松崎町矢崎集落に伝えられる堰神様伝説、その伝えは大同2年(807)の出来事と今に伝えられている。
母也明神(遠野物語拾遺)の内容が今も語られている。
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矢崎地区は遠野でも早くから稲作が行なわれていた先進地域だったとも、経済的基盤が安定していた地域だったとも考察されておりますが、これらの基は猿ヶ石川の水脈を利用しての農業にあったものと思われます。
この母也明神の伝説は悲話として語り継がれるも、古の人々が猿ヶ石川の氾濫やら洪水という自然災害を相手に苦労して農地を開拓したことも物語内容が含まれているものと思っております。
母也明神
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母也明神での巫女の屋敷跡といわれる山中にあった祠を明治末期に神明神社境内に移したが、社が朽廃したので現在の場所に昭和56年に新築遷座した。
巫女塚
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母也明神の後方の山野にありますが、堰神様伝説に関る巫女の墓ともいわれ、昭和50年代矢崎集落に病が流行し、その際イタコの口から堰神様伝説での巫女の塚の存在が語られたといわれ、言葉通り落葉の中から塚が発掘されたという・・・。
昭和50年代の流行病とは何であったのか、私も高校生か社会人として地元に居た事になりますが、風邪かインフルエンザか?・・・それにしても巫女の墓といわれる塚が実在していたことにより年代はともかく何かしら伝説を裏付けることでもあり、地域の言い伝えもおろそかに出来ないと思いました。
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昭和30年頃まで実際に利用されていた松崎沢の口への道・・・無論現在も通ることが出来、峰沿いを伝って松崎舘の背後を通って沢の口、駒形神社脇に出る。
途中には経塚跡も残されている。
堰神様に感謝、そして巫女の慰霊、地域では今でもこれらに関る伝承行事を行なっている。
機会がありましたら取材しましてご紹介したいと思います。
母也明神(遠野物語拾遺)の内容が今も語られている。
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矢崎地区は遠野でも早くから稲作が行なわれていた先進地域だったとも、経済的基盤が安定していた地域だったとも考察されておりますが、これらの基は猿ヶ石川の水脈を利用しての農業にあったものと思われます。
この母也明神の伝説は悲話として語り継がれるも、古の人々が猿ヶ石川の氾濫やら洪水という自然災害を相手に苦労して農地を開拓したことも物語内容が含まれているものと思っております。
母也明神
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母也明神での巫女の屋敷跡といわれる山中にあった祠を明治末期に神明神社境内に移したが、社が朽廃したので現在の場所に昭和56年に新築遷座した。
巫女塚
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母也明神の後方の山野にありますが、堰神様伝説に関る巫女の墓ともいわれ、昭和50年代矢崎集落に病が流行し、その際イタコの口から堰神様伝説での巫女の塚の存在が語られたといわれ、言葉通り落葉の中から塚が発掘されたという・・・。
昭和50年代の流行病とは何であったのか、私も高校生か社会人として地元に居た事になりますが、風邪かインフルエンザか?・・・それにしても巫女の墓といわれる塚が実在していたことにより年代はともかく何かしら伝説を裏付けることでもあり、地域の言い伝えもおろそかに出来ないと思いました。
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昭和30年頃まで実際に利用されていた松崎沢の口への道・・・無論現在も通ることが出来、峰沿いを伝って松崎舘の背後を通って沢の口、駒形神社脇に出る。
途中には経塚跡も残されている。
堰神様に感謝、そして巫女の慰霊、地域では今でもこれらに関る伝承行事を行なっている。
機会がありましたら取材しましてご紹介したいと思います。