キマグレ競馬・備忘録

競馬、MLB、スポーツ観戦、趣味など気になる事を書いています。

MD-11 ウイングレット

2006年03月31日 | Photo (&Aviation)
MD-11の翼のウイングレットです。機内から撮影できるのは、エンジンと翼だけ。ウイングレットは機体の個性を表す最もカッコイイ部品です。

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アメリカ西海岸の空港の風景

2006年03月29日 | Photo (&Aviation)
上空から地表の景色を眺めるのが飛行機の楽しみのひとつですが、アメリカの西海岸沿いに飛ぶと、ひとつの視界の中にいくつもの空港を見ることができます。たまたま眼下に見えた空港を撮ってみたら、別のところにもうひとつ空港が写っていました。残念ながら、この空港の名前は判りません。


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ヴァリグ・ブラジル航空の食事

2006年03月27日 | Photo (&Aviation)
ヴァリグ航空の食事のメニューです。
和食を頼んだら、何故かパンも一緒に付いてきました。(和洋折衷?)3年前(2002年)のフライトだったのですが、美味かったかどうか何も記憶していません。写真を見ても何も思い出せないというのは、たぶんありきたりの「普通の」食事だったということでしょう。
ちなみに、これはビジネスクラスの食事です。東京に着くまでに何回食べたかも全く覚えていません。移動と仕事の過密な日程で疲れ果てていたのかも。


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ロサンゼルス市街地上空のMD-11

2006年03月26日 | Photo (&Aviation)
自分が乗っている機体を撮影する方法はなかなかありませんが、太陽の方向によって機体の影を撮影する事も可能です。この日は、運よく撮影することができました。
本当は、離陸時に電子機器を使用してはいけない規則でしたが、思わず撮ってしまいました。
自分が乗っていたという証拠写真。


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ヴァリグ・ブラジル航空MD-11 ロサンゼルス空港

2006年03月25日 | Photo (&Aviation)
日本航空のMD-11が旅客路線から退役して3ヶ月が経ちました。
成田空港でもなかなか見かけなくなったMD-11ですが、2002年12月にブラジルへ行った時、帰りにヴァリグ・ブラジル航空のMD-11に乗ったことがあります。3発機に乗ったのは、学生の頃に乗ったANAのトライスター以来でした。
一週間でブラジル・サンパウロと東京を往復する出張で、大変なハードスケジュールだったことを覚えています。地球の裏側での滞在時間は、わずか60時間の弾丸ツアーでした。


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コンコルド展の話題

2006年03月20日 | Photo (&Aviation)
関西国際空港で「伝説の旅客機 『コンコルドフェア』」というイベントをやっているようです。3月19日から4月9日までということで、以下の記事が新聞に記載されていました。
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コンコルドの魅力、再飛来 関空でフェア、写真展やグッズ販売 /大阪
関西国際空港の展望ホール「スカイビュー」で18日、「伝説の旅客機コンコルドフェア」が始まった。元スポーツニッポン新聞カメラマンで航空機写真の第一人者、青木勝さんの写真展のほか、コンコルドの機内に装備されていた「安全のしおり」やヘッドホンなどのグッズも販売している。関空会社は「希少グッズを入手する目的だけでも、全国から航空ファンが飛行機に乗って関空に来るはず」と見込んでいる。
 青木さんは、72年6月にコンコルドの原型機がデモ飛行で日本に初飛来して以来、30年にわたってニューヨーク、パリ)、ロンドンの各空港でコンコルドを撮影し続けてきた。写真展では30作品を展示し、25日午後2時からサイン会、26日午後2時からはスライド・トークショーも開く。
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コンコルドの実物を見た体験と言えば、1992年11月にイギリスに行った時、ヒースロー空港に駐機中の機体と、宿泊したレディングのホテル上空を、アフターバーナーの物凄い爆音と共に飛んでいったブリティッシュ・エアウェイズの機体を見た事があります。たった一度の出会いでしたが、今でも強烈な印象が残っています。
2000年7月25日、コンコルドが墜落した写真を見た時、ひとつの旅客機の時代の終焉を感じました。イギリスで出会ったコンコルド、あれが一期一会でした。


