「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

冬・土淵 壱

2007-01-19 17:19:09 | 遠野
 昨夕からの降雪、今季における本格的な積雪となる気配がするも、夜には雪も止み数センチの積雪、なかなかドカッと降らないもどかしさと雪掻きは御免という本音も見え隠れする遠野の冬といったところです。


伝承園

 我家から2キロ、清涼飲料やら煙草の自販機が伝承園側にあって、当方のお立ち寄りスポットです。


小烏瀬川と象坪山

 遠野ぶれんどの山猫さんといつか象坪山探訪をしましょうと持ちかけていたが、山猫さん個人としては既に数度探訪済み、この山はかつて柏崎館といって昔の城館跡と聞いたような、しかし、柏崎在の同級生によると柏崎集落の南東側の共同墓地の辺りが柏崎館跡との情報、墓地整備やら農地改良に伴い館跡らしき痕跡を残す地形は破壊してしまったとのこと・・・ほんとなら残念至極、いずれどちらが柏崎館なのだろう・・・・?


オシラ様レリーフ・・・山口界隈


石塔と鳥居・・・山口界隈



水車小屋

 水車は冬季休業中・・・稼動休止中


 遠野物語に登場のかつてこの界隈での名士、山口孫左衛門は山口館主であった山口修理の子孫とも語られますが、館主としての山口氏はいつ頃まで健在であったのであろう。

 慶長5年の遠野の政変で、鱒沢氏、上野氏といった謀反側に異を唱えて謀反軍の総攻撃を受けた附馬牛火渡館主の火渡玄浄広家は火渡館落城と共に討ち死にと伝えられるも、一子倉之助は難を逃れ海岸の大族、大槌氏を頼って逃げ延びたと伝えられます。

 倉之助は実はここ土淵山口村に隠遁し、後に山口姓を名乗って忠臣の子として南部家に登用され山口内蔵助3百石、内蔵助の子、山口金右衛門家、さらに分家は釜石に禄を得て一族釜石氏の名も散見され代々南部藩士(盛岡)の家柄とある。

 山口修理は遠野の政変時に火渡広家の子、倉之助を匿ったのか、それとも大槌へ逃す手助けをしたのか、はたまた既に山口館主としては没落し、火渡氏系の山口氏が台頭する基盤が出来ていたのか?遠野の政変時での山口館主の事柄は伝えられていないのは何故なのか、孫左衛門と山口館との関係は・・・?

 こちらも今後の課題となりそうです。


おまけ

 市内某スーパーの店内一角に懐かしい音楽CDを安価にて販売しているコーナーがある。

 先日、若い頃よく聞いていた「杉山清貴とオメガトライブ」のベストを購入、他にも懐かしい曲名が入ったCDが結構あった。


 その名も「おばさん達の青春ポップス」

 それならば・・・

 「おじさん達青春ポップス」

 1970、80年代のヒット曲がそれぞ収録されているが、最近ではなかなか聴く事のない曲、カラオケのレパートリー復活に向けて練習用に、さらに時折若い頃を懐かしむ・・・・なんてね、入っている曲が各個人の好みにもよるけど、どこか懐かしい思いがいたしました。
コメント (4)
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