみれば罰当りな現代人と写ったに違いない。 

 という小生も魚介類はダメとか、リンゴもダメとか好き嫌いが未だにあること、今年は歴史分野の充実のみならず偏食克服の年にしなければと思うところです・・・大汗



おまけ

本日のネネ



コメント (10)
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