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エンケドラス

2006年03月15日 | Science/Technology
エンケドラスと言えば、土星の衛星の名前です。先日、土星探査機カッシーニの写真を見ていたら、このエンケドラスの素晴らしい写真を見つけました。これは、探査機カッシーニが撮影した写真だそうです。このミッションのデータは以下の通り。
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打ち上げ時期:1997年10月15日
軌道上の重量:2157.00kg
カッシーニ・ミッションは、NASAの土星探査機カッシーニと衛星タイタンを探査するESA(ヨーロッパ宇宙機関)のホイヘンス・プローブからなるミッションである。
このミッションの主な目的は、
 1)土星のリング形の立体構造とその力学的振る舞いの確定
 2)土星の衛星の地表の組成と地質過程の探査
 3)衛星イヤペトスの暗い半球の暗黒物質の性質と形成起源の探査
 4)土星の磁気圏の立体構造と力学的振る舞いの探査
 5)土星大気の雲の高度毎の力学的振る舞いの探査
 6)衛星タイタンの雲と靄の時間毎の変化の観測
 7)衛星タイタンの地表の精査
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天文ファンならお馴染みの天体ですが、一般人には全く知名度がありません。そこでインターネットを使って、「エンケドラス」でキーワード検索してみたところ、出てくるのはゲーム・ファイナルファンタジーの記事ばかりでした。(FF12 "エンケドラス討伐"という言葉が出てくる。人の名前?)
エンケドラスの名前の由来が知りたかったのですが、残念ながらインターネットの検索では、探し出せないようです。これがインターネットというツールの限界なのかもしれません。(もっとも、お金を出してオンライン百科辞典を見れば、記述があるのかもしれませんが)
NASAによってエンケドラスの正体が解っても、エンケドラスの名前の由来が判らない、、、。


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ボーイング777 レインボー

2006年03月13日 | Photo (&Aviation)
昔の写真を漁っていたら、こんな写真がありました。
2005年の1月に鹿児島で撮った写真です。レインボー7と言っていたように思いますが、日本エアシステムが無くなった今、この塗装の飛行機は飛んでいないと思います。現在は、JAL塗装なのかな。


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調布飛行場のドルニエ機

2006年03月12日 | Photo (&Aviation)
調布飛行場に行ってみました。東京都内にあるプロペラ機専用の空港です。ここからは、伊豆諸島への定期便が飛んでいます。使用している機体は、
Fairchild Dornier 社 Do228-212(ドルニエ)
エンジン 776馬力×2 時速 410km
で、新中央航空という会社が運行しています。
この飛行場は、街の中にあるため飛行機の後方すぐ後ろにマンションが立ち並んでいます。何だかとても違和感のある空港の風景でした。


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巨人軍宮崎キャンプの思い出

2006年03月10日 | Photo (&Aviation)
セ・リーグの開幕までもうあとわずかです。鹿児島便に乗るといつも巨人の宮崎キャンプの上空を通過します。別に巨人ファンではないけれど、20年ほど前に巨人キャンプに行ったことがあります。
今は野球解説者の顔をしている江川投手や、監督再登板の原選手が現役の頃でした。
球場に向かう道は、関係者が2人の後をゾロゾロと付いて回り、大声で話す彼等の面白くないジョークに大笑いする「取り巻き」の記者達に違和感を感じたのをよく覚えています。またここは、方言ではなく「標準語」が飛び交う別世界でした。

上空から見ると、ここには4つの球場と多くの陸上競技場があるようです。20年前は確かメイン球場だけだったように思います。メインと言っても、この写真の上の方の小さな球場の方ですが、、。



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鹿屋基地 US-1A

2006年03月06日 | Photo (&Aviation)
鹿屋基地には、飛行艇US-1Aが置いてあります。二式大艇の現代版とも言えるUS-1ですが、この機体の基になった飛行艇PS-1の設計者は、同じ人物なのだそうです。
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菊原静男技師は、その後海軍局地戦闘機「紫電改」の設計を担当。
終戦後、川西航空機の後身である新明和工業で、再度国産飛行艇PS-1の
制作に携わり世界最良のターボプロップ飛行艇を完成させた。
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旧日本軍では、ゼロ戦の設計者、堀越二郎技師が有名ですが、戦中戦後に名機を設計した菊原技師も素晴らしい方だったようです。知りませんでした。


