「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

ASONUMA元年

2007-01-03 15:50:53 | 遠野
 2日は勤務、表面的な仕事初めは4日からですが、実質的には既に仕事を始めているのが現状・・・。

 盆も正月も関係なく規則的に仕事をしているとはいえ、こうして仕事が出来ること、そしてささやかながらも家族と正月を楽しむことができる幸せ、新年早々から少しではあるが脳裏に浮かぶこと、オヤジとなってからは事の外、感じてしまいます。


 さて、穏やかな正月三箇日、今年は郷土史分野において、今一歩、中世遠野、遠野阿曽沼時代を深く考えてみようと思っております。

 そこで、まずは地元松崎町内の関連史跡等へ・・・。


松崎町光興寺・阿曽沼歴代公碑


 かつての中世遠野領主、阿曽沼氏歴代公の碑に手を合わせる。

阿曽沼氏が建立したと伝えられる八幡神社・・宮代元八幡・松崎町光興寺宮代


 遠野郷八幡宮が八幡に移る前の八幡神社、すなわち元八幡と地元では呼んでいるが、昨年の9月末、例大祭の取材にて歓待され、東洋大学の学生さん達、地元の方々、グリーンツーリズム関係者とジンギスカンを食べたことを思い出します。


同じく光興寺の諏訪神社


 こちらも阿曽沼氏が建立に関連する言い伝えが残されている。


 遠野南部氏時代(江戸期)の遠野を知りたいならば、まずはそれ以前の中世遠野、すなわち阿曽沼時代を知らずして語られない・・・と町内の古老にご指導を賜ったことがございますが、私の場合は並行してどちらも探求していたつもりでありましたが、遠野阿曽沼時代は難解でしかも奥が深い、さらに興味が尽きないというハマリに入ってしまったこと、資料も少なく、言い伝えも曖昧ながら何故か惹かれるのです・・・・。

 築館或いは使われていた阿曽沼時代であろう遠野各地の城館跡の探訪調査を主に、さらに今一歩踏み込んで探求をしてみたい、まさに私にとって2007年は郷土史分野においては阿曽沼元年としての位置付けとして捉えて行きたい、そんな思いが町内の関連史跡、社を訪ねて感じた日でもあります。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする