「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

幻の大沢松雲寺

2007-05-17 20:13:58 | 歴史・民俗
 晴れてもなかなか良いお天気が続かない、天気予報通り、雨に濡れた遠野となっております。

 さて、地元の古老達が語る寺屋敷、上駒木妻ノ神にその場所はあるという・・・ 今は亡き父親も、かつて古い寺があった場所で寺屋敷だったか寺沢だったか、そんな呼び方をしていたことを思い出す。

 松崎町の歴史や伝承を紹介する「まつざき歴史がたり」に寺屋敷と呼ばれていた場所に、松雲寺といわれる事績不明の寺が存在していたこと、また幻の村、大沢村があったことを記している。

 確かに、妻ノ神と広く呼ばれる地、その一部は大沢とも今も呼ばれているし、まつざき歴史語りで紹介されているとおり、かつては寺屋敷の松と称される古木も存在していたようだ。

 今から5年程前、この松雲寺の痕跡を求めて、車で牧道を探索、途中藪道に入ったり、それらしき雰囲気を探し求めたのですが、空振り・・・・。

 ただ、こんな山奥に似合わない角柱石といいますか、人的に加工された雰囲気の石を発見、さらにテーブルのように平たく、大きい板状の石も確認・・・石があったからどうだというわけではないが、かつての山道等の階段に使われていたのか、そんな想像をした記憶がございます。


 山中で発見した角石・・・今は何処にあったか忘れてしまい探し出せない・・・笑


 まつざき歴史語りには、阿曾沼時代の創建と書かれているが、なんの記録もなくその事績も不明という点では、これも致し方なし、さらに「まつざき歴史語り」が出される数年前に駒木地域に全戸配布された駒木地域の歴史、民俗、伝承等を記した「駒木」には、天台宗の寺院と記され、こちらも阿曾沼時代初頭の頃に存在していただろうという推測がされている形跡でもある。

 松雲寺という名が長らく伝えられている点、しかも「松雲」という文字までも・・・・・・。

 この妻ノ神には土淵の栃内、西内に通じる山道があり、海岸方面との交流もあったと伝えられる。
 そして寺跡とされる場所の上方には大沢不動があり、修験の場でもあったともいわれております。

 寺の門前にあったとされる集落、大沢村に関しては、その事績全てが皆無、不明でもある。




 話は余談となってしまうが、駒木という地域の歴史を語る上では、阿曾沼時代、その初期に代官宇夫方氏が最初に拠点を置いた地、すなわち阿曾沼時代の第一歩を築いた地と古老達は語り、私もこの考え方には一応賛同している。

 そして仮館の東北に建立されたであろう八幡社は遠野で最初の八幡社で、後に宮代の八幡社、そして遠野郷八幡宮へと繋がる遠野最古の八幡社であったこと、さらに愛宕社にいたっては、東に建立され、この愛宕社は我先祖が江戸期中期辺りには別当であった旨の記録も存在するという、現在は福泉寺境内にあり、一応私が別当となっている。

 また、加茂神社も実は当初は駒木にあって、阿曾沼氏が横田城を築いて本格的に遠野統治に乗り出した頃に現在の地、白岩に遷宮したものともいわれる。

 このことから阿曾沼時代初期における何かしらの関わりが駒木という地域にあったことを伺わせ、古老達が目を輝かせて語りますが、史実は置いておいても、浪漫といいますか、興味を感じる地域が駒木であること、今さらながらも気付いた自分がそこに居ります。
コメント (13)
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