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二式大艇の真珠湾再空襲

2006年03月05日 | Photo (&Aviation)
二式大艇の真珠湾再空襲(K作戦)の記事がありました。
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K作戦とは太平洋戦争中の日本軍の作戦。二式大型飛行艇(二式大艇)による真珠湾攻撃を企図したもの。
概要
日本軍は潜水艦伊7、伊9の偵察により、アメリカ軍が灯火管制もせずに真珠湾攻撃の損害の復旧をしていることを知り、これを妨害するために二式大艇による真珠湾攻撃を計画した。参加兵力は2機で、ウオッゼを出発し、途中フレンチフリゲート礁で潜水艦から燃料補給を受けるという計画だった。
1942年2月20日、ラバウル東方に米機動部隊が出現。さらに、24日にはウェーク島が空襲を受け、作戦に参加する潜水艦が索敵に従事したため、作戦は2日延期された。二式大艇は2月12日に横須賀を出発し、14日にマーシャル諸島ヤルート島に到着した。また、2月中旬までに伊15、伊19、伊26は航空燃料補給装置を完成した。3月2日、二式大艇はウオッゼに移動した。給油を行う潜水艦は3日早朝までにフレンチフリゲート礁に進出した。4日0025(日本時間、以下同じ)、二式大艇2機はウオッゼを出発した。途中伊9からの長波照射による誘導を受け、1300にフレンチフリゲート礁上空に到着した。1350に着水し伊15、伊19から給油を開始した。1600、フレンチフリゲート礁を離水し、ハワイへ向かった。
ネッカー島(1657)、ニイハウ島(1825)、カウアイ島(1935)と通過し、2110オアフ島に到着した。1番機は2110、2番機は2130に爆弾を投下し帰途についた。1番機は5日0920ヤルート島に帰還。2番機は損傷があったためウオッゼに向かい5日0910に到着した。作戦は成功したが、アメリカ側の被害はほとんどなかった。
二式大艇はミッドウェー島とジョンストン島の偵察に投入されることとなり、3月10日ウオッゼを出発したがミッドウェー島に向かった機は未帰還となった。5月30日、第二次K作戦のためフレンチフリゲート礁に進出した伊123が米艦艇を発見。作戦を1日延期するも警戒が厳重であったため作戦は中止となった。このため、日本軍はハワイ方面の敵情を確認できずにミッドウェー海戦を戦うことになった。
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飛行艇の機能(着水できる)を有効に活用した素晴らしくて勇気ある作戦だと思うのですが、「作戦は成功したが、アメリカ側の被害はほとんどなかった。」というのが、ちょっと寂しい感じです。飛行艇が、偵察や爆撃という使い方よりも、兵士の救助という役割だったら大活躍していたのかもしれませんが、日本軍にそういう考えは無かったようです。

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自衛隊鹿屋基地~日本海軍 二式大艇

2006年03月03日 | Photo (&Aviation)
鹿児島の鹿屋基地に旧日本海軍の二式大艇を見て来ました。東京お台場の船の科学館から移設されて約2年になります。
二式大艇の概要は以下の通り。出典:Wikipedia
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二式大艇(にしきだいてい, にしきたいてい, Kawanishi H8K2 "Emily")は、旧日本海軍が第二次世界大戦中に実用化した4発大型飛行艇。初飛行は1941年。レシプロエンジン装備の飛行艇としては世界最高の性能を誇り、現在なお凌駕する機体は出ていないともされる。
正式名称は二式飛行艇。二式大型飛行艇とも言う。なお、輸送型は「晴空」と呼ばれていた。先発の九七式大艇と共に川西航空機で生産された。
性能:全幅38.328m 全長28.12m 自重18,570kg
発動機 三菱火星22型 1850馬力 4基(一速馬力、1680馬力{高度2100m})
最高速度 470km/時(高度5700m)「一一型433km、一二型454km、二二型470km、三二型420km{晴空}」
航続距離 偵察ミッションで 7153km=一二型 8223km=二二型
武装   20mm旋回銃5門、7.7mm旋回銃3門、魚雷または爆弾 2t
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海軍の要求性能をほとんど満たしている高性能機だったようです。海軍の理不尽な要求にも応えてみせた技術者の心意気が感じられる飛行機と言えます。



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YS-11 フォトコンテストの話題

2006年03月01日 | Photo (&Aviation)
YS-11の定期路線からの退役が9月30日に決まったということです。
初めて乗った飛行機がYS-11だったということもあり、この飛行機には想い入れがあります。鹿児島空港に行くと、必ず写真を撮っていたのですが、なかなか良い写真はありません。
今回、某出版社がコンテストを行うようです。
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2006年9月末での退役が決定した唯一の国産旅客機「YS-11」。同機を運航している日本エアコミューター(JAC)では完全退役を前に「ありがとう日本の翼YS-11フォトコンテスト」を開催します。対象となるのはJALグループのYS-11型機の未発表写真で、撮影時期は問いません。入賞作品は、JACとイカロス出版のホームページ及び「月刊エアライン」誌上で発表・掲載する予定です。また、賞品も多数ご用意しておりますので、どうぞ奮ってご応募ください。
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写真撮影のモチベーション向上のためにトライしてみるのもいいかもしれません。